我が家の春休み(2010.3.28)

息子達が春休みになった・・・・
でも、下の息子はずっと部活で・・・・・午前も午後も部活で、お弁当を持って学校に向かう・・・・ジャージを着ていっているだけで、あまり日常に変化はない。
上の息子は、卒業式が終わった次の日から2泊3日で合宿に出かけてしまって、不在・・・・。
春休みと言えど、銘々忙しくて、「休み」という単語はまったく当てはまらない。
で、ようやくの27、28日に、下の息子の友人がお泊りにやって来て、なんとなくそれらしいことになった。
人数が増えると、家の中の空気が、ふわっと変わる・・・
息子の友人は、明るくてよい子なので、家の中はもう一人、いい息子が増えたようになって、子供達もウキウキとうれしそう・・・
手土産まで気を使ってくださって、恐れ入る・・・(^_^;)
むしろ、申し訳ない・・・・・
夜には、私と相方も混じって「UNO」などやったりして・・・・実は、私達も楽しかった。
思春期の息子2人だと、息が詰まるような一瞬もあるのだけど、そういうのが少し和らぐので、他者の侵入というのは、時に,とても喜ばしい。
頂いたものの中で、手に入りにくく、マニア受けすると思われるものなんですが・・・・

そうめんを作る時にできる、端っこの部分なんです!
これが、美味いの!!
近所のスーパーとかでは売ってなくて、たまに町の百貨店や、地物を扱っているイベントなんかで見つけるんだけど・・・・数が限られてるんで、手に入りにくい!
さすが、地元!
うれしくって、うきうきと味噌汁に入れたりしましたよ~♪
もし、見かけたら、ぜひ一度食べてみて!
ちなみに、我が家のお気に入りは、ポタージュに入れることです。
つるん、ぷるんとした感じが、なんかハマるのです・・・・
特に上の息子・・・・クルトンよりこっちが好き!”

節目(2010.3.21)

アップし忘れていたこと・・・・

春分の日、義父の法要が行われた。
もう、この世からいなくなって1年が過ぎようとしている。
桜が咲き始めで止まり、ついでにマリンライナーも止まった寒さと強風の中、何が何でも義父の法要は決行され、一日が過ぎようとしている。
こういうものは、じゃあ来週にしようか・・・というような鷹揚さがないので、困ったもんだ。
黄砂も混じり、何だかざらざらとした感じがとても気持ち悪い。
ようやく終わり、予約してあったある料亭へ、親類達と向かう・・・

これに、次々と、魚の煮つけや、茶碗蒸し、押し寿司に瀬戸の浜の盛り合わせ、魚介のお吸い物・・・・などなど・・・素晴らしく薄味で、我が家の好みにピッタリのお料理が続いて、正直驚いた。
我が家は魚貝派で、お肉は実はそんなにたくさん食べられないけど、お魚ならいくらでも・・・・って位、食べることができる。
なので、しっかりといただきました。
残念なことに、車の運転をして帰らなくてはならないので、お酒は飲めませんでしたが、料理が素晴らしく美味しかったので、どうでもいいや!って感じでした。
おじいちゃんは、そんな私達を見ながら、笑ってたのか怒ってたのか・・・?私は、自分が死んだ後、あまり法要なぞされたくないなあ・・・と、思っています。
生きている今、しっかりと子供達と触れ合ったり、やるべきことをして、塵となりたいと思っています。
法要は、美しい習慣なのかもしれませんが、いかんせん、残された人たちには荷が重いこともあるんじゃないかと思います。私自身が、父方のおじいちゃんは覚えていますが、年の離れた弟が生まれる頃には、もう亡くなっていて、弟は私の知っているおじいちゃんを知りません。
知らない人を敬ったり、祀ったりってのは、実際難しいんじゃないかと思うのです。
私は、知っている人に弔ってもらったら、あとはどうでもいいなあ、と考えています。
死んだのち、人は仏になるというけど・・・・・信じている人には怒られてしまうかもしれないけど・・・・私はそんなことはないんじゃないかと思っています。
何か、宇宙(この地球)のエネルギーの一部には戻ると思うけど、あまり、精神論的なものは信じていなかったりします。
重曹がサラサラと手からこぼれ、水に溶け、海に戻り、また精製されて、手元にやってくるように・・・・
私も死んで焼かれ、分子に戻り、地球の一部となって、微生物に食べられ、もっと大きな生物のエサとなり、その生物の体を作り、時と場合によっては、卵子や精子の細胞となり、またこの世に産まれ出てくるかもしれない・・・・
そんな育みをこそ、私は最近望んでいる。

式典(2010.3.23)

