突然ですがやります(H18・4・14)

忘れたくないし、忘れてはいけないし、こういうこと、結構身近にあること。
今は書きなぐるだけですが、落ち着いたらもっときちんと推敲して、同じ立場の人と語り合えたらなあ、と思います。

2日間、眠れなかった。
どうしても、どうしても眠れなくて、うとうとしたかと思えば、すぐに目が覚める。
こんな思いをしたのは、いつ以来だろう・・・。

いつもの金曜日、私は子供を空手に送って行き、その足で、コーヒー豆を買いに行く。
お勧めコーヒーを飲んで、少し話をして、そして、子供のお迎えに行く。
あと、数分で稽古が終わると言う時、私の携帯が鳴る。
「お母さんが倒れた」
と、突然おばあちゃんの声。
「・・・?・・・」
意味がわからない。
それから後は、突き動かされるように私は動く羽目になる。
いつも、とろとろ、のそのそ動いている私と同じ人間とは誰も思わないだろう。
母は、今夜、カラオケ仲間と、カラオケの先生も一緒に「花見会」と称して、近くの集会場で、お弁当をとって、食事会をしているはずだ。
母にとっては、楽しい趣味の延長で、気の置けない仲間と楽しく過ごすことは、ストレス解消にもボケ防止にも、何重にもプラスに作用している。

その母が、倒れる?一体どこで?なぜ?
おばあちゃんが自分の携帯で電話するのでは、要領を得ない、おばあちゃん自体が相当に混乱しているから・・・・。
そんな日に限って、弟も、仕事を終え、知人と食事に出ていて不在。
私の主人も、仕事関係の会合があった。
そんな週末だった・・・ごく普通の。

でも、母の仲間の中に、しゃきしゃきした人がいて、おばあちゃんを家から連れてきて、同時に、そこから車で30分も離れたところにいる私と弟はとても間に合わないと判断し、すぐさま救急車も手配してくれていた。
おばあちゃんが母の倒れた集会場に着くとすぐに救急車は来た。
救急隊員の方は、すぐに脳疾患と分かったらしく、とりあえずは、行きつけの病院に電話。医院長先生不在、続く昔心臓の手術をした医大にも連絡をしたが、生憎こちらにも脳外科医は不在。

そこで、県下で屈指の脳の疾患専門の救急指定のある病院へ搬送されることになった。
この判断は、後に、ものすごく適切だったことが分かるのだけれど、その時は私はまだ知る由もない。

私はまず、子供を自宅に連れて帰った。
お風呂を自分達だけで用意すること、おばあちゃんによくは分からないけれど、なにか病気になってしまったこと、すでに連絡したパパが、出来るだけ早く帰ってくるから、それまで2人で留守番をすること。そんなことを言い含めて、家を後にする。
車の中で逐一、携帯に何度も連絡が入る、こちらからもかける・・・そんなやり取りを聞いていた子供達は、これはただ事ではない・・・ということはなんとなく分かったらしく、鍵も閉めてくれ、すべてをちゃんとするからね、と約束してくれた。

戸惑ってはいるが、なぜか、冷静な自分がいる。
昔から、「しっかりしたお嬢さん」と言われていたのだが、それは実は、かなり私がにぶちんだからなのだ。
こういう、一大事が起こっても、かなり後で感じるタイプなので、その時、その場では冷静に見えるだけなのだ。
うれしいことも、悲しいことも、全部、「あとで」・・・。
損なのか、得なのか、よく分からないけれど、今は、そう言う鈍感な性格を持ったことに感謝しつつ、車を病院へ走らせる。

そんなには見かけない人たち

少し前の話になる。
春休みの最後の日、子供達とうどんを食べに出かけた。
【黒○屋今里店】。
うどんを食って、ライターをやってる割には、こだわりがないのね・・・と言われそうだけれど、そう、そんなヘンなプライドなんてないの。

