のんちゃん不在

CPPの集まりで、1日・・・早朝から夜まで、のんちゃん不在。
日曜日の休日、子供と主人だけで過ごしました。
夜、帰って台所を覗いてみると・・・・
何を作って食べたか、一目で分かるシンクの鍋釜食器類・・・・。
ぐちゃぐちゃですよ~・・・どっから手をつけよう・・・(T_T)

テーブルもごちゃまんです。
写真には写ってないけど、テーブルにはいろんなものがこびりついている模様・・・・。
こっちもすごい・・・・はあ・・・・・^_^;

それから約30分後・・・・しゃかりきにのんちゃんは働きました!自分もこのテーブルで食事をするために!
夜、9時30分、お掃除開始!
10時ようやく終了!シンクも空っぽ、テーブルもすっきり!
これで、気持ちよく夕食が食べられます!

食器洗いの「ごーん」というかわいい音を聴きながら、夕食にありつきました。男どもに、1日任せると、この↑有様です!
食事を終えた私にてけてけと近寄ってくる愛犬ねね。
うーん、この家で唯一の仲間!そう、女性なんだな!ウーマンパワーでガンバロウぜ!!!!

我が家では、子供は夜9時には就寝の約束なので、今日は到着の飛行機が随分遅れちゃったから、子供たちは寝てしまった後・・・・。
主人は、今日は夜からお仕事だったので、私の帰宅1時間前に出かけてしまった・・・。
私を出迎えてくれたのはこのねねだけ・・・。
でも、すっごくあったかないい気分でした。
この子に、私はいつも癒され、助けられている。
こればっかりは、主人にも、子供にもできないこと。
犬である、ねねにしかできないこと・・・。

自分の人生で、県外の大学に行ってた間以外は、いつもほとんどわんこがいたから、いない生活はどちらかと言えば考えられない・・・。

色々な理由で何匹もの「死」に立ち会ったけれど、しばらくたつと、さみしくて、また飼い始めてしまう。
なにせ、私の父は、かなり変わっていて、「情操教育には生き物を飼うのが一番」というヒトだったので・・・犬以外にも、とっかえひっかえ、あらゆる動物を飼わされた。
野生のものは、怪我が治るまでだったり、落ちた鳥のヒナは、飛べるようになるまで。
水生生物も、陸上動物も、とにかくたくさん・・・。
情操教育になったかは分からないけれど、動物嫌いには育たなかったので、恐らく成功なんじゃないかな?

でも、ねねは特別。
私が自分の家族を持ってから、初めて飼った犬だから。
ペットショップで買い手がつかなくて、すっかりおっきくなってしまったから、もう少しで「処分」されてしまうところで出会って、引き取った。
最初は、人間不信だし、噛み付くし、臆病だし・・・ペットとしては、かなり問題が多くて手こずったけれど、今では子供ともすっかり仲良し。
これも、父のおかげかな・・・・相当に凶暴でも、何とかできるということを、子供のときに習得している。
犬は、繰り返し繰り返し、同じことをひたすら教える。
信用ならない「人間」を、信用してもらうために、ひたすら愛情を注ぐ・・・。(甘やかすのとは違うよ!ちゃんとルールは教えて、犬と人間との距離は保った上でね・・・)

我が家の一番変化する時期に、ただただ見つめてくれていたペット。

彼女の命があとどれくらいあるのか分からないけれど、その間、そっと寄り添っていたい、寄り添っていてもらいたい。
この子といる時の私は甘えん坊だ。
この、生き物の暖かさにほっとして、急に体がほぐれる。
「ヒト」とは違うニオイと暖かさに、確かに共存している自分の存在を確認して、抱きしめる。
彼女も甘えているのだろうけれど・・・・だからお互い様なのかな・・・?