上の子供の卒業式。
この間、小学校を卒業したと思ったのに、もう3年が経過・・・
驚くスピードだね。
まあ、当の本人(&クラスメイトたち)は、明日から、楽しい楽しい春合宿なるものに出かけてしまうので、まったく涙を流すこともなく・・・・いや、息子は流していたよ・・・・・・あくびをかみ殺して、目じりから(笑)!!!
そんな雰囲気ではなく、これからもヨロシクね、という意味合いが強い。
息子の友達達は、そろそろ目的を決めたり、志望校を決めている様子で、今、かなり悩んでいる息子には、ちょいプレッシャーかもしれない。
ああ、でもね、昔から、そういう人だった。
レストランのメニューも、うんとこさ決めるのに時間がかかったし、この学校に来るときも(まあ、あの時は疑心暗鬼なこともあったけど・・・・)実際に、サマースクールやウィンタースクールに参加して、それから行きたいと、これまたとっても時間がかかっていたから・・・・・
悩むのは考えてる証拠。
イラチの母としては、早いトコ決めてよ~んも~・・・と思いつつ、待つしかないので、スタンバっておきますわ!
意外な結末が来ても驚かないようにね。
周囲の友達も、相当に面白いし、かなりハードな勉強が予想されるところを目指すようなので、そりゃアンタだけラクチンに・・・・とは行かないでしょうから。
ま、チャレンジできるのも、今しかないし、しっかりがんばれ、息子も息子の友達達も・・・・・!一旦、自宅に戻って、改めて、彼らの祖母(私の母)のお世話になっている特養へ・・・
とっても喜んでくれましたよ。
とりもなおさず、これは「卒業」です。
10代は、確実に消化されつつあります。
後悔ないようにね!

精神論と現実(2010.3.17)

実際にはどうか分からないけれど、心で思っていることは、実現することが多い。
瓢箪から駒、ってほど酷いんじゃなければ、人類は確かに実現させてきている。
空を飛ぶこともそう、海にもぐることも、宇宙へ飛び出すことさえやってのけたってのは、すごいな、と思う。
そんな、人類にとってのあれこれと言うほど大げさじゃないけど、10年前、CPPを知ったとき、重曹は手になんか入らなかった。
バカ高い、薬局の医療用グレードか、スーパーのアク抜き用の「タンサン」と書かれたg単位のもの・・・・或いは、25キロの業務用・・・・
もうね、どれをとっても使い勝手悪いこと甚だしい!!!
2キロ入りのCPPの重曹に始めて出合ったとき、「ああ~主婦サイズ~」と、ほっとしたものだ。
今では、ドラッグストアや、色々なところで食用の、申し分のない重曹に多々出会える。
これは、大きな変化で、大きな進歩、と思える。
合成洗剤よりも、重曹や石けんを選ぶ人が増えてきてるって事だもの。
私の周囲でも、たとえ合成洗剤を使っていても、補助的に重曹を取り入れる人が増えてきている。
便利さと、安全さで、群を抜いているからだ。
そんな風になることを、10年前、ただ夢見ていた。
夢見ながら、活動をしていたら・・・・・こうなった。
今もまた、全然別のことだけど、夢見てることがある。
10年後に叶ってるとうれしい、と思う。
かなえるコツは、ブレないこと、確実にイメージすること。時々は、10年後を想定して、一人芝居をしてもいいくらいなんだ!(キモい?)
そうすれば、今気に食わない現実があったとしても、それはただの通過点で、ゴールではないと分かる。
努力するべきことや、必要なものも見えてくる。

効率化のジュウソイスト的本質(2010.3.16)

先日、効率化、と言う単語がブログに出て、友人から、「ジュウソイスト的効率化」についてのお話を聞かせてくれい!と言う要望が速攻で届いた・・・(しかもケータイに・・・・)
いや・・・・そう改めて聞かれると・・・・
実は、ほったらかし、が基本なんですよね。
こうやってブログを書いていたり、外に仕事に出ているときでも、家では仕込んできた重曹が、例えばボウルに水とふきんと一緒に入れられ、汚れ落としと消臭をずっとやってくれてる。
夜は寝ている間に、洗濯物の汚れを浮かし、朝に普通に洗濯すると、きっかり汚れを落としてくれている。
とりあえず、ガスレンジに吹きこぼれたり、飛び跳ねたりしたものは、重曹をぱらっと粉のままかけて、時間ができたとき、最短時間できれいにするためにちゃくちゃくと汚れを浮かせてくれている。
水につけた玄米は、40度のお湯の中で、発芽玄米になるために、プロテクトを外し、ギャバに変化させ、私たちの体にとって大切な養分になってくれている。
ビネガーに漬け込んだドライハーブは、これまた休む暇なく溶け出し、そのエキスをビネガーに移してくれている。
仕込んで、後は待つだけ・・・・これが私の効率化。
「ただのぐーたらじゃんか?」と、言われそうなんですけど・・・そうですよ!ただのぐーたらでいいんですって!!!
合成洗剤時代は、まったくぐーたらさせてもらえなかったんですから!
トイレで用を足した後、ビネガースプレーをシュッシュと便器の中にかけておくと、水あかもつかないので、本当に掃除の時間が減ります。尿臭もまったくしません。
ちょっと一手間で、最大の効果を生み出すのがジュウソイスト的効率化です。
ちなみに、これやり始めると、家事はとても楽しいので、家政婦にやってもらおうなどとは思いません・・・・それが一番の効果かと思います!趣味が家事・・・ちょっとカッコイイじゃあーりませんか?

