雑穀ザクザク・・・

5月29日のCPP総会にてたくさんの、本当にたくさんの雑穀をいただいてまいりました。
全部で11種類!
日常的に雑穀を食べているあやま家でもまだお目にかかったことのないものまであり、
どんな料理に登場させようか思案中です。
いただいた雑穀は、
・国産ひえ
・インド産ひえ
・国産あわ
・中国産あわ
・国産きび
・中国産きび
・ボリビア産キヌア
・はだか麦
・黒大豆パフ
・きびパフ
・玄麦パフ

まずはそのまま食べられるきびパフと玄麦パフを味見。
味はあまりありませんが、穀物の甘味を感じるやさしい風味です。

きびパフはとても軽くて口の中ですぐに溶けてなくなるかんじ。
玄麦パフはコリッと歯ごたえがあります。見た目も味も香ばしいです。
両方のパフをバナナ入りのヨーグルトのトッピングにしてみたら、食べごたえがでて
満足感アップです。バナナの甘味がより引き立ちました。

きびパフと玄麦パフはスープに浮かべてもおいしそう!
牛乳や豆乳をかけてシリアルとしてもよいですね。玄米ミルクをかけたらとても合いそうです。

きびと玄麦のパフはこどものおやつにもよさそうです。
・・・うちのピーチ姫もとても気に入り、かなりの量を食べました。
玄米から作られるポンせん感覚で粒を拾っては口に運んでいました。
一粒ひとつぶがかなり小さいので、あまり食べた気にならないようですが、
お皿に広げるといっぱいあるように見えるのでしょうね。喜んでついばんでいました。

今度はひえとあわを使ってみてご報告します。

ペインティング(2010.5.30)

少しの合間を縫っても、壁のペイントを続けている。
実際、塗る時間というのは、さほどかからない。
塗って、乾くのを待って、また塗って・・・・そんな繰り返し。
あとは天気予報と風の具合のみ。
少々、夕方遅く戻っても、マスキングはできるので、窓やドアにペタリと張って、塗る日に備えることができる。
セルフペインティングは、重曹生活にどこか似ている。
ちょっとした手間を積み重ねて、一気にかたがつく。
住む場所を手入れすることは、もう、当たり前になった。
体の動く限り、自分のできることは、自分でしよう、と小さく誓った。
どんどん、年とともに、半径は狭くなるのだろうけど、ずっと円を描いていたい、と思う。

苦しくても楽しくても

少し前の科学記事に、
おもしろいものがあった。

バッタは周りの食糧を食べ尽くすと、
次第に集まり、巨大な群れになる。
群れの個体は、孤立している個体に比べ、
脳の容積が一回り大きくなることがわかったという。

その変化にはセロトニンが関係している、
とのことだった。それでおやっと思ったのだ。

人間にとってセロトニンは、
ストレスに強くなり、前向きで落ち着きのある、
つまり、心身を理想的な安定状態に導く脳内物質だ。

同じ化学物質が、バッタにとっては、
すさまじい餓えと共食いに苦しみながらも、
生き抜くための興奮状態を作り出す。

体の色も、足の太さも、脳の大きさも変わり、
ふだんの緑色のバッタから比べると、
ジキルとハイドと言われるくらい、
黒くいかつく攻撃的なキャラに変身する。

バッタと人間、
それぞれの生き物の体内で、
セロトニンの働く文脈は、
まったく違うように見える。

でもよくよく考えてみると、
その働きはきわめてシンプルで、
ずっと同じなのかもしれない。

環境に適応しようとする自らの変化を、
非常事態に追いつめられて起こすか。
それとも、いつもゲームとして楽しむか。

セロトニンでハッピーになれる人間は、
明らかに後者の生き物と言えるだろう。

苦楽一如。
禅の言葉を思い出すとは思わなかった。
私たちを含め、生き物は、
どこまでこの世のチャレンジを、
乗り越えていくのだろう。

黄砂(2010.5.25)

雨が上がると、黄砂が舞っている・・・・・
途端に、咳がひどくなって、吸入をしなくてはならなくなった。
一体、何が入ってんの???
このアレルギー症状は、黄砂飛ぶ時期に、突然やってくる。
アスベストと同じようなことになる恐れもあるって、何かの記事で読んだ。
そうだろうと思う。
マスクが離せない。
呼吸器の弱い人は、直撃だと思う。
たまらんな~

★黄砂

皆さんも気をつけてくださいね。

虫の知らせ・・・(2010.5.23)

