三往復

久々に、病院を3回訪れる・・・。
朝、一番に、支払い。
午後から定期便。その時に、いくつか足りないものを持ってきてくださいと言われる。
なので、買い物をして、また病院にとんぼ返り・・・。3回目・・・。

その合間に、銀行や郵便局に、本人がこうなってるのですが、どうすれば定期など解約できるのか、相談に行く。
委任状さえ書けない母の預金の引き出しはかなり大変で、私たちでは解約できない。
こういうもしもの時のための預金が、定期にしていた事で仇になる。

成人後見人制度を利用しないと、今後スムーズにいかない様なので、知り合いの行政書士に近々お願いに行こうと心に決める。

高額医療請求は、弟の健康保険組合はかなり手続きが楽で、領収書のコピーやらなんやらをつけて出せば、簡単に請求できる事が判明。
勝手に弟の口座に振り込まれるという事だ。
ひとつ、事務的な手続きが終わる。

また、民間の生命保険は、母のは古いので、退院して後でないとおりないタイプ。退院したら所定の書類に病院で記入作成してもらい提出。
それで、こちらも勝手にお振込・・・と。これで事務的な処理がもうひとつ解決。

困っているのは、母の年齢が微妙で、障害者保険を作りながらも、老人介護の手続きも、一緒にしなくてはならないという事。
障害者は、認定が出るまで数ヶ月かかったりするし、普通は厚生年金なら各、保険事務所、国民年金なら市町村役場で手続きをするのだけど、弟のはどれとも違うので、これは健康保険の組合に相談中。早く結果を知りたいところ・・・。
これで、遡って、一定の補助金がもらえる仕組み。

また、この病院は3週間しか置いてもらえないので、次の病院をそろそろ探しに行かなくてはならない。
医療ソーシャルワーカーに相談すると、退院の日が大体決まったところで、連絡がもらえるそうで、その時、いくつか病院を教えてくださるという事だった。
かなり難しいのだそうで、医療的な処置も受けながら、リハビリも可能なところ・・・。
いや、あるにはあるが、とても遠いところだったり(車で1時間弱かかる・・・これじゃ毎日通えない・・・)、入院待ちの人が多くて、しばらくは在宅介護も必要になる時もあるらしい。

こんなに次々、事務的なことをこなさなくてはならないなんて・・・。
家族が倒れただけで一大事なのに・・・・。

もし、自分が年をとって、パートナーに何かあったり、自分に何かあったときに、同じく年齢を重ねたパートナーが、適切に全てを処置できるか・・・?
今の年齢で、動くのでさえかなりきついというのに・・・・。
日本の行政の優しくない部分が剥き出しになって私に向かってくる。
まあ、医療ソーシャルワーカーが相談に少しはのってくれるけれど、「個人情報保護法」の壁に遮られて、結局動かなくてはならないのは近親者であり、介護する人間。
なんて不便なんだろう。

自分のために、こういう時のために置いていたもしも貯金も、おろせない。

色々な経験をして、しっかり遺言書を書いとかなくちゃなあ・・・早めに「任意後見人」を定めとかないと、家族は困るもんなんだなあ・・・・と、自分の身に置き換えて考えてしまう。

母と同じ病室にいる脳梗塞の女性の患者さんは30歳代・・・・。
昨日この部屋にきた。
1週間、意識がなかったのだそうだ。
母よりある意味症状が重い・・・。
お子さんもうちより小さいし、周囲の嘆きようは、うちの比ではない。
認知症はないけれど、体がほぼ麻痺し、喉に管を通していないと、痰が詰まり、窒息するそうなのだ。
家族と話せないことが何より辛そうだ・・・。
この大変な家庭にも、うちと同じ手間がかかり、同じ疲労がのしかかるのか・・・。

屈託のないお子さんは2人とも、母が元通り元気になると信じている。
願わくば、この子供達の願いをかなえてあげて欲しいのだ・・・現代医学でも、奇跡でも。
たくさんの人がそう思っているに違いない。

そこの家族の、患者さんのお姑さんと思われる人とふと廊下で話をする・・。
「この病院にはソーシャルワーカーがいますから、ご相談されてはいかがですか?私もいろいろ相談して、手続きをする事になっていますよ。経済的なことだけでも、考えられてはいかがでしょう・・・?」

「そこまで考えが回らなかった。ありがとう、すぐナースステーションに行ってきます」
そして、涙を拭きながら足早に、ご主人と思われる人と小声で話をして、それを聞いたご主人がそちらへ向かう。
通り過ぎる時に、泣きはらした顔で会釈をご主人が私にした・・・。