いつも底辺で(2010.3.15)

色々な出来事を、殴り書きのようにブログに記している私だけど、そんな中でも、着実に家事は続いているのです!
洗濯したり、料理をしたり、洗い物を片付けたり・・・・

効率化を図る・・・
と言うのを、今流行の「カツマー」関係の本の中で読んだけど、あれはきっと正しいと思うのです。
彼女は、人にない恵まれた才能を持っている。それを発揮する為に、人と違う結論に至ってしまうのはしょうがないじゃないか、と思います。
まさか、あれらの本を全部買い求めて、バイブルとして、同じようにやれば同じようになれる・・・なんておバカさんはそうそういないと思いますけどね・・・・・
彼女は極限状態まで追い込まれ、そして掴み取った真実だから、彼女にはあのやり方なのです!
エスプリをちょっと借りてくるだけならいいけども、自分の人生と彼女の人生を並べて冷静に考えたら、それは違うでしょ?ってことに気がつくと思うのだけど・・・いかにも無理なこじ付けをして、私はできるオンナになってやりますよ!って人が何だか多い気がする。
そこに真実はあります・・・・だけど、自分に当てはめる時は、モデルチェンジしないと、相当に無理です。
私で言うなら、外資系の企業にフルタイムで勤める管理職ではないし、子供の年齢だって違うし・・・・でも、「効率化」って大切って思えば、生活を振り返ってみて、あそことここをこうしたらどうかしら・・・?なんて考えることができる。
いきなり、家政婦を雇う・・・ってこととはまるっきり違うと思います。
仕事も、家庭も、いい状態にしていたいから、彼女はそうしただけ・・・
掃除をお願いしただけで、後のことをまかせっきりにしたわけじゃない。

私は、家事と言うものは、形にならないものを込めることのできる手段の一つだと思います。
お弁当を作ること、気持ちのいい洗濯物に袖を通せること、ふかふかの布団で寝られること・・・・これは全て、手を抜いてしまうと味わえない心地良さです。
だからって、かかりきりになって、ひたすら家政婦のように働くって事とも違う・・・。
「こいつら当たり前って思ってんな・・・・・」なんて、ありがとうの一言もない家族に思うこともあるけれど、美味しいご飯は皆を幸せにするし、明日への活力も養います。
まず、今ある状態の自分を振り返って、よく考えてみましょう。
省くべきところと、大切にするべきところ・・・・
自分は自分、他の誰にもなれません・・・・著名人に憧れるのも悪くないけど、取り入れられることと、そうじゃないこと、位は自分のオツムで判断しましょうよ。
勝間さんが言いたいのは、案外、色々あるだろうけど世の女性達がんばろうよ、ってなシンプルなことなのかもしれないと、ふと思いました。

弥生茶会(2010.3.13)

行けない年もあったけど、今年はたまたま夫婦揃って参加が可能となった。
息子達の学校の、発表会・・・のようなもの・・・
お茶を点ててくれて、お菓子を頂く。
お昼には、保護者の方達の手作りのカレーも出るので、お昼の心配もなし!
去年は役員だったので、このカレー作りは義務だったけど、今年は役員ではないけれど・・・・でも、お手伝いをさせてもらいました。
だって、手は多いほうがいいし、去年、やっぱり役員ではない方達が、普通に手伝ってくれたのは、とてもありがたかったから・・・
劇や、合唱、ダンスや英語とか古典の暗唱など、普段学校でやっている活動の一部を見せてくれる機会。
上の息子も、中学最後の弥生茶会となってしまったけど、後輩達がちゃんとやっているので、きっと安心したと思う!
ダンス部の下の息子は、数人のダンス部の部員達と軽快にステップを踏み、観客に見せつける・・・・いつの間にそんなことを覚えたやら・・・・
お揃いの衣装や、小物を上手に操り、この4月から入学する、保護者や生徒達も驚かす。

