わが身の振り方・・・(2011.6.15)

私は、動き始めようとしている。
今居る場所から、次の場所へ。
居心地のいい場所も、ほんの少し混じっているけれど、その比率があまりに少ないから。
何せ、このじっとしていられない私に、動くな、と・・・下らないことから世界の出来事まで、忙しく考えるのが好きな私に、考えるな、と・・・・無茶を言うのだから・・・・・
一番冷静・・・と思われる人と少し、話をした。

―もう少し待てば、と言いたいところだけど、あなたの年から行けば、そんなに迷っている暇も、立ち止まって考える時間もないね。残って得があるとも思えないから、跳べばいいと思うよ。あなたの人生はあなたのもので、あなたのルールには、だれも逆らえないから。だって、私の人生もそうだから・・・・相談もすれば、何度も何度もシュミレーションもするけど、「このままじゃいけない」と思ってることに変わりがないなら、やっぱり動き出してしまうと思うから・・・毎日が満ち足りた上で、退屈なくらい同じ・・・と言うことなら、もう少し待って、と言えるけど、飢えて餓えているあなたは、あなたらしくないから、充分に満たされる場所へ行くべきだよ。前のあなたは、仕事で本当に苦しそうで大変そうだったけど、いつも大切なものを抱えて、幸せそうに見えた・・・―

ああ、そうなのか・・・・私は「飢え・餓え」た人に見えていたのか・・・・
それでは、だめだね。足りてなければ、人から知らず知らず奪ってしまう。望んだ生き方ではないから・・・・・
私は、望んだ生き方をできる人になりたい。どんな状況でも・・・・

大切って・・・・(2011.6.1)

思うことあって、岐路に立っている。

思い通りに行かないことは、世の常なので、そんなことにへこんだりはしないが、詐欺に近い「嘘」をつかれると、根底から、色々なことが覆る。
信じていたものに疑いを持ち、一生懸命だったことが投げやりになり、笑顔が作り笑顔に変わっていく。
何でも適切な時期、と言うものはあって、それをすっかり逃してから、あれこれやっても、再び情熱とでも言うのか・・・やる気は出てこない。
例えば、赤ちゃんにとって、ミルクは適切だけど、大人になったら、それは最高の食物とは言いがたい。
そんなようなことだ。

大切なもののために、がんばることはごく当たり前で、私はこの身がある限り、やってみせたいけれど、がんばるだけでは何ともならないことがある。
少し、フレードアウトして、自分を考え、前に向かって行くための方法を考えようと思う。
私というニンゲンを必要としてくれているところは、ここじゃなかったと、思う日々が続いている。
仕事がしたい、確実に、忙しくしてくれて構わないのに、そうではない現実と向かい合う日々。
スキルは錆びつき、自分ではなくなっていく恐怖。
フレキシブルに動けない日々は、死んでいるも同じ。

ちょっとした事を楽しむ(2011.5.10)

人生、色々なことがあって、まあ、今は大変な時なのだけど、それでも、流され続けるのはしゃくなので、どんな中でも、楽しみは必ず見つけることにしている。
多少の不幸にめげても、その中から、何か掴み取らなければ、起こった出来事を無駄にしてしまう。
仕事に逃げるのは、もっとも安易で、妥当な方法だと、しみじみ思う。
目前にある「何か」を、しっかりとやり遂げ、次につなげる為にはどうすればいいのだろう。
「なるようにしかならないよ」と、私の人生の中で出会ったある人はそう言った。
でも、その人は、いつも、前を向き、やるべきことを行い、天命を待つ、って感じの生き方をする人だった。
清清しくて、憧れてしまうような人、今も、そう。
「ちゃんとした子供時代を送らなければ、ちゃんとした大人になれないし、今ある何かを蓋して通り過ぎたら、それは追いかけてくるよ」と言った。
「今ある何か、は、じゃあどうすればいいの?」とアホな私は彼に聞いた。
「こっちから蓋開けて、追い立てて、追いかけ回すんだ!通り過ぎるときに視界にさえ入らないように、こっぴどくね!」と、そんな言い方をしたのを覚えている。
それは、何だって、全力投球でやれってことなのだけど・・・・そうしたって、うまく行かないことは多々あるけど・・・・やりもしなければ、絶対に成功なんてありゃしないんだってことを教えてくれた。
彼との付き合いも、20年にもなろうとしている。
私は、恵まれた出会いの中で、物事の楽しみ方を、たくさんの人たちに教わった。
私は今、家事を楽しんでいる。

生活の中の仕事は、もっとも身近で楽しめることなのだ。
今日も、私は、チリやホコリやカビを追いかけまわし、先回りして、とっつかまえ、満足している。
私の家事とは、既に、楽しみと化していた・・・・

人を考える(2011.4.25)