疲れたけれど、充実した1日に感謝。
明日は、子供が喜ぶように、彼らの席に、お土産を並べておこう。
いつものお土産は、一度頂いてすっかりファンになった「芋ようかん」。ちょっと変わったボールペンに「マグロの兜焼き」などなど・・・・明日の夕飯だねこりゃ^_^;

お休み、ねね。
お休み、今日という日。
今日ばかりは、主人が帰るのを待てそうもない・・・先に就寝してしまう・・・。
おやすみ、みんな・・・・。

2月の勉強会(kaoriiikoさん、ぶくぶくベーキング教室予行演習編)2月26日(日)前半

まずは、今日のメイン、kaoriiikoさんによる、すべて英語で重曹、ケーキの作り方を説明する今度のお教室に向けた、練習&意見交換会!

いくら、原稿を書いても、どんなにがんばろうと思っても、こればっかりは、いきなりはうまく行きません(経験を語るのんちゃん談・・・・・^_^;)
しかも、英語で・・・・えーごで説明ですとお・・・????
ま、正直、のんちゃんには敷居の高い話・・・・と思っていたところが、その模様をレポートすることになりました!

そうだよね、いっそ分からない、私のほうが、初心者ドキドキの気持ちも分かって、これはいいのかも・・・?
と思い、早速取り掛かります!
◆クエン酸と重曹によるぶくぶく実験!
この発泡作用のおかげで、美味しいケーキなんかが焼けちゃうわけです。ベーキングパウダーもイーストもなくても・・・・。
◆混ぜます、混ぜます!液体のものをまずは混ぜます!

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◆これは蜂蜜。甘味などを混ぜてるところ

◆卵、溶かしバター、蜂蜜、ヨーグルト、混ぜて、混ぜて、よく混ぜて。

◆粉をふるっています。重曹もここで混ぜ込むんです!

◆クローズアップで見てみよう!

◆なぜベーキングパウダーじゃなく重曹なの?
 なぜ食品添加物が嫌いなの?
 なぜこういうことを始めたの?きっかけは?
 kaoriiiko講師への素朴な質問が飛んできます。
まさに、この講座の主軸となる部分の説明ですね。
がんばれ!

◆そうそう忘れちゃいけない。
ココアパウダーとスパイスも加えますヨ。
うーん既にいい匂い!

◆待ちきれずに、タネをぺろりとなめていたスタッフも・・・・見てましたよーっ!味の感想をここへ書くべしっ!(命令のんちゃんぢゃっ!)

◆それらをあわせて、型に入れ、オーブンへGO!



◆ここからが、CPP流。ケーキが焼けてる間に活躍してくれたグッズたちをきれいにします。洗剤を使わずに!重曹だけで相当キレイです。スタッフなら、きっと石けんさえ要らない事に気づくでしょう!
これは、アウトドア、ひいては、災害時にもキレイを保てるヒントですね!
◆まずは、ボウルの周りのネタを拭うのがポイント!
スパチュラやボロ布が役に立ちます。
ヘラのぴよちゃんも英語では色々な名前があるみたいで・・・・面白いなあ・・・・。

◆その後、ボウルに重曹をサラサラ振り入れます。


◆バターや卵などのぺッタリする油汚れがボロボロ取れます。指でこするとサラサラ。ステンレスの輝きも見えてきて、終いにはこのまま洗わなくてもいいんじゃないかと思えるほどになります。

◆もう合成界面活性剤入りの洗剤で洗う必要ありません。お湯か水ですすぐだけ!

◆美味しいニオイを振りまきながら、焼けました。でも、まだ「wait」・・・・ああ・・この単語が嫌いになりそうです!早く食べたいっ!
◆でも待てよ!竹串にタネがくっつかないかチェーック!

◆おお、よしよし♪

◆いよいよ食べられますよお!さあ、私も撮影を中断します!食べる事に集中!(もはや食欲大魔神に誰も勝てません)

◆最後の一切れがあるうちに、理性を取り戻し、撮影撮影!

◆最後の一切れも跡形もなく・・・・誰が食べたでしょう・・・?

◆ヨーグルトのぶくぶく実験!味と舌感の変化を楽しみます!

・・・・と、誠に簡単ではありますが、予行演習のざっとした流れと写真です。
モチロン、全編、英語で説明なんですよ~。

うーん、アカデミック~^_^;
とってもお勉強になりました。
そして、甘すぎず、スパイスの効いた、美味しいケーキを食べました。
うーん、本番が待ち遠しいですね~。>^_^<
事後報告を待ちましょう~!