日本はやっぱりまだまだ成熟してない国なんだなあ・・・。
悲しい人、大変な人に追い討ちさえかける・・・。
でも、それを嘆いてもなんにもならない。

今は大変だけど、お母さんと向き合って会話をする。
まだ、一方的だけど、手を握って、目を見て、母と語り、これからの事も話す。
今できること、やらなきゃならない事、しっかりやろう。
母が教えてくれているのだから・・・。

そして帰り際、先ほどの若いご主人が、ナースステーションで書類云々を手渡されて、お話を聞いている姿が見える。

「・・・じゃあ、あさっての10時に予約という事で、お待ちしています・・・その時に・・・・云々・・・・・」

よかった・・・予約が取れたようだ。
捻挫した足が痛いので、エレベーターを使っている私は、それ以上、耳をダンポにはできなかったけど、きっと少しは楽になる。
エレベータに乗って、出口に向かう。

「私は倒れないぞ!だからみんなもがんばれ!」
心からのエールを送りたい、そんな気分だった。

腫れちゃった・・・

昨夜、たっぷりとエッセンシャルオイルを塗ったまでは快調だったんだけれど、今日は朝から超ハードなスケジュールで、まったく塗る暇がなかった!
続けるのが大切なのに、まったく暇がないものだから、お昼過ぎには既に、痛みを呈していたけど、お昼さえままならない状況・・・。
ようやくお昼にありついたのが2時!
食べてる途中でさえ電話で何度も遮られて、食べた気がしない。

そうして、ほったらかしてたら、夜にはこの有様!
夕方にはひょこひょこと、びっこをひく私がいました~。
夜、恐々ソックスを脱いでみると・・・・なんとも見事な「象足!!!!」(-_-;)のんちゃん生足はいいけど、くるぶしが見えないよ~~~~~(T_T)

皆さん、メンテはお早めに・・・。
この写真撮影後、ラベンダー、ペパーミント、ローズマリーをホホバオイルとミックスして、湿布しました。
さすがに、今日は、少々濃度濃い目です!ずっきんずっきんが、30分もすると和らいできて、今はちょっとホッとするのんちゃんなのです。

ああーナチュクリの一環で、アロマを勉強していて本当に助かった~(^_^)
腫れかかってたのに、落ち着いてます!
こういうのには即効性も兼ね備えてる、アロマって、助かる!
早く治さなきゃ!ね!

介護生活5~7日目、そして10日目まで

一番、要注意だった1週間が過ぎる。
命の危険は、一応は過ぎ去ってくれた。

母に残った障害は重かった。
右半身不随、認知症、その他、体の機能あちこち不調。

まず、今、体温調節がうまく行ってないのが一番問題。
汗をどろどろにかくかと思えば、突然止まって発熱。
熱発と言うらしいが、毎夜まだ熱が出ている。
体力を奪うし、食欲も減退する。

残った機能は、左半身、音、味、視力。
今、はっきりと分かるのはこれくらい・・・・・。

理学療法士や言語療法士の先生達から、いろいろと持ってくるように指示が飛ぶ。
例えば、写真。
いろいろと思い出すこともあるかもしれないのだ。
それから、カラオケが趣味だった母は、その自分の声の入ったテープ。
問題なのは、今時、電気屋さんでなかなかラジカセを置いていないと言うこと。
何とか弟が見つけてきたそれは、オートリバースもついていないけれど、それが精一杯。
何本かのテープとイヤホンと共に、病院に持って行く用意が出来た。
それを持って病院へ。
日曜日なので、外来は閉まっていて、子供達とおばあちゃんと一緒に母の病室へ。

今日のリハビリと、夕食も終わったんだそうだ。
でも、今日は起きていて、そんな母に写真を見せたり、話しかけたり・・・・手を握ったり、さすったり・・・。
みんなで代わる代わる、母とコンタクトを試みる。

何かは感じているように見える。
写真に目を留めるし、子供達の動きにも神経が行くようだ。
手がスムーズに動くようになっている・・・リハビリのおかげなんだと思う。

アロマオイルを少し塗って、軽く手のひらをマッサージした。
ほんの3分ほど。そちらは動かないほうの手で、でも、リハビリのおかげで硬くはなっていない。
マッサージを終えると、指先があったかくなっていた。
動かせないけど、触覚は残っていると医師から聞いている。
たった3分で、血流がよくなった。
こうして、アロマのお世話になりながら、母の努力と、少しでも奇跡を願う。
オイルをテイッシュオフして、布団の中に戻す。
マッサージの最中は少し険しかった表情がかなりゆるんで、私をほっとさせる。