よく、味がどうとか、コシがどうとかうんちくをたれる専門家ぶった人たちがいるけれど、まあ、そういう意見は、参考にはしても信じてはいけない。
まず、その人たちの舌が人より優れてるかは謎だし、もしも味がわかる人でも、個人の好みというものもある・・・。
仮に、少々のびた麺でも、少々塩っ辛い出汁でも、おいしく「頂きます!」と元気に家族で食べれば、そこそこ美味しいものなのだ。
料理なんて、そんなものなんだから。
特に、喉越しでうどんは食べるなんて、わけわかんないガイドブックには辟易している。
そんな讃岐の人はほとんど見たことはないし、普通に咀嚼してますって!胃カメラじゃあるまいし・・・。

なので、我が家でのうどん屋選びの鉄則は、「早い・安い・サイドメニューが豊富で薄味・味はそこそこ以上・交通アクセスがいい」となっている。
そういう条件を上記の店は満たしているので、よく利用する。
外食とはいえ、下手に家で作るより安くすんでしまう事さえある、讃岐七不思議のひとつなのだ(じゃ、他の六つって何?ときかれても困るけど・・・)。

ところが、この日は、ちょっと・・・な家族連れがいた。
今時、そんな言い方をしてもいいのか「茶髪」で、「厚化粧」の「ヤンママ」っポイ人が入園前の子供2人を連れていた・・・。

個人の自由というものと、公共で許容される範囲というものがあって、それらのバランスをとりながら、私たちは生きてるわけだけど、極端にそのバランスが悪そうなファミリーだった。大衆向けのこの店は、年齢層もバラバラで、いろいろなグループにお目にかかれる。
大衆向けにも関わらず、完全セルフではないので、ゆっくり座っていられるのがうれしいし、マンウォッチング好きの私は、うどんをオーダーして待ってる間もかなり楽しく過ごすことが出来るお店なのだ。
セミセルフのお店の楽しみ方は、こうでなくてはならない!の見本みたいなお店なのだ。

お店に入ったとたん「キャーキャー、ワーワー」と耳をつんざく子供の声。それに伴って、「あほ、やめなさい!止め~ってようるやろ(止めなさいって言ってるでしょうの意味)」という、大声でわめき散らすその母親とおぼしき女性の声。

彼女はかなり器用だった。
与えられた五指と2本の腕を余すところなく使っていた。
右手でお箸を持ち、時々前髪をかきあげながらもうどんをちょろちょろすする、そして左手でタバコを持って、うどんの合間に煙を吐いている。
この後、この人は、更に、テーブルに置いた携帯をピポパと押しながら、左の肩に携帯電話をはさみ、今度は喋りまで入れるのだ。
これほど四肢と五感を張りめぐらしながら、すべてが何も実っていない人をそうは見たことがなかったので、珍しい人だと思って、それからもずっと観察させてもらった。

とにかく、そういうわけで、自分がしなくちゃならないことに精一杯だったようで、子供はほったらかしで、そこいら中を縦横無尽に駆け巡る。

子供達がやったこと
店員さんの邪魔、ファンストーブに登ったから安全装置が働いて止まってしまう、外へ飛び出して、駐車場に入ってきた車に急ブレーキをかけさせる(親はついていかない・・・忙しいので・・・)、コップを割る、勝手に冷蔵庫からジュースを出してなめる・・・等等・・・。

そして、先ほどから彼女が電話をして、呼び出していた、子供達の父親が登場した。
黒のつなぎにちょび髭さん、細くカットした眉に、パンチパーマ・・・いや、別に、ファッションはいいのだけどね、どうでも・・・。
でも、割と、コワ系なのに、子供に注意はやはりしない。
いや正確には声だけはかけているのだが・・・「静かにせえよ。」「じっとしとけよ」・・・でも、全然子供のほうも見ないし、手も足も出さない。
挙句に、「こら、後で覚えとけよ!」と、子供達のママと言う有様だ・・・。
後じゃなく、今どうにかできないもんなんでしょうか・・・?