今日も土曜日

息抜きに、今日もいつものジャズ喫茶へ・・・。
寒くはないが、風の冷たい日だったので、ミルクテイーをオーダーする。
途中、常連さんの差し入れで、おいしいせんべいをご相伴(^_^)vごちそうさま!ミルクティーは、心も体もぽっかぽかにあっためてくれました(^^)v
貴重な2時間を過ごし、また日常生活に埋没する。
今日は、常連さんたちが仕事をする日だったみたいで、各々がノートパソコンを開いているから、今ひとつ、休むことはできなかったけれど、それでも、充分ストレス解消になった。
なくなりそうなわんこのご飯をホームセンターで買い・・・その他ごみ袋やもろもろを買い込む。
今日、し忘れたことはないのか、明日、足りないものはないのか?そういったことを考えながら、夕飯を作る。
ふきこぼれに重曹をかけつつ、すっかり日常化したナチュクリに目をやる・・・。
前ならこういうとき、どうしてたかな・・・?

なかなか思い出せなくなっている・・・・感覚的に・・・。
ずーっと前からこの方法だったような錯覚さえ起こす。

自然なこととは、こういう風に、いつの間にか生活に溶け込んで、まったく無理を感じさせない。

夜に、夕ご飯を終えると、丁度7時・・・コーヒー焙煎屋さんへ、来週の豆を買いに、久方ぶりに週末の夜に、家にいる主人と連れ立って出かける。

ガラスにくっついたセロテープの跡を剥がせずに、困っているマスターとバイトの女の子。

「お酢でゆるませてから、こすると取れますよ」と、アドバイス。

「どうしてお酢にそんなことができるのかしら・・・?」と、聞かれる・・・。
「それはね・・・・」と、すらすらと、この場合のお酢の特性を口にする自分がいる。
ああ・・・やはり、こんなにも浸透している・・・生活に・・・・。
自分の生活を支えるもの達のことを、もっともっと知りたいと思う。
みんなに知ってほしいと思う。

だから、説明する、何度となく、誰にと言うのでなく・・今日はお酢の日・・・。

さて、やっと取れた日本の金メダルに一足遅れてカンパイ!
先にお酢ドリンクを用意しながら、お酒の準備。

お酒の後、ビネガーを飲むと、体から速やかにアルコールを抜いてくれる。
ほらね、やっぱり今日は「ビネガー」の日。

心のお掃除

あったかかったり、寒かったり・・・・そんな日が続いていて、ややもすると、体調を崩しそうな季節。
去年も、そのまた前の年も、おんなじ様な事を思い、書きとめていた私がいる・・・。

私は、思いついた時に、パソコンに刻んで保存したり、そこにあるスケジュールノートに書き留めたり・・・パソコンに至っては、家と職場とに複数台あるので、あっちこっちに思いつくまま「書き散らす」と言う事が多い。
夏に冬に書いた文章と出会ってギョッとしたり、そんな事もあったのか・・・としみじみしたり・・・・。
ブログを付けさせてもらえるので、今度からこういうことはなくなりそう・・・。
大して、文学的なことを書くわけでもないし、日記でもない・・・そんな雑文を書くことで、脳の中の要らない部分が搾り出されて、ようやくリセットできているみたい・・・。
いっぱいいっぱいの考えが活字に、文字になると、考えがまとまって、仕事が進んだり、ストレスが消えたりするから、私の雑文は、私にとって必要なのだ・・・多分。
読書と言う、他人の思考でモノを考えること、自分のまとまらない考えを文字に落とす事、これらは心のお掃除なんだなと、最近は思う。
一度追った字面は、どこか脳の片隅に残っていて、私を助けてくれる事も多いけれど、多すぎるものは、整理されずにそこに山積みで残る・・。
生理整頓して、いつも取り出せるところへ片付ける事は、ブログというツールを使えばますます楽になったと感じる。
昔の文を読みながら、ブログ用に今、まとめたりしているのだけれど、あまりにも古い内容だったり、まだよく重曹の事もわかってなくて、まちがった解釈をしている自分がそこにもここにもいっぱいいる。