まさか、今月、二度も喪服を着ることになるとは思いも寄らなかった・・・

どうしてか・・・いつでもいいはずなのに、メールを送った。
そんなに大切な内容でもないし、本当に、なぜなのかわからない・・・
すると、その人のお母様が、本当に、そのメールのちょっと前に亡くなったことが分かった。
とても、お世話になった人だった。
お腹に上の子供が入ってるとき、近所のよしみで、何くれと世話を焼いてくれて、子供が生まれてからも、あれやこれや・・・
引っ越してもお付き合いは続いて・・・・入園の時や入学の時の手さげ鞄や、空手の道着を入れるサックも、全部その人の手作りで、子供達は随分と、「お母さんは、手芸が上手なのね」と、ホメられた。
パッチワークの先生だったから、それはね、プロの腕なので・・・上手です!
今も、その手さげと、弁当袋と水筒袋は現役で、子供達のお弁当やお茶を運ぶのに毎日使われている。
代わりと言っては何だけど・・・お料理もとても上手だったから、自宅で取れた野菜や、実家からもらう(とても食べきれないので)たくさんのお野菜を、時々届けていた。
綺麗な人だったから、死に顔もやはり美しかった。
私は、涙が出なかった。
いつもそうだ。
その場で泣いたりしない・・・あとで、家に戻ってから、ふと、その人のことを思い出したときに涙が出るタイプなのだ・・・
お通夜も、お葬式も・・・・穏やかな顔で旅立ったその人を見送るセレモニーは、滞りなく終わった。
残された人は、ただ見送るだけしかできない。
子供の明日の、お弁当の用意をしようと、夜にキッチンで手に掴んだのは、まさに、その弁当袋だった・・・
優しさに溢れた、お弁当箱きっちりサイズの、その袋を作ってくれた時の笑顔を思い出して、ようやく涙がこみ上げてきた。
それまで、どこか信じてなかったんだ。
家族が心配するから、声をあげて泣くわけには行かないけど・・・
静かに、涙を拭き取る作業がしばらく続いた。
たくさんの思い出と、思い出の品が、我が家にはあちこちに溢れている。
玄関の干支の置物も、毎年もらって、一通り・・・・
毎年、飾り続けるたびに、その人を思い出すのだろう。
最初の数年は辛いかもしれないけど、やがて、穏やかな気持ちで懐かしむ日が必ず来る。
母親的な役割を、女性は求めると、心理学で聞いた・・・
私や私の母に欠けていた、細やかな部分を、私はその人に見て、甘えていたのだと思う。
女性的で、主婦の鏡のような素晴らしい人だった・・・
穏やかな顔にふさわしい、穏やかな死に際だったと、家族の人たちから聞いた。
悲しいけれど、良かった、と思う。
家族の人たちの悲しい心が、穏やかで懐かしい気持ちに変わるのが、少しでも早くなることを、遠くから祈ることしかできませんが、どうか、そうあって下さい。
花の咲く美しい季節に逝った人は、きっと皆が笑って過ごしてくれることを望んでいるはずなのだから・・・

悩みのない人なんていない(2010.5.20)

前にもブログで呟いたことがあったかなあ・・・・?
「アナタは何にも悩みがなくていいわね」、と、当時かなり問題を抱えていた私に、たかが失恋ごときで言い放った人間がいた。
まあ、今思えば、あの時は、家族が病気で生き死にのかかっている私と、たかだか高校生の失恋なんて、比べるべくもなく、逆に、友人達に気取られず、明るく振舞えてたのなら、あっぱれ、と自分を褒めてやってもいいくらいなのだが、若かったので、随分とその言葉に傷ついた。
往々にして、若さってそんなどうでもいい事実の積み重ねだったりする。
いつもそうやって、自分ばかり大切にしていたあの人たちは、今はどうしてるのだろうか?
主婦しながら、あそこのご主人はどうとか、うちの亭主はああだとか、これまたずっと批評会を繰り広げてるんじゃないかという想像は、ちょっと・・・できる。

その時その時、人は否が応でも、悩みを抱えていると思う。
悩みのない人間なんていない。
それが、軽いか重いかは別にしても・・・・・。
煩悩はついて回るのだと、久々に会った友人とも言葉を交わしつつ、再度噛みしめた。
でも、悩みというのは、愛しい何かがあるからだったり、何かを始めたり、続けているからそこに生まれてくるのだ。
幸せのバロメーターと言ってもいい。
自分の傍にある大切なものを、改めて「大切」と気がつく作業だったりもする。気の置けない友人とは、さっぱりとしたお付き合いで、変な気も使わないでいいし、きっと一生友人でいられる人なのだが、彼女もやはりたくさんの悩みを抱えていた。
小さなものから、大きなものまで。
人生というものは、ずっとこうして、旅をしているようなものかもしれないね。
少ない時間の中、たくさんの話をして、お互いの近況を報告しあって、懐かしい時間はあっという間に過ぎ去った。
100年経てば、ワタシという存在も、彼女という存在も、忘れ去られ、誰も、存在したことさえ知らない人ばかりになる。
そうして、時間は止まることもなく流れ続け、常に最先端を、同じ時間の中を歩いている人たちを全員連れて一緒に進んで行くのだ。

