いつも底辺で(2010.3.15)

色々な出来事を、殴り書きのようにブログに記している私だけど、そんな中でも、着実に家事は続いているのです!
洗濯したり、料理をしたり、洗い物を片付けたり・・・・

効率化を図る・・・
と言うのを、今流行の「カツマー」関係の本の中で読んだけど、あれはきっと正しいと思うのです。
彼女は、人にない恵まれた才能を持っている。それを発揮する為に、人と違う結論に至ってしまうのはしょうがないじゃないか、と思います。
まさか、あれらの本を全部買い求めて、バイブルとして、同じようにやれば同じようになれる・・・なんておバカさんはそうそういないと思いますけどね・・・・・
彼女は極限状態まで追い込まれ、そして掴み取った真実だから、彼女にはあのやり方なのです!
エスプリをちょっと借りてくるだけならいいけども、自分の人生と彼女の人生を並べて冷静に考えたら、それは違うでしょ?ってことに気がつくと思うのだけど・・・いかにも無理なこじ付けをして、私はできるオンナになってやりますよ!って人が何だか多い気がする。
そこに真実はあります・・・・だけど、自分に当てはめる時は、モデルチェンジしないと、相当に無理です。
私で言うなら、外資系の企業にフルタイムで勤める管理職ではないし、子供の年齢だって違うし・・・・でも、「効率化」って大切って思えば、生活を振り返ってみて、あそことここをこうしたらどうかしら・・・?なんて考えることができる。
いきなり、家政婦を雇う・・・ってこととはまるっきり違うと思います。
仕事も、家庭も、いい状態にしていたいから、彼女はそうしただけ・・・
掃除をお願いしただけで、後のことをまかせっきりにしたわけじゃない。

私は、家事と言うものは、形にならないものを込めることのできる手段の一つだと思います。
お弁当を作ること、気持ちのいい洗濯物に袖を通せること、ふかふかの布団で寝られること・・・・これは全て、手を抜いてしまうと味わえない心地良さです。
だからって、かかりきりになって、ひたすら家政婦のように働くって事とも違う・・・。
「こいつら当たり前って思ってんな・・・・・」なんて、ありがとうの一言もない家族に思うこともあるけれど、美味しいご飯は皆を幸せにするし、明日への活力も養います。
まず、今ある状態の自分を振り返って、よく考えてみましょう。
省くべきところと、大切にするべきところ・・・・
自分は自分、他の誰にもなれません・・・・著名人に憧れるのも悪くないけど、取り入れられることと、そうじゃないこと、位は自分のオツムで判断しましょうよ。
勝間さんが言いたいのは、案外、色々あるだろうけど世の女性達がんばろうよ、ってなシンプルなことなのかもしれないと、ふと思いました。

弥生茶会(2010.3.13)

行けない年もあったけど、今年はたまたま夫婦揃って参加が可能となった。
息子達の学校の、発表会・・・のようなもの・・・
お茶を点ててくれて、お菓子を頂く。
お昼には、保護者の方達の手作りのカレーも出るので、お昼の心配もなし!
去年は役員だったので、このカレー作りは義務だったけど、今年は役員ではないけれど・・・・でも、お手伝いをさせてもらいました。
だって、手は多いほうがいいし、去年、やっぱり役員ではない方達が、普通に手伝ってくれたのは、とてもありがたかったから・・・
劇や、合唱、ダンスや英語とか古典の暗唱など、普段学校でやっている活動の一部を見せてくれる機会。
上の息子も、中学最後の弥生茶会となってしまったけど、後輩達がちゃんとやっているので、きっと安心したと思う!
ダンス部の下の息子は、数人のダンス部の部員達と軽快にステップを踏み、観客に見せつける・・・・いつの間にそんなことを覚えたやら・・・・
お揃いの衣装や、小物を上手に操り、この4月から入学する、保護者や生徒達も驚かす。

進学校なのに、こんなことやってるんだ、という驚きもあるのだろうと思う。
昨年は、上の息子がてんてこ舞いで、司会やら、指揮やら、走り回っていた・・・
今年は、居合いの説明係で、落ち着いて、一生懸命やっている姿がほほえましかった・・・親やってて良かった、と思うのはこんな時。
自分たちの知らないところで、知らない人たちと育んだ時間が、形になって現われて、とても成長を感じた時。
彼らは、彼らの時間を確実に歩んで、しっかりと前を向いてるな、と感じた時。
あの空気の中で、彼らはとても平和で幸せそうに生きているのを見ました。
(ま、でも勉強はとても厳しい学校なのですけどね!それも含めて・・・)
小学校の時は、ま逆だったから・・・