このような種類の人達が、日本のスタンダードレベル?
いやいや、そんなはずはないんだけど・・・・。

でも、静かに密かに増殖中なんだろうか・・・・・?

考えてると頭痛くなってきたので、週末に借りてきた「ハンニバル」と「レッドドラゴン」を早く観てしまおう。どちらも映画を見逃したから・・・。(子供と行けるジャンルではないもんね・・・・^_^;)

え?アンソニー・ホプキンス?誰が何と言おうと、大好きです!<(`^´)>ハイ!

意外なところで

先日、葬儀やお通夜のお手伝いに行っていたことはブログでご報告済み。
そこでの出来事・・・。

まあ、とにかく、普通のお宅なので、多分、そうだろうとは思っていた。
とても整理整頓されて、あまりにきれいな台所に驚いたけれど、でも私には耐えられない事がひとつ・・・。
ナチュクリをされている方にはもう、お分かりだと思うが・・・そう、洗剤なのね、洗い物が・・・。
これは、もう、ずっと忘れていた事だけれど、私の手は、そこでのたった一度目の洗い物で悲鳴をあげた。
比較的荒れていない左手ナチュクリを始める前、食洗機を使おうと使っていまいと、ほんの少し直手で洗い物をすると、この主婦湿疹と言うものに悩まされた時期がある。ハンドクリームを塗っても塗ってもいつもカサカサで、ゴム手をはめればはめたで、そのパウダーで荒れた。
カサカサの下から湿疹が出来て、痒くて痛くて、たまらなかった・・・。

その時の感覚が、その一度の洗い物で蘇ってきた。その洗いものが終わるが早いか、「すみません、ちょっと家に忘れ物をしたので取りに帰ります」という言葉を残して、自宅にダッシュ。

家に着くと、すぐさま、液体石鹸と重曹とお酢を取り出し、クリームクレンザーを作成してタッパに詰める。
そして、シェイカーに入った重曹と、ビネガースプレーと、アクリルたわしをポリ袋に放り込んで、またとんぼ返り。

他のお手伝いの人たちに「私、合成洗剤がダメなので、これでやらせてください」と切り出す。
みんな「?」と思うけれど、別段困りはしないのでそれで構わないということになる。

一緒に洗い物をしている人たちや、周りで見ている人たちが驚く。
お通夜などで出すお料理は、ほとんど油モノがないので、熱めのお湯を洗い桶にためて、そこに重曹をひとまわし。
汚れ物が来ると、そこへどんどん突っ込んでもらう。
こびりついたものだけ、クリームクレンザーであとは、重曹水に浸けて、ほんの少しの重曹をシンクに落とし、ちょいちょいとつけてこするだけで、お皿はピカピカになる。横に、狭い幅のシンクが着いているタイプだったので、そこにほんのひとまわし、ビネガーをたらしたゆすぎ様の水ためを作る。
今度はそこへどんどん放り込んで、一気に栓を抜いて、流水で軽くすすぐと出来上がり。

本当は、これでは私は物足りないのだけれど・・・・だって、きれい好きな人は、これらの作業を、食べ終わってすぐ、時間を与えずに遂行する。
本当は、重曹に漬け込むのはもっと長い時間が望ましいのだ。
そうすれば、シンクに重曹をたらしてこする必要もないのだけれど、皆、合成洗剤的な考えしかないので、こうなってしまった。

それでも、100%の実力を出させてあげていない重曹なのに、皆が驚いた顔をした。
泡切れがよく(当たり前だけど・・・・^_^;)、ゆすぎが短時間で、しかもピカピカになる食器たちに驚かない人はいない。
手は荒れないし(むしろしっとりした人も・・・)、ヘンな匂いもしない。