自然の摂理に従った暮らし方をしていると、自然と考え方もそうなってくる。
~だから~しよう。そんな当たり前のことに、以前はたどり着けない事もあった。
無理な生き方は、自分を荒らし、周囲も荒廃させてしまう。

ナチュクリを始めて、一番大きな収穫は、この思いもかけない、発想の転換というところだと思う。

ますます、家にいるのが好きになり家の中の掃除にも熱が上がっている。

ネットというツールと周りの人達と犯罪の気づかない理由

どういうもんか・・・・私は「新人類」と呼ばれ始めた世代の生まれなのだけど、この世代の人達は、ぱっきり分かれると思う。

例えば、ネット・・・・今は色々なことをパソコンにお世話になるけれど、ことにネットは生活に「必要欠くべからざる」ものになってしまった。
未だに扱いは下手だと思うのだが、それでもなくなってしまうと、途端に何もかもが、にっちもさっちも行かなくなってしまう。

ところが、携帯でのメールくらいはするけど、頑なにPCを拒むきらいがある人も多い。
危険だとかまあ、テレビなんかでの悪影響をあれこれ言うわけだけれど、だからこそ、子供が危険なことに巻き込まれないためにも、最低限の扱いは親として知っておかないといけないんじゃないかと言うのが私の意見。

確かに、ネットは悪いところを上げればキリがないが、では、これは悪いからと言う理由で、現代社会からなくなってしまうのか・・・?
否、逆ではないかと思う。
では、この社会から消えないと言う仮定で話をした場合だが、子供はツールを扱うのに、親は扱う事が出来ないと・・・・・。
これでは、何が悪いのか、どこを気をつければ犯罪に巻き込まれないのかがまるで分からないではないか?
判断のつかない子供に判断を任せることこそが、私は怖いことだと思う。

例えば・・・・
「テレビゲームばかりやって困るのよ、お宅はどお?」
これも、実は我が家では困った事はない・・・。
私自身が、テレビゲームもやるので、「テレビゲームばっかりやってないで!」と言うと、「もうちょっと」なんて返事がよく返ってくるけど、「さっさとセーブしないと電源切っちゃうからね!ママはホントにやるよ!」と言う。
大体この言葉ひとつで、苦労して進んだゲームのデーターを消される事を恐れて、5分以内にスイッチを切る。
他のお母さんは、「セーブ(ポイント)」と言う単語さえ知らないようなのだ・・・・。
母が、ゲームに関して、大体のことを知っていると言う事は子供達には大きな抑止力となって働くようで、特別テレビゲームだからと言う事で揉めたことはない。
それを揉めると言うなら、他の遊びでも相当揉めてると言う事になる。

我が家は、家を建てるときに、実は、2階の「子供部屋」(現・家族の寝室)にすぐ、ネットがひける準備をしていた。
でも、それは使わないことにした。
リビングにずらっと機器を並べて、誰でもそこで公明正大にネットを楽しむのが我が家流。

我が家から、(意味のない)プライバシーがなくなっていく。
でも、それこそが、実は現代社会に欠けてしまい、そして足りなくなってしまったものではないのか?

そもそも、思春期と言う理由で、個室を与え、家族から隔離させることのほうが、私はご都合主義だと思う。
実は、そういう不安定な時期の子供と付き合って、こちらがうざったい気分になったり、正面から話をしてもめることを、親のほうが放棄しているのではないか?
要は、面倒くさいと言うそれだけの理由で、日本の家屋は、この「子供部屋」という密室を推奨しているのではないのか?と思う。
そこにさえ押し込めておけば、自分は平静でいられるから・・・・自分の子供に「臭いものに蓋」しているような扱いではないのか?