その友人に
「あんなにいろいろあったのに、いつも明るいのはなぜ?」と聞かれた。
そうだね、どれ一つとっても、それだけで、自殺してしまう人もいれば、離婚したり、体を壊したり、性格がすっかり変わってしまう人もいるんじゃないかと思うくらい、色々なことがあった、と思う・・・確かにね(笑)
いくつかの出来事では、体調を崩したし、ヒステリーを起こしたり、まあ、今思えば、私の極端な部分が露出しまくった。
特別明るいヒトではないと思う・・私という人間は。
ただ、いろいろあったから、多分、幸せ度のセンサーが敏感になったんだと思うのだ。
小さな事やものでも、ありがたいと感じる生活は、誰かと比べたりして、あの人に比べると自分の生活はつまらない、なんて思うよりずっと気分がいい。
今日、アナタに会えたこと、このブログをしたためていること、家族が元気でいること、それはかけがえのない奇跡で、そんなささやかで、うれしい奇跡をまた明日も続けていくのにはどうすればいいか、毎日考えている・・・それも幸せのかけらの一つ。
たくさんのことに今は、手を広げすぎて失敗が多いけれど、それも幸せ。
伸ばせば届くものがいくつもいくつもあるということだから・・・
今は失敗でも、そのうちちゃんとできるようになるでしょ、だって、そうなるように毎日考えているから・・・
失敗も生きてる証拠、と楽しむことにした。
いろいろやりすぎていて、一つことにパワーを注ぎきれていないのも自分の中では承知済み。

死ねばいいのに、と思う人も何人かいるよ、実際はね。
でも、どうだろ?心の中で毒ずくだけなら、誰にも迷惑かからないでしょ?
そんなことを考えてしまう、心の狭い、いやな人なんです、私という人は(笑)
ホントに口に出しちゃったら、それはケンカになっちゃうし、下らないから、口には出さないけど、思ったことは素直に認めることにした。
そうしたら、心はすっと楽になったんだ。
他人にはめられて、散々な目にあったとき、なるほどね、と思った。
心の中まで、自由でいられなくなったら、おしまい。
死ね、と思う気持ちも、道端の花を見て美しくてけなげだね、と思う気持ちも、同じ私の心のうち。
汚い部分があるからこそ、綺麗な部分も認めることができるようになった。
そうしたら、笑えるようになったんだよね。
どっちも自分。
どんなに両極端でも、それは自分自身。

悩んでいいから、逃げないでがんばって欲しい、と思うのです。
いつも正面から、正々堂々たち向かってください。あなたらしく。
思うように行かないのが人生だから、思うように行く為には、色々なアイデアを考えることが、私たちには許されているのだから・・・

振り向いて考えてみたけれど、うん・・・・色々あったときさえ、やっぱり私は幸せなヒトでした。他人からどう映ろうとも・・・・
家族があって、友達がいて、仲間がいて、相談できる場所も、愚痴をバラける場所もあった・・・・それがなければ、不幸な人だったかもしれません。
人同士の作る皮膜は、本当に強い。目に見えないそのつながりが、そこにあるだけで、孤独ではないし、乗り切ることができる。
まあ、まだ私も問題が全て片付いているわけじゃありません。むしろ、山積み・・・・
一つ片付けば、次の問題が発生している、という具合です。
何を持って、生きていることを幸せというのかはそれぞれでしょう・・・・これ、という答えはありません。
でも、生きているだけで幸せというのは真実だと思います。
生きてさえいれば、いつだって、人生逆転ホームランを打つこともできるし、コツコツとヒットで点数稼ぎだってやれるんです。いやいや、そのどっちもできるんです。
ある朝、目覚めることのない日が「死」というものだと、尊敬する人の言葉で学びました。
毎日眠ることは死ぬようなもの。だから、つまり、人は、毎日生まれ変わっているということなんだよ、ということです。
今日の私は、あと何時間かで死にます。
今日の間に、思いのこすことや、やり忘れたことはないでしょうか?
もし、明日生まれ変わることもなく、そのまま死ぬようなことがあっても、それも人生なのでしょう。
穏やかな心、というものは、自分の内にしかないこと、色々な体験で学びました。まだまだ修行の足りない私ですが、毎日穏やかに床に着けるように、鍛錬します。

五月蝿い!(2010.5.19)

今日の、夕方は、一体どうしたのか、ずっとヘリコプターが低空飛行で飛び続けて、うるさいったらない!
行ったり来たり・・・1時間以上も、遠くなったかと思えば、また飛んできて、ずっとバリバリブンブン・・・爆音を轟かす。
五月のハエとは、よく言ったもので、まさに五月蝿いとはこのこと!
雨上がりの爽やかな空気だから、窓を開けていたいのに、閉めっ放し・・・
ようやく、静かになった。
窓を開けて、室内より温度の低い空気に入れ替える。
また、五月蝿く戻ってくる前に・・・・・