このお手伝いの人の中には、以前、うちのおばあちゃんが重曹を分けてあげて、きれいに鍋の焦げが取れた人がいた。
小さな頃から私をよく知る、幼馴染のお母さん。
だから、その威力は、証明済み。
私よりも熱心に、いかにすごいか説明してくれている。
ついでに、ビニールのテーブルクロスカバーもちょいっとクリームクレンザーでこすったら、そこだけ新品に戻ってしまった。
汚れを巻き込んだ茶色の重曹にビネガーをスプレーして台拭きで拭き取ったら、何も残らず、汚れだけが取れたのだから、それは驚いたろう。

そうして、いよいよ、重曹ってすごいでしょ・・・・と熱く語るのんちゃんがいたのでした・・・いつもの事とはいえ、重曹の事を話し始めると、本当に止まらないので困ってしまう^_^;

茶渋も、長い間使っていないからくすんでしまった食器も、すっかりピカピカ真っ白になって、お通夜のお料理は次々と、つつがなく、皆様に運ぶ事が出来たのです。
そして、食べて終わった食器も、調理道具も、まな板や包丁も、すっかりきれいになって、また、次に気持ちよく使えるのですもの・・・。

そのうちの2人ほどが、まだお若く、熱心に聞いてきて、そんな事にも、こんな事にも、幅広い使い方のできる物質である事に驚愕した。

目前で行われている事は、まるで手品のようで・・・と言われて、おかしくなってしまったけれど、それはそうなのでしょう。
まだまだ、私の努力が足りないけれど、こうやって、自然に、無理なく広めていく事は可能なのだ。
たまたまだったけれど、こういう機会、これからも大切にしたい。

ちなみに、悲鳴を上げた私の手、ハンドクリームを塗り倒して、ようやく健康を保っています。
ああ、恐かった・・・^^;そんなには荒れているのは分からないかなあ・・・?まあ、随分ハンドクリームで改善したものね・・・。

ずる休み・・・・・

・・・って、本当にそうしたわけではないのだけれど、今日は午前中、お仕事を休ませてもらった。
私だけではなく、フルタイムで働いてるお母さん達にとって、休日と言うのは、色々な意味でリセットする日になる。
ナチュクリを始めてから、それは大げさな作業ではなくなったけれど、それでも、1日うちに居る日でなければ、布団を干したり、犬小屋の徹底掃除をしたりはなかなか出来ない。

週末にご近所のかたが亡くなって、お手伝いに行っていたので、リセットも何も出来なかったから・・・。

だから、午前中だけお休みさせてもらった。

前もって、あちこちに「技」を使っておいたので、実にスムーズに事は運んだ。
週末はどうしても急ぐ、子供達の給食エプロンや体操服なんかを優先して、最小限しか洗濯をしなかったので、昨日の夜から、洗濯機は5回・・・・回りっぱなし。
とにかく山盛りの洗濯物だった。週明けは天気も悪かったしね・・・。

午前中かかって、山盛りの流し台がすっきり片付き、山盛りの洗濯物もさっぱりときれいになり全てベランダに干され、床に溜まったホコリはなくなり、ホコリっぽいベッドのマットははたかれ、トイレはピカピカ、お風呂の湯船についた水あかも、壁や床に出来かかっていたカビもなくなり、家中の窓をあけ、新鮮な風を通し、すっかり生き返った。