親やってて辛いときってのは、その時に、じゅうにぶんに味わった。
それは、どんなにか辛くて、痛いことがあっても、決して替わってあげる事もできずに、ただ見つめるしかできないとき。
生きていきたくない、と子供が叫ぶのを、ただ見つめるしかない時だ・・・
あまりに早く、我が家の子供達は、それを味わってしまったな、と今更ながら思う。
人生の、ほんの最初で受けた傷は、深くて、深くて・・・・自分でしゃんと歩き出せるまでに何年もかかったけど・・・・・子供も親も・・・
これからは、幸せな方向を向いて、しっかり歩いていけたらな、と思うし、願わずにはいられない。
一番不幸なことは、不幸に浸っていることだ、と昔何かの本で読んだか、人に聞いたか・・・?
どんな不幸な時でも、未来はあるし、解決はしなくても、終りが来るときは必ず来るという事を、血まみれになりながら、我が家は習得した。
今だって、そりゃ、何もかも順調、なんてことはない。それはどの家庭だってきっと同じ・・・大なり小なり悩みや困ったことはつきものだ。
でも、解決したかったら、傷だらけになっても動かなきゃいけないし、素っ頓狂でも、とにかく始めなくては、終わりはしない。
中には、生ぬるくて、ハッキリしないままで世の中に感謝もないけど、自分も何も働きかけない人もいる・・・。
面倒くさいと、自分だけの世界を大切にし、人と関わらない人もいる。ずるずると、だらだらと、ただ時間が過ぎるのを待つだけの人生をこよなく愛している人を知っている。傷つきはしないだろうけど、ワクワクしたり、ドキドキしたり・・・・そんなことに興味がなく、思い出や人生がワントーンで、カラーバリエーションがない生き方をしている人・・・。
既に、死んだ時間を生きているなんて、よくぞ数ある中から、もったいない生き方を選ぶもんだよね。
いつも周囲が気に入らなくて、あげくに自分で選んだ家さえ、壁紙の色がどーだとかこーだとか・・・・ずっと文句を言い続けて、とうとう友人を次々になくした人もいる。
自分以外愛せない悲しい人が一人でもいると、周囲の人たちはかなりテンションが下がります。
死する生き方は、まったく魅力がないのです。
また、他人に興味を持たない人、と言うのは気がつかずに他人を傷付けています。でも、そういう人は、自分のプライドには敏感でも、他人が傷つくなんて、思ってもいなかったりしますから、ある意味、想像力が欠けている人です。
試しにそんな人と話をすると、決まって持ち物がブランド物であるかどうかとか、ファッションがどうとかこうとか・・・・と、自分を外から飾るものの値段で、自分を偉く見せようとします。教養や趣味がない人に多い傾向です・・・何でもお金で換算しちゃうのね。
いわゆる、秀吉タイプの人です・・・・。(金の茶室は確かにいかがなものかと思うよね・・・・^_^;)教養は、お金で買えないものです。心から欲するところに現われ、追求するものにだけ、その本質を与えてくれます。そして、それはやがて、心に溶け、その人を強くしたり、個性的に鍛えたりします。

我が家の子供は、過去の傷を糧に、将来を考え始めているってことがここ数日の会話で分かったのです。
あれほど痛い思いをした君なら、どんな仕事を選ぼうとも、きっと誰かの助けになるに違いない、と母は思うので、その方向に反対する道理なぞありません。
そして、他人からあれほどの傷を負ったのに、人の役に立つ仕事に就きたい、と言った君を、母は、万感の思いで見つめるしか、できません。
きっと、今ある君の周りの人たちのおかげなんでしょうね、そういう気持ちになれたのは・・・・。
マイナスをプラスに変えるのは、あまりに大変なことだと私は知っています。
人の心の中で、恨みや憎しみ、といったマイナスな思いは、なかなか消えてくれないし、気にならなくなった・・・と思っていても、ふいに生傷が剥がれたような瞬間があります。苦労して忘れようと努力したのに、あっという間にまたその思いにとらわれてしまう・・・そんな経験が多々あります。
未来について・・・そのやりとりを見ていた、君の弟は、また、それを一つの経験として、自分の未来を考えていくんじゃないかと思います。
輝く未来を話せる人が一人傍にいると、周囲も幸せにします。
そんな2人を見ながら、母もこの年でも、何か成長しなくては、と自然に思いました。
ありがとう、息子達!