ふと、本屋でとった雑誌に、ある家庭(ヨーロッパ・・・記憶が定かではないが、たしか、イギリスの中流家庭のおうちだったと思うが・・・)載っていた。
何気ない間取りをちらと見ながら、決定的に違うことに気がついた。
トイレやバスルームといったものは、お国柄もあるので少し日本とは違っていたが、キッチンやリビングもあり、小学生くらいのお子さんが3人いる幸せそうなご家庭だった。
子供の寝室、親の寝室、そして書斎。

でも、日本で言う「子供部屋」がないのだ。

タイトルも「ごく普通のご家庭」というような含みのあるものだったのだが、それは私を大きく揺るがした。

お風呂やトイレは鍵がついている。
それこそがプライバシーの最たるもので、家族間でそれ以外にどんなプライバシーが要るというのだ?

我が家では子供が2人・・・以前は、勉強部屋もベッドも一部屋に押し込んで、いずれはそれぞれのPCまで、そこにセットしようとしていた。
周囲がそうだから、それが正しいと信じきっていた。

でも、よく考えると、一部屋にくつろぐ空間と、遊ぶ空間、勉強する空間が渾然一体になってること自体にかなり無理があるという事に、その時気がついた。
家の中で、それぞれが「ワンルームマンション」に住んでいるようなのだ・・・最近の日本の家は・・・・。
一部屋ですべてまかなえて、外に行く必要のない快適な空間。
まるで母親の胎内のようではないか?

こんな家が増えてき始めてからではないのか?何かがおかしくなってきたのは?
おかしくなったからこんな家に住むようになったのか?

だから、我が家では、突然、子供の成長に合わせて、その「子供部屋」という「穴蔵」から引きずり出した。
自分の足で歩けるようになった子供に「胎内」は要らない。
外の風に当たり、地面の感触を味わい、辛いことや悲しいことも知る。全部自分で消化しなくてはならないのだ。
帰って休む場所、心落ち着ける空間は必要でも、逃げ込んでいつまでも籠もっている場所はとても危うい。
人と触れ合うことを避け、自分を磨かない人間は、いつまでたっても「赤ん坊」と同じだ。
大人としての感覚が育たない。何一つも・・・・。

一体、日本にどの位、心地よく、かつ危ない空間が存在しているのだろう。
メリハリのない胎内で、人は真実を見なくなる。
自分の鼓動だけを聴きながら成長する恐ろしさを、本当に誰も気づいていないのだろうか?

ネットさえ遠ざければ、危険な人間は育たないと言うのか?
ではネットをしている私は危険な人間なのか?
そもそも、ネットに没頭するための空間が揃いすぎている、この日本の「家」そのものが危険な人間を入れておくカプセルのようではないか?
危険な人間を営々と養い育てているのだ。
お金と手間と時間をたっぷりとかけて・・・・。
足元をすくわれるような、ひやっとしたこの感覚は、私だけが感じているのか?

思春期に入る長男は、書斎で、自分の机の周りをマーキングし始めた。
色々なものを机や椅子にかけたり重ねたりして、自分のエリアを主張している。

それで十分ではないか。
あなたのエリアも私のエリアも、それは、でも、地球が私たちにほんの少しの間貸してくれているに過ぎない空間なのだ。
100年後には必ず影も形もなくなっているものだ。

家は随分スッキリしてきた。
本類はすべて書斎に集め、寝室はベッドだけ。地震にも安心だ。
余分なもののない寝室は掃除も簡単。
また、書斎は子供の机と、大人用の大きな机をひとつ・・・合計3つ置いてある。
本棚に、共用の辞書や小説、漫画や資料を並べれば何冊も同じものは要らない。
共用のものと私用のものがぱっきりと別れ、不必要なものをそぎ落とす・・・。

使っていない部屋に不必要なものを集めて、今、整理整頓中。
こんなにも、要らないものに囲まれていた悲しい私たちだった。

ものに囲まれた生活は、実は不便だったのだとやっと分かった。身をもって。

まだ、どう使うか考えなくてはならない部屋があと3つ。
あと半年かけて、この要らないものを追い出し、快適を手に入れようと思う。
ほんの少しの不便が、実は快適で、たくさんの物を使う快適さは実は不便・・・。
ナチュクリと同じ・・・そうなのだ、物の本質はいつでも同じ。
気づいてからいつも「なあんだ・・・」と思う。
「なあんだ・・・」をもっともっと見つけよう。そして、たくさんの本質の根を掘り当てよう。
そうすればもっとシンプルで扱いやすい生活になっていくに違いないのだ。