そして、最後に、ホコリっぽくなった自分の服を着替え、仕事に出かけた。

ああ、さっぱりした!
リセット完了。
仕事場にうきうきと出かける幸せ。
気持ちのよい生活があってこそ。

行ってきます。

桜の季節に

強風で散り始めた桜の花びらと石段。雨でしっとり濡れた感じが風情あります。
突然、外にいるとき、携帯が鳴った。
実家のおばあちゃんから・・・。
ご近所のSおじいちゃんが亡くなったから、早く帰ってきなさい・・・。
あわてて、帰り、そのお宅に駆けつけると、なんと、亡くなったその日に、おばあちゃまは怪我をして、入院、手術をしなくてはならないと言う。
もう既に嫁がれていたので、私はほとんど見たことのない、そのおじいちゃんのお嬢さんたちが、おばあちゃまに言うか言わざるべきか・・・随分悩んでらした・・・。
同じ年代を生きてきた、年配の方達が「言ってあげないと、それはあまりにかわいそうだよ」とお嬢さんを諭す・・・。
随分悩んで、お嬢さんはそれに従った。
病院に行かれて、何時間も帰ってこなかった・・・。
午前中に家を出て、夕方帰ってきた。
私達、お手伝いの人が作ったおにぎりを「ありがとう」と言って、口に運んだ。
「お味噌汁がほっとする・・・とても美味しい・・・」そう言ってようやく重い責任を果たしたことを私達に告げる。
娘として、大変なことだったのだ。
父の死を手術の間近な母に告げると言うことは・・・・。想像するに余りある責任と重圧だ。
私達は、お通夜に来てくれる人達や親族の人達の食事を用意するだけしかできない。むかしの頑固な男を絵に描いた様な人だった。
亡くなったうちの父といくつかしか年も違わないし、どちらが頑固だったか・・・それくらい頑なで、でも昭和と言う時代を生き抜いてきた人だった。
うちの子供達がもっと小さな頃、2人でつくしをつんでいると、「おっちゃんの畑の横のほうがよっけ(たくさん)生えとるぞ」と言って、そこでつませてくれた。
もっと小さな頃、砂場で遊んでいたうちの上の子供が「かわいげ(かわいらしい)な顔しとるけん男の子か女の子かで、昨日の晩、夫婦喧嘩になったんで。そうな、男の子、私の勝ち!」とおばあちゃまは笑ってらした・・・・。

登りきるとこんな景色。横には小さな、でも美しいお話を持った瑠璃寺というお寺があるのです。また一人、私の周りの人が手の届かない場所へ行ってしまった。
葬儀の間も、通夜の間も不思議と涙は出ない。
いなくなったと言うことは、すぐにはなじまないものなのだ。
そこで、横たわった亡骸を見ても、それでも現実からは程遠い・・・。
私の目の中には、いつもキャップをかぶって、つなぎを着て、日に焼けて、せっせと田畑を手入れしている姿しか残っていない。
時折、休憩に畑のふちに座りながらタバコをふかしていた。
ぶっきらぼうで、すぐに「わしは学がないけんな・・・」と言って、でも、近所の男の人達をまとめることの出来る人だった。
そしてそんな時、いつも、私を見るたびに「こんなんは、ほんまは、あんたのお父さんやおじいさんの仕事やったのに・・・先逝ってしもうて・・・わしが仕方なくやっりょんで・・・」と、おじいちゃんや父を思い出させてくれる人だった。
私を未だ名前に「ちゃん」付けで呼ぶ、数少ない人の一人でもあった・・・。

私は2人父がいたようなもので、おじいちゃんも父だった。
相次いで2人の父を亡くしてから、周囲の人達に父の残像をかぶせていることがよくある・・・。

私の2人の父は、広葉樹が色付く、紅葉の季節に亡くなったけれど、Sのおじいちゃんは桜の咲く季節にそちらに行きました。
私はまだこの世に遣り残したことが多すぎるので、それらを済ませてから・・・・まだ、随分と先になるでしょうが、いずれ逝きますから。
暇つぶしに、そちらで、2人で意地の張り合いや、喧嘩を是非やってくださいね。
きっとおじいちゃんは「大人気ない・・・」と取り合わずに横で知らんぷりをしているのでしょう。
あなたは、空は好きではないでしょうね。
土が好きだった。不思議なほど、うまく植物や土と会話して、母にその技を伝授した。
だから、母は、今でもとても上手に何でも作ることが出来ますよ。
父は木が好きだった。ようやく、自分の庭を持ち、これからその知識を分けてもらおうと思ってた矢先に、遠くに行ってしまった。