進学校なのに、こんなことやってるんだ、という驚きもあるのだろうと思う。
昨年は、上の息子がてんてこ舞いで、司会やら、指揮やら、走り回っていた・・・
今年は、居合いの説明係で、落ち着いて、一生懸命やっている姿がほほえましかった・・・親やってて良かった、と思うのはこんな時。
自分たちの知らないところで、知らない人たちと育んだ時間が、形になって現われて、とても成長を感じた時。
彼らは、彼らの時間を確実に歩んで、しっかりと前を向いてるな、と感じた時。
あの空気の中で、彼らはとても平和で幸せそうに生きているのを見ました。
(ま、でも勉強はとても厳しい学校なのですけどね!それも含めて・・・)
小学校の時は、ま逆だったから・・・

親やってて辛いときってのは、その時に、じゅうにぶんに味わった。
それは、どんなにか辛くて、痛いことがあっても、決して替わってあげる事もできずに、ただ見つめるしかできないとき。
生きていきたくない、と子供が叫ぶのを、ただ見つめるしかない時だ・・・
あまりに早く、我が家の子供達は、それを味わってしまったな、と今更ながら思う。
人生の、ほんの最初で受けた傷は、深くて、深くて・・・・自分でしゃんと歩き出せるまでに何年もかかったけど・・・・・子供も親も・・・
これからは、幸せな方向を向いて、しっかり歩いていけたらな、と思うし、願わずにはいられない。
一番不幸なことは、不幸に浸っていることだ、と昔何かの本で読んだか、人に聞いたか・・・?
どんな不幸な時でも、未来はあるし、解決はしなくても、終りが来るときは必ず来るという事を、血まみれになりながら、我が家は習得した。
今だって、そりゃ、何もかも順調、なんてことはない。それはどの家庭だってきっと同じ・・・大なり小なり悩みや困ったことはつきものだ。
でも、解決したかったら、傷だらけになっても動かなきゃいけないし、素っ頓狂でも、とにかく始めなくては、終わりはしない。
中には、生ぬるくて、ハッキリしないままで世の中に感謝もないけど、自分も何も働きかけない人もいる・・・。
面倒くさいと、自分だけの世界を大切にし、人と関わらない人もいる。ずるずると、だらだらと、ただ時間が過ぎるのを待つだけの人生をこよなく愛している人を知っている。傷つきはしないだろうけど、ワクワクしたり、ドキドキしたり・・・・そんなことに興味がなく、思い出や人生がワントーンで、カラーバリエーションがない生き方をしている人・・・。
既に、死んだ時間を生きているなんて、よくぞ数ある中から、もったいない生き方を選ぶもんだよね。
いつも周囲が気に入らなくて、あげくに自分で選んだ家さえ、壁紙の色がどーだとかこーだとか・・・・ずっと文句を言い続けて、とうとう友人を次々になくした人もいる。
自分以外愛せない悲しい人が一人でもいると、周囲の人たちはかなりテンションが下がります。
死する生き方は、まったく魅力がないのです。
また、他人に興味を持たない人、と言うのは気がつかずに他人を傷付けています。でも、そういう人は、自分のプライドには敏感でも、他人が傷つくなんて、思ってもいなかったりしますから、ある意味、想像力が欠けている人です。
試しにそんな人と話をすると、決まって持ち物がブランド物であるかどうかとか、ファッションがどうとかこうとか・・・・と、自分を外から飾るものの値段で、自分を偉く見せようとします。教養や趣味がない人に多い傾向です・・・何でもお金で換算しちゃうのね。
いわゆる、秀吉タイプの人です・・・・。(金の茶室は確かにいかがなものかと思うよね・・・・^_^;)教養は、お金で買えないものです。心から欲するところに現われ、追求するものにだけ、その本質を与えてくれます。そして、それはやがて、心に溶け、その人を強くしたり、個性的に鍛えたりします。

我が家の子供は、過去の傷を糧に、将来を考え始めているってことがここ数日の会話で分かったのです。
あれほど痛い思いをした君なら、どんな仕事を選ぼうとも、きっと誰かの助けになるに違いない、と母は思うので、その方向に反対する道理なぞありません。
そして、他人からあれほどの傷を負ったのに、人の役に立つ仕事に就きたい、と言った君を、母は、万感の思いで見つめるしか、できません。
きっと、今ある君の周りの人たちのおかげなんでしょうね、そういう気持ちになれたのは・・・・。
マイナスをプラスに変えるのは、あまりに大変なことだと私は知っています。
人の心の中で、恨みや憎しみ、といったマイナスな思いは、なかなか消えてくれないし、気にならなくなった・・・と思っていても、ふいに生傷が剥がれたような瞬間があります。苦労して忘れようと努力したのに、あっという間にまたその思いにとらわれてしまう・・・そんな経験が多々あります。
未来について・・・そのやりとりを見ていた、君の弟は、また、それを一つの経験として、自分の未来を考えていくんじゃないかと思います。
輝く未来を話せる人が一人傍にいると、周囲も幸せにします。
そんな2人を見ながら、母もこの年でも、何か成長しなくては、と自然に思いました。
ありがとう、息子達!