たくさんは要らない・・・欲しいものを買う生活ではなく、必要なものを買う生活にしよう。

飽食が産んだ日本の狂った構造は、小さな家の中にも潜んでいた。
あふれんばかりのガラクタに隠されていた。
そのねじれた構造を、私は決して許さない。

精油との付き合い方

再び、この精油というものを使い始めたのは、ナチュラルクリーニングを始めてから・・・・。
いつでもどこでも、咳が出る私には必携のニアウリ。ホホバで希釈しているので、すぐに喉や鼻に塗れます。
えっ???捨ててしまうものに、そんな高価なものを入れるんですか?????と思ったのが私の最初の感想。
でも、「天使は清しき家に舞い降りる」の本の中で、カレンさんが精油についての自分なりの思いを綴っているところがあって、その部分を読んで、精油を使う意味を勉強させられた。
お掃除に使うのは、なるほど、その殺菌作用や静菌作用を利用しているだけ・・・・もともと自然のもの、お掃除に使ってもまた自然の中に戻っていくという当たり前のことに深く頷いたのだ。
(勘のいいこのブログを訪れてくれた人は分かると思うけど、合成洗剤はこの逆ね・・・・人工的なものだから、自然に戻るまでに負荷がかなりかかる・・・・)

まあ、いいお値段のする、精油ではあるけれど、市販のスプレー洗剤が数百円という事を考えれば、1滴100円ほどの精油に重曹やビネガーをプラスしてもお値段はさほど変わらない。
変わらないのに、ゴミは出ないし、買いに行かなくてもいい。
洗剤の棚の前で裏の細かな文字を読み、自分の家の素材の確認をして、それからようやくカゴに入れてレジに進む。
そんな事が実は煩わしい事だったと、しなくなってから気がつく。

最初は、ラベンダー・・・一通り色々なものに使い、それから種類を増やしていった。
この頃には、掃除だけでなく、コスメや石鹸、その他のところにも精油を使うようになっていて、消費量もぐんと増えた。
でも、すでに市販品をほとんど購入する事がなくなっていたので、意外にも出費はかさんでいない。そして、何冊も、気がついたら、アロマ関係の実用書を買っていた。
毎日使っていると、自然に効能を覚え、使い回しが上手になり、無駄もなくなる。

些細なマイナートラブルは、このアロマが一手に引き受けてくれるので、病院に通う回数もぐっと減り、自分ばかりでなく、家族にも使用するようになった。

例えば、子供の擦り傷や切り傷・・・。
直接塗れる、ラベンダーかティーツリーを使えば・・・
さっと水でホコリなど、固形の汚れを落とすと、精油を1滴すり込んでおく。
耳が、なんだか中耳炎っぽいと思ったら、綿棒に染み込ませて、くるりと耳の中に塗る。
風邪気味だと思えば、各リンパ節や、鼻、耳などに朝・昼・夜と、1滴ずつ垂らし3日もすればたいていの風邪は屈服する。
これも頂き物。オレンジの精油と一緒に、数年前頂きました。もちろん現役。台所で働いています。

そう、精油は、ありきたりだけど、私たちの免疫力を確実に上げてくれて、治ろうとする力、ウイルスと戦おうとする力を支えてくれる。

植物という、地球の与えてくれた力をほんの少し借りるだけで、こんなにも元気でいられる自分に少々驚きながら・・・。
家族も、最初は、この得体の分からない液体・・・しかもきつくて臭い液体(希釈して使うのだから、凝縮された状態では当たり前だけど・・・)を使う事に少々反発していた。

でも、色々なシーンで使い始めたこの「精油~エッセンシャルオイル」のパワーを少しずつ体感する事によって、あれ?と思うようになった。
そして、最近では、風邪をひきはじめたり、花粉の季節になりそうになると、相方は、「MY エッセンシャルオイル」を持ち歩き、いつでもどこでもたらりと1滴垂らして、その計り知れない恩恵に浴することとなった。