夕方遅くに初七日が終わって、3日間できていなかった犬のお散歩に出かけた。
ずっと前に、まだ元気だった父達、近所の男の人たちで植えた桜が今満開です。
すっかり大きくなりました。
いい季節なのに、悲しみに耐えている人が確かにいる。
来年も是非、美しく咲いてください。
桜の木に心で話しかけました。
来年も、再来年も、そして、秋には葉を色づかせて・・・。
あなたを見ながら、たくさん思い出したいことがあるのです。まさに今、満開です。小さくて、細い苗木だった頃からずっと知っています。毎年ありがとう。今年からはあなたを見ると涙が滲んできます。

祝HP開設、そしてご縁と糸

のんちゃんとのんちゃんの相棒が、コーヒーに関する認識を新たにしたコーヒー豆やさん(喫茶店じゃないのよ~カフェでもないのよ~「コーヒー豆屋さん」なのよ~(^^ゞ)のHPがオープンした!
     ↓
http://www.baisenmoto-waraku.com/shop.html

酸っぱいと思ってたキリマンジャロはまろやか、苦いと思っていた深入りはほんのり甘く・・・・コーヒー好きの人には当たり前だったのだろうけど、私にはそれが斬新だった。
そして、コーヒーこそ好きだったけれど、豆を炒ると言う事まではあまり考えていなかった相棒も、これはすごいと、ここのコーヒーのファンになった。
ほぼ毎日飲んでいる。

金・土・日の週末のどこかの時間に、私と相棒は必ず出没する。
もし、恐いもの見たさで、のんちゃんをこっそり覗いてみたい地元人はここで野生ののんちゃんが見れます(パンダじゃないって^_^;)。
今は、奥さんのみささん産休につき、マスターとあいちゃんを相手に愚痴ったりしてます。
でも、なんて言うのか、ここで、今週のおすすめなど1杯味わってると、話さなくても「まったり」してきて、頭も体も軽くほぐれます。

マスターの集めてきた、人の手を経てきた古いものたちや、たくさんの豆を見ているからかもしれない。
本当はいけないけど(長居は基本的に禁止なのですもの・・・)、前に、一度軽く寝てしまった事さえありますわ^_^;
とっても疲れているのだろうと、見て見ぬふりをしてくれていました。

これも一種のアロマ効果だと思うのだけれど、コーヒーのアロマは、癒されます。
眠くなると言うより、落ち着く、という感じ。

毎週、おすすめと定番の2種類を買い求め、家に持ち帰る。

本物の味、を見つけたときはとにかくうれしい。
そして、こうやって、買い求めることの出来る距離にその場所があることに、感謝をする。
「運命」という自分で動かせないような、重いものを信じてはいないのだけど、「ご縁がある」という言葉はいい。
ふと、自分のところにたどり着いたご縁を、大切に大切に、明日へと繋げていければよいのですけれど・・・。

この「ご縁」の糸は細い。
最初、限りなく細くて繊細で、大切に大切に扱わないと、見えなくなるし、うっかり切ってしまうこともある。
時間をかけて、少しずつ、糸を巻くように、太くしていったご縁は、まるで絹糸のように美しく輝いて、お互いの間に素敵な共鳴が行ったり来たりを繰返す。

たとえ、そこまでに成長していても、【ぶちっ】とあちらから、あるいはこちらから、ご縁を切ってしまうものは、結局のところ、「ご縁」がなかったのだね。
それは積み重ねた時間や、たくさんの言葉、思いやり、それぞれの希望・・・そんなものを軽く飛び越え、壊してしまう。
美しい輝きはあっという間に汚らしい色に変わり、腐り果ててしまう。
もう一度紡ごうと思っても、もう2度と同じ糸は紡げない。

それほど繊細だから、丁寧に丁寧に紡いでいこうと思う。
美しい糸は、もうすでにたくさん私の周りに集まってきている。
まだまだ細くて、繊細だけど、大切にしていきたいものばかり・・・。