息子達の行く末(2010.3.12)

息子達の学校では、大学の合否で大忙しのようだ!
やるだけやって、結果を待つと言う潔い人は、実はそうたくさんいるわけではなくて、本当はあれもやれなかった、これは中途半端だった・・・・と、後悔をする場合のほうがどうも多いらしい。
それでも、本当によくがんばった、と思うのだ。
たまに、遅くなった息子を迎えにいく時は、ナイトスタディサポート、と言って、夜の8時まで学校を解放してくれて、子供達が自主的に勉強しているのを助けてくれる制度があるのだけど、いつ迎えに行っても、明々と電気がついていた。
たくさんの人が勉強していた。
モチロン、職員室にすぐ行けて、すぐに先生達に質問できるし、家にいると、生活の音がして落ち着かないときもあるけれども、余計なものも音もなく、集中できるのはかなりイイと思う!
上の息子は4月から高校生だ・・・
もう、進路もおぼろげながら決まり、方向のベクトルを定めた。
中学の頃はフワフワとした目的しかなかったのに、成長した・・・
叶うかはわからないけど、とにかくしっかりやってください。
後方から祈るのみ!

麦飯石のある休日

春一番も吹き抜け、お雛様も片付けました。
沈丁花の爽やかな甘さに春の訪れを感じつつも、
まだまだ寒いですね。

久しぶりの休日のこと。
台所のかごの中で少し淋しそうに出番を待っていたさつま芋を石焼き芋にしてあげました。

使った石は国内では何故か岐阜県の美濃白川の山でしか採掘できないという「麦飯石」
多孔質という性質から、水をおいしくしてくれる石としてご存知の方もいらっしゃると思います。
他にもたくさんの秘めた働きを発揮してくれそうなこの麦飯石にCPPスタッフは数年前から関心をもっていて、それぞれの自宅での保有率は重曹と同じく100%なのです。(^_^)
我が家では、専らネットに入れてお風呂で使っています。これを入れると温まり方がちがうようで気に入っています。
null
麦飯石の上に並べて20分程加熱したさつま芋は、しっとりとろとろ。抜群の甘さで絶品でした。
null
余熱でお餅も焼きました。 5分足らずで両面ふっくら。
null
まだまだ熱い麦飯石。
null
このままにして置くのは勿体ない。 
そうだ!! いいこと思いつきました♪
null
熱い麦飯石をタオルに包んで、母の肩をお手当て。
「温かくっていい気持ち」という声を聴けました♪
たまの休日は親孝行するのも良いものです。
温熱効果で血行が促進されて、コリやハリに効くんですね。

麦飯石を岩盤浴やサウナの床や壁に麦飯石を使っている店舗もあります。
最近注目されている汗蒸幕(ハンジュマク)でも設備に麦飯石を使用している企業があるのですね。
少し前に朝の情報番組で見ました。

それにしてもあれだけしっかりした余熱を利用できるとは驚きです。
麦飯石と土鍋は若干焦げましたが、重曹がきれいにしてくれましたよ。
でも、土鍋によっては、焦げが落ちなかったり、石の加熱に耐えられないものもあると思います。
後で悲しい気分にならないように、気をつけて行ってくださいね。

この内容はメールマガジン42号とコラボしています。ぜひ併せてお読みください。

お雛様の日(2010.3.3)

♪灯りをつけましょぼんぼりに~
と、巷では音楽が流れ、女の子のいるご家庭ではお祝いをしたりしてるんでしょうね。
アラフォーの女が一人・・・・の我が家では、結婚当時からそういう習慣がなく、ほとんど関係のないイベントでした。
お花やお茶をやっていた頃は、それでも、飾る花に気を使ったりもしてたんですけどね・・・・
もう、何もありません。
でも、子供達も中学生になり、かなり手が離れたので、今年はちょっとだけ、自分にお祝いしようかな、と思っています。
チラシ寿司と、白酒くらいはいいでしょうか?

効くクリーム!(2010.3.2)

明日がお雛様って日になんだかな・・・・・とも思うのですが、ここはやっぱり発表しよう!
体調が悪かったので、ブログ更新もままなりませんでした。
口内炎ができてしまって、ご飯をいつもの三分の二しか食べられなかったので、しんどかった~!
噛み噛みするのが辛くて、ほとんど飲み込み状態だったので、胃の調子が特に悪かったのです。
なので、お肌がかなりひどい状態となってしまったのですが、この2日でスベスベに戻りましたよん♪

↑このクリーム、ちょっと前にインドより取り寄せたもの。100gではなく、100g程度ってのが、いかにもインドらしくて思わずにんまりしちゃいました!

