今日は下の息子のクラスのお母さん達と、息子たちと、総勢20人程でお食事会です。
あっという間の三年間。
四月からは、高校生です。
なんだか、すごいな。
この間まで、赤ちゃんだったのに。
いくつか、問題と、課題を抱えた彼だけど、親は応援団しかできないので、自分の力で頑張っていって下さい。
いつも、ずっと見守っていますよ。(*^^*)
お休みの日…雨(2012.3.18)
せっかくのお休みだけど、雨。
息子と相方の花粉症は落ち着いています。
低気圧や、気圧の谷、って単語が、天気予報から聞こえてくると、私の咳は出始めます。
明日から、気の乗らない、仕事がまた、始まります。
私は、あるピアスと、リングをします。
どんなにやる気のないときでも、それらの武器を身につけて、戦闘開始です。
その準備のために、カップに、ぬるま湯と、重曹、アルミホイル、そしてアクセサリーという名の武器を、輝かせるため、放り込みます。
しばらくして、取り出すと、それらはピカピカです。
これで、明日からまた、頑張ることができます。
おうちの掃除に向かない、こんな天気でも、心を晴々とさせるための、ナチュクリはできるもんです。
女の武器、なめんじゃないぞ!
ちなみに、お彼岸なので、お墓参りにも行ってきました。
雨でも、結構な人出でした。
子供の成長を確認する日(2012.3.17)
今日は、子供の成長を、見せてもらえる学校のイベントがあります。
弥生茶会、と言います。
下の息子も早いもので、中学の卒業式まで、もうちょっとです。
このイベントは中学の間だけなので、長男はとっくに終わっているし、ホントに最後になる。
歌を歌ってくれたり、卒業研究発表や、武道を見せてももらえます。
この四月に、入学してくる新中学一年生と保護者、どうしようかな、と思っている、五年生とその保護者も見学するのですが、何年か前、親子で、ここに来て、感心したものです。
その時、どちらの息子も、この学校は好きだ、と思ったようです。
子供が入りたいと願ったところに入れるのは、喜ばしいことですね。
あっという間の三年間、いよいよ高校生です。
なんとかやってます(2012.3.15)
あ、なるほどね、こうやるのか…σ(^_^;)?
タブレット、なんとかかんとか使えるようになってきました。
でも、wifiやその他の名前が、そして意味も、分からない。
皆さん、教えてくださいσ(^_^;)?
お腹が痛い!の日(2012.3.13)
今日は、寒くて冷えたせいもあるのか、お腹が痛かった。
決して、下痢でも便秘でもなく。
でも、いわゆる、女性特有の日ではあったので、それと冷えでそうなったんだと思う。
朝は、時間がなくて、全く対処できなかったんだけど、ようやく、ちょっとした時間を見つけて、トイレに駆け込んだ。
最近は、経血コントロールができているので、二日目にも関わらず、出血はあまりしていず、布なぷの汚れは、ほんの少し。
そして、トイレで、出すものだして(笑)、手に握ってきた精油を下っ腹にするりと塗りました。
お腹全体で、ほんの3滴ほどです。
私は、クラリセージ、普段は、まったく好きではなく、香りも好きではありません。
不思議なことに、生理中と妊娠中は、心地よく感じるのです。
それから、仕事に戻ると、あら不思議、痛みがすーっと和らぎ、ふわりと何かでくるまれたように、下半身が暖かくなりました。
久々に、朝からやっときゃよかった、ってこんころもちでした。
イライラして、物忘れもひどくて、性根にいってないもんだから、失敗が続いたのですよ。
それ以来、急に、何かが変わり、さらっと物事が進み始めました。
来月から気を付けよう。
おつかれぴょん(-.-)Zzz・・・・(2012.3.12)
慣れないパソコン達と、携帯電話に弄ばれ、ちょっとしたメールやブラウザを見るのさえ、なにか疲れて、毎日気がついたら爆睡の日々。
疲れているからこその、ナチュクリ生活です。
さてさて、今日もこうして、タブレットで書いてみるけど、かなり、時間がかかっているのですよ、ジツハ…
でも、やりはじめよりは、相当に短縮されてきているので、がんばりましょう!と、自分をはげましています。
特別な日(2012.3.11)
今日は特別な日です。
心が一杯になっても、悲しさややるせなさがあふれ出しても、考えよう、受け止めよう。
いい年をして、エルメスのお茶碗でご飯を食べてると、アホなことをステイタスと思いこみ、下らない自慢話を話し続ける、いかにも俗物な人がいる。お金と、肩書きと、それで全てを量る。
けれど、あの考えられない状況でも、もの静かに過ごし、子供やお年寄りを優先し、略奪も混乱もほとんどなく、精一杯、冷静に振る舞ったあの人たちをこそ、最高の日本人と、私は誇りたいと思います。
同じ日本人として、私も、あらゆるシーンで、誇り高く、美しい行動を行わなくてはならない、と、思うのです。
あの人たちに恥じないように。
お金では決して買えない、品格という素晴らしいものに関して、家族で、話をしました。直接、あの人たちを助ける事とは、少し違うけれど、生活を考えるとき、大切なことを忘れない人でいようと、そんな結論に至りました。
身を飾り立てる人であるよりも、虚勢を張ったり、下らない自慢話を続ける悲しい品格のない人であるよりも、誰かのために動ける人であるように、世の中に役立てる人間であるように、心の折り目の正しい人でいましょうと、話をしました。
一人一人はとても心弱いので、家族で小さな決めごとを作ったのです。
何かの折りに、そんな気持ちを忘れずに、ものを考えられたら、きっと間違わないと思うのです。
人が死んだあと、自分を飾り立てたものはすべてごみになりますが、誰かのための行動や生き方は心に宝物として大切にしまわれます。高い志や、理想は、引き継がれてさえいくことが往々にしてあります。
私は、あの時の、あの人たちの姿を、死ぬまで忘れることはないでしょう。
そんな風に、忘れることができない人が、世界中にたくさんいることは、紛れもない事実です。
あの姿を見た人は、最初はただショックを受けたり、感嘆や賛辞の言葉を発するだけかもしれないけれど、いずれ、心に響いたそれらは、心の中の何かを変えて行きます。
誇り高く、再興をしていける人たちの姿を見せてもらった私は、小さな事でも、できる何かを見つけた時、素直に動ける自分であるように、心をいつもお掃除して、見通しを良くしていたいと思います。
3月11日が、悲しみだけを思い出す日でないように、来年はもっともっと何か、違った日であって欲しいと願います。