本を買ったので・・・・

以前、スタッフトークで話題になった、辰己さんの本を買った。
買ったのは2・3日前なんだけど、ようやく全編通してDVDを見て、堪能した。
実は、紹介されるまで、名前を覚えていなくて、よくよく調べると、この方の本を1冊、私は持っていた。
何年も前に買った本だったけれど・・・。
当時の私は、読みはしたが、実践はしていなかったようだ・・・本が汚れていないもの・・・。

食材に手をかけ、すばらしいスープという完全食品に仕上げていく様は、「プロ」以外の何者でもない。
「美味しい」だけではない、その料理は、体の中で健康を形作ってくれる。
毎日口にするものを、これほどまでに手間ひま、そして時間と愛情をかければ、もう、それだけでフルコースだと思う。
最近、スタッフの一人から「取り入れることより、必要のないものは摂らないほうが調子がいい」という言葉を聞いて、なるほど・・・そのとおり・・と思った。
だいぶ、ヒーリングが上手になって、自分の体に必要なものを見分けることが出来るようになってきた。
必要のないモノも・・・。
それは「好き嫌い」というものとは全然違っていて、体が受け入れるものと、受け入れると負担がかかるもの・・・とに分かれる。
誰かにとって必要でも、私の体は拒絶するものがあるのだ・・・。
或いは、ほんの少しだけで、たくさんはいらないものもある・・・。
また、調理法によって、生ではだめでも火を通すと途端に体が喜ぶものや、その逆。

家族はそんな私につき合わされてるに過ぎないけれど(他人のまではヒーリングできない・・・)、それでも、以前より随分体の調子がよくなってきている。

今、一番恐怖を感じている食べものは・・・「肉」。

どうしてって?
いつもは、コープの共同購入で買っている私だけれど、先日、足りなくなって、でも、どうしてもシチューを作りたくなって、スーパーでごく普通にパックされているものを購入した。
そして、いつもの手順で、いつものように作ったら・・・子供が美味しくないという・・・。
まず、生煮えみたいで噛んでも歯ごたえがないという。
もちろん、しっかり火は通っているのですけどね。

そして、歯医者の味がするというのだ・・・。
「そんなはずは・・・・」
と思って、私も口に入れてみると、なるほど・・・恐らく、味覚が鋭敏でない人には分からないかもしれないし、カレーだったら私達も気付かなかったかもしれないくらいかすかにだけれど、薬っぽい味がする。
これは、漬け込みに使うハーブなんかとはまったく違うものだ・・・。
よくぞ、これを嗅ぎつけたものだ、と思うのだけど、それが気になり始めると、確かに食は進まなくなってしまった・・・。
まったく残飯が出なくなった我が家には珍しく、鍋1杯分、シチューを残してしまった。
3回に分けて、肉だけ取り分けてねねに食べてもらったけれど・・・・・。
結局、それからあわてて作ったワカメのおすましと、生野菜を塩で揉んだ即席サラダ、と、メニューは変更。
焼き魚はすっかり冷めてしまったけれど、そのほうが美味しいと、子供はパクパク食べた・・・おかわりをして・・・。
あの臭い肉はなんだったのか・・・?
でも、2度と食べたくない。
子供にも食べさせたくない。

手をかけなくても安全な素材でできた料理のほうが、時間をかけても毒(?)を入れた料理を食べるよりは、うちの子にとってはましなのだろう・・・。(シチュー、時間かけたのに・・・(T_T))

辰己さんの料理は、無駄と無理のない時間をかけた料理だ。
スペアリブを3日かけて仕込んで寝かせているところあたり、ちょっとナチュクリに通じるし、辰己さんの調理器具が、ホーローが多いところもとても近しい感覚を持ってしまう。
辰己さんのメニューを実践しようと考えると、仕込みその他があるので、大体1週間のメニューが決まってくる・・・。
結局、忙しい生活の中でもスローライフが楽しめるというわけだ。

食べてみたい料理って何?
「辰己さんのスープ」
家族に食べさせたい料理って何?
「辰己さんのスープ」

さて、仕込みをしましょうか?