牛のミルクから取るギーが主剤になっているのです。
それを銅の容器で練りながら、水で洗ったものなんです。
銅イオンの効果で、常温で置いておいても腐敗もしないし、分離した水さえも、効果があるので捨てずに塗るとかなりいいのです!
ちなみに・・・・塗ると、ミルクのニオイがします。
おいしそうなニオイなので、注文の多い料理店で使えるんじゃないか(笑)と・・・・・・
それをどうするかって?
スキンクリームだから、塗るだけです。
ついでに、かかとやひざやひじも・・・・
本当にスベスベになるので面白くって!
新たに味方が増えました。
これで、多少のスキントラブルはまず平気です。
息子のアトピーがひどい頃に欲しかった一品です。この二週間、体調がすこぶる悪かったのは・・・・
責められ、責任転嫁され、挙句に辻褄が合わなくなったから黙っておけ、という結末なので、体調も悪くなるでしょう。
途中を介した人は、皆さん混乱されたようで、その途中経過の人とももめました。
まあ、今となっては、それがきっかけで、一切の付き合いは基本ぶった切れたのでよかったとも言えるのですが・・・・
今回、ぶつかった人は、そもそもが、チャラいところのある人たちだったので、所詮は合わない人たちなんだと実感です。
仕事の例えば、書類などの遣り取り以外は、これでしないで済むので(・・・てか、ずっとそうしてよ、と言ってたのに、正義感を振り回す阿呆が何とか仲良くなんて言うからおかしくなったんだってば!自分はそういうこともできるやつ、と信じたかったんでしょうね。一番最短距離の解決方法を選ばないでぐるりと回るから、余計な人を傷付けたり、混乱をきたしたのです。ちゃんとやります信じてください、なんて殊勝なこと言ってたわりに、事の結末は、他の人につけてもらうなんて、自分で言ったこともしたことも責任とらないなんて、まじっすか?って感じです。ま、もう、人生で数えるほどしか会わないでいい人なのでどうでもいいですけどね!ふん、だ。まさにダウンタウンの「死ねばいいのに!」を使いたくなるシーンですね(笑)実際、言ったところでそういう人って、神経が太いので、簡単に死にゃしませんて!)
ホント、おかしな人って、一人いると、周り中の人に迷惑なんだと実感します。
大学の時恩師が
「あなたたちの中には、お母さんになる人も多いでしょう?いいですか?子供を産んで育てると言うことは、実はとても大変なことです。一人の人間が生まれてから死ぬまでに、どれくらいたくさんの人と関わり合いになるか知っていますか?ひどい人間を一人、あなた達が育てると、その関わりあう人たち全てに迷惑をかけることになるのですよ。母となるときは、どんな仕事より心しなさい!」
と、言うようなことをいわれた覚えがあります。
それを、今思い出している私・・・・
思えば、とても深い言葉でした。
このブログを読んで下さってる皆様に捧げます!

心配でビックリした日(2010.3.1)

それは、突然だった。
上の息子が待てど暮らせど帰ってこない。

既に、時計は7時半を回っているのに・・・・
テスト週間なので、寄り道もしない日のはず・・・
(マンガ本を買うために寄り道した下の息子はさっさと帰ってきているのに・・・・)

さっき、学校に電話をしたら、いつもどおりに下校したと言う・・・
「事故にでも遭ったのか?」
「事件にでも巻き込まれたのか?」
8時を過ぎても連絡がなければ、警察に問い合わせようと思っていた矢先・・・

「ただいま・・・・」
と、息子が帰ってきた。
なんと、ボロボロの自転車を押して帰ってきていた。

雨の中、水溜りでこけて、自転車が激しく壊れて、乗って帰れなくなってしまったのだ。
タイヤも歪んで、押して帰るというより、掴んで帰った・・・と言う感じだ。
学校で携帯電話は禁止なので、持っていない・・・
公衆電話も近くになく、これでも息子は精一杯早く帰ってきたそうだ・・・・
生きた息子の顔を見たら、ホッとして力が抜けた。
学校に再度連絡をして、息子の無事と、事情を伝える。
先生も良かった、と電話の向こうで安堵してくれた。

実は、数十分の間、生きた心地がしなかった。
「早く起きなさーい」「ごはんできたよ」「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」・・・・そんな、取り立てて騒ぐことのない日常の風景が、どれほど大切なものか、思い知らされる瞬間だった。
本当に、本物の事件に巻き込まれた子供たちの親は、あの嫌な気持ちをずっと心に抱いているのだ。私はホッとして、気が緩んだけど、緩むことなく、悲しい現実を突きつけられた人たちは確かにいる。
そう考えると、たまらなくなった。

毎日が宝物で、毎日が特別な日。
生きていることはありがたく、かけがえのないことなのだ。
心配する相手がいること、心配される相手がいること・・・なんてありがたいことなのでしょう。
日常は、本当は非日常で、その恩恵に与っている幸せな自分と対面した。
きっと、「最近、アンタ忘れてるでしょ?」って、ちくりと神様が意地悪をしたのかも知れない。
うん、そうなのだったら、ありがとうございます。
大切なもの、思い出したから。