たくさんの人に今まで会ってきた。
そういう仕事にピリオドを打ったつもりだったけど、結局また、人と触れ合う仕事についてしまった。
前世で何があったのだろうと、おかしくなる・・・自分のことながら。
楽しいばかりの仕事もないし、高給をもらえば、それだけ仕事は忙しく大変になる。
無論、安月給はそれなりの仕事となるのだ、今の日本の経済状況に照らし合わせれば・・・・・。
また、色々な人にこれからも、仕事を続ける限り、出会い続け、別れ続ける。
私の生活は、その繰り返しになっているようだ。

日本人として(2011.4.12)

忙しいね、4月って・・・
新しい人、新しい肩書き、そんなものを一緒くたにして、4月は爆走している。
相方が仕事で家を空けがちなので、家事も一手に私がやることになっている。
日本人が、略奪をせず、行儀よく並び、耐え忍んでいる姿を、外国のメデイアが驚きと賞賛をもって、報道している。
そうだね、そりゃそうだ。

日本という国は、確かに諸外国と違っていて、ある意味、成熟し、完成された国であるのだから・・・・
つまり、一人一人の人格に関しても、個々で完成すると言うよりは、協同体として、欠けたところを補いつつ、ほぼ完成形となっているということだ。
だから、日本という国では、自己を主張するよりも、和を尊ぶことをよしとする風潮がある。
子供やお年寄りに、ひどいことを比較的しない国民性を備えている素晴らしい国なのだ。
社会学で、色々なコミュニテイや国家と言うものの勉強をした時、私のいるこの日本という国はかなりな特異性を持っていることを理解した。
いいとか、悪いとかではなく・・・・辺境にありながら、奇跡のような国であると言うこと。
私たちは、日本人として、誇りと自信を堂々と持って生きていこう!

大人しいと言われている私たちだけど、それは、エネルギーを内に秘めているだけ。
使うべきときに、それを使うことができる。
今回は、耐えること、我慢することにとてもそのパワーを注いだ。
これから、復興と再生に、すっかり使うだろう。
私は当事者ではないけど、そのお手伝いを何かできれば・・・と考えている。

素晴らしい民族性を、今、全ての人が余すところなく使うべきときだと思う。
がんばろう!

花を愛で・・・・(2011.4.8)

重曹の講座で、大阪へ・・・
そう言えば、このいい季節に、外へあまり出ていなかった。
仕事場と自宅との往復で・・・・・

ふと気がつくと、桜は満開だった。

北の地でも、きっと桜は咲き、耐え・怯える日々を過ごしている人たちに、ひと時の清涼感や安堵感を与えてくれているだろうか?
花を愛で、季節を大切に味わう民族である私たち日本人は、心を和ませてくれる、季節の色々なものたちに、心を預けることができる。
花は喋らないし、咲いた後、散っていく・・・
それは静かに、季節の移ろいを残しながら・・・・

講座が終わって、家族にはすぐに帰ると言っていたけれど、少し寄り道をさせてもらった・・・大阪城の桜を少しだけ、見に寄った。
たった、45分ほどの寄り道・・・
その後、デパートの地下で、晩御飯のお惣菜を買い求め、帰路についた。
花冷えの冷たい空気を感じながら、高松の地に戻ってきた。
高松も、満開だった。

何があろうとも、花は季節を忘れず、咲いてくれている。
私たちも、できることをやりましょう。
物言わぬ花に教えられる日々。

お帰りなさい(2010.4.2)

息子がイギリスから、短期語学研修を終えて帰ってきた。

感無量。

ホストファミリーにもとても良くして貰ったようで、たくさんの思い出話の一部を話してくれた。
そりの合わない英語教師の影響で、英語にすっかり嫌気がさしていた息子だけれど、いい刺激になって、やる気が出てきたようです。
あまり期待してなかったけど、なかなかいい相乗作用となりました。
それは、ひとえに、この体験のおかげ。
息子は、英語浸けの10日間あまりを、充分に堪能したようだ。
でも、やはり、日本がいいなあと・・・・

震災のことなども、あちらでは相当に聞かれ、英語でなかなか上手く表現できないこともあったようだけど、それでも、何とか意思疎通は計れたようだ。

驚きの、高品質なのにお安いティーツリーや、紅茶、チョコレートなど、お土産をたくさん持って帰ってきてくれた。
明日は、おばあちゃん達に渡しに行かなくては・・・・

世界中が今、日本を、いい意味でも悪い意味でも見守っています。

再生しなくてはならないのです。
同じ日本人として、何ができるか、よく考えてみよう。
息子達にも考えてもらおう、日本人として。そうそう、ホストファミリーには、とても美人の年頃のお嬢さんがいたようです。
青少年としては、かなり、恥ずかしかったようですヨ!(笑)