だから、男の人には珍しく、精油と市販の人工香料の違いや、ラベンダーとティーツリーはちゃんと嗅ぎ分けることの出来る人なのだ。

肌・髪・口・・・それらに触れる全てのものを作っている自分という存在・・・それはもう、当たり前になった。
「え?そんなもの買ってるの?自分でツ・ク・ラ・ナ・イ・ノ?遅れてるわね~」
なーんて、言ってみたいものだ。

もちろん、それを夢のまた夢、で終わらせるつもりなんてさらさらないけどね。

アロマとの出会い

この、エッセンシャルオイルというものに始めて触れたのは大学生のとき・・・。
お持ち歩き用「MY エッセンシャルオイル」と、りらっくま!
私は神戸の大学に通ってたんだけど、友人の一人がアルバイトで、異人館の中のひとつ、「香りの館」で勤めていた。
ひやかしがてら、高松から出てきた友人を観光案内してそこを訪れた時、初めて、その小瓶を手にした。
自分の好みの香りが作れると言うことだった。
でも、どれも、あまり好きにはなれず、友人だけが自分の香水を作り、私は遠慮した。

「ただのニオイじゃなくて、色々なことに効くのよ・・・」と友人は言ったが、その頃の私はまるきり信用していなかったし、その小瓶のニオイがあまりに強烈で、こんな臭いもの、とても身につける気にはならなかった。
もともと、あまり香水なんかは好きなほうではなかったし、「香りもの」にまったく興味がなかったから、その話は忘れてしまっていた。
「アロマテラピー」という単語だけ、頭に残っていた。次に出会ったのは、社会人になってから。
仕事やなんやかやで、すっかり体調を崩して、精神的にもかなり落込んだことがあった。
そんな時、私を心配した高校のときからの友人が、プレゼントだと言って、アロマランプとロウソク、そして精油を2本プレゼントしてくれたのだ。
使い方や簡単な効能を書いた本も一緒に貸してくれた。
その時もらったアロマランプ。まだまだ現役です。今の季節、大活躍してます^m^

元来、乱読派で、活字を読むのは好きだったので、あっという間に読み終え、本当にそんなことができるのかしらと、疑いつつ、その小瓶を手に取った。
そこには、ストレスを取り去る作用があったり、安眠できたり、まるで、お薬のように効くのに、副作用はほとんどない。
そんな魔法のような不思議な液体。
植物から、ただ抽出したエキスを集めただけ・・・。
そのいろいろな種類の植物によって作用が違うそうなのだ・・・。
茶色い小さな遮光ビンに、小さなラベルが張ってある。
シンプルで、スッキリしたデザインのそのラベルにはラベンダーと書いてあった。
その花のことも良く知らないけれど、まずはアロマランプに垂らしてみた。
すぐに香りが広がり、嫌なニオイだと思っていたその香りは、ほんの1滴が部屋中に拡散すると、穏やかな、優しい香りへと変わっていた。
心が少し和んだ気がして、それはお風呂にも使えると書いてあったので、私は入浴のたび、垂らしていた。
10日ばかり続けていた時、うっかりお風呂場で落としてビンを割ってしまい、まだたくさん残っていた精油をだめにしてしまった。

これは不思議だったのだけれど、その時は強烈に臭くて、もう、お風呂が使えないんじゃないかと思うくらいひどい・・・と思っていたのに、小さな窓を開けっぱなしにしておいたら、あら不思議、2日もするとすっかりニオイが飛んでしまっていたのだ。
香水なら、いつまでもニオイが残って、随分嫌な思いをしたことがあったのだけれど、その違いに、びっくりしたのだ。

もう1本はクラリセージで、こちらは最後まで大切に使った。
ただ、それから私は、仕事・結婚・出産・子育て・・・合間に忙しいことが山盛りで、アロマポットもしまい込み、すっかりそのことは生活から姿を消してしまっていた。

ナチュクリに出会うまで・・・。