それから、花瓶の水を替えて、新しい花を刺し、忘れずに、一つまみの重曹を入れる。

今日の面会終わり!
子供達とおばあちゃんを連れて、久し振りにいつもの居酒屋へ出かける。

こんな時だから、ちょっと自分にはっぱをかけたかった。
今日は、楽チンの夕食。

おばあちゃんも、お魚メニューの多いこのお店が気に入ったようだ。
そういえば、母はまだ連れてきたことがなかった。
ここに連れてこれるくらい、元気になってくれればいいのだけど・・・・。

さあ、帰って、母のものを洗濯して、お風呂に入って、ゆっくり休もう。美味しいものは食べたから!

リハビリ室はエネルギー満々!

ちょっと早い時間に病院に行けた。
病室はもぬけの殻。
4階にあると言うリハビリ室に行ってみた。

いたいた・・・・。

運動(?)前のマッサージ中だった。
最初は母しか目に入らなかったのだけれど、ふと周りを見ると、ここはすごいところだった。
がんばってる人と、がんばらせてる人達のエネルギーに満ち溢れ、大きな声や励ましが飛び交い、それぞれのレベルに合わせた運動をみんなやっていた・・・。

カテーテルを着けたまま歩行器で歩く訓練をしている人、母よりも重い、全身麻痺だけど、手だけでも動かそうと、物をつかむ練習をしている人。
何度も何度も立つ練習を繰り返している人。
歩く練習をしている人は、ほんの足を前に数センチ動かすだけで汗びっしょりになっている。

この病院は脳神経外科の専門だから、ただの外科的なリハビリの人はいない。
みな、脳の障害ゆえのリハビリなのだ。この中では、母はまだまだ軽症なのかもしれない。
言語や右半身が不自由でも、左は動いて、介添付なら自分でなんとかご飯も食べられる。

言葉での意思の疎通が難しい母には、大きな声と、ジェスチャーで、色々と教えてくれる。
さすがプロ、うまいのだ、タイミングといい、空間の図り方といい・・・。
私はまだ、この母のスピードやレベルに自分のほうを合わせることが出来ないので、なんともお間抜けだけれど、いずれはなんとか合わせないとね・・・・。

まったく無表情だった左半分の顔が少し動いているようだった。いい傾向なのかどうなのか分からないけれど、いい方に思いたいのが娘と言うものだ。

座る練習は長く、単調で、しかも体はかなり辛い感じだった。
母の顔が何度か痛みにゆがんでいた。でも、やはり、やめたりはしない。
付加を軽くして、それでも続ける。

これがあってこそのこの回復だったんだなあ・・・と、そういう母の姿を見ながらしみじみ思う。

「なんとか、自分で座れるようになって欲しいんですよ。ぐっと生活の幅が広がりますからね」
と、処置をしながら理学療法士さんが私に話しかける。
「本当ですよね・・・」

母や周囲を、よほど私はアホ顔で見ていたんじゃないかと思う。
「お母さん、がんばれ!家帰ろうよ、元気になって!」

ま、元気になってなくても家には帰ってもらうんだけど、元気でいてくれるに越したことはないよね。

その間にも歩行訓練の人は、「今日の目標、10周!」と、担当の人に言われ、「1、2、1、2、・・・」と、声を出しながら少ししか動かなくなった足を一生懸命踏み出してがんばっている。
「あと、8周」と、声がかかっても、振り返りもせず一生懸命なのがこちらに伝わる。

みんな、少しでも上に行こうと、本当にがんばっている。

母と同じく、認知に困難な人もいた。
でも、がんばっている。

介護生活4日目

驚く回復力だった。
もちろん、100%元に戻るなんていうような、奇跡は起こらないけれど・・・・。
残された機能を、ここまで回復できることに驚く。

リハビリ室で、マッサージを受けながら、座る練習、歩く練習、車椅子に乗る練習・・・・。
そんなことをしているのだそうだ。
私は夕方しかここに来れないけれど、担当の看護士さんや理学療法士さんにお話を聞くことが出来る。

今日は、母の一番上のお兄さん(私にとっては叔父さん)と奥さん(こっちは叔母さんね・・・)が来ていた。
なんと、リハビリ室で、いろいろやっている母を見たと言う・・・。
どこまで理解してるのか、してないのか・・・?
それは、私には分からないけれど、がんばっている母がいる・・・。辛いはずだ・・・動かない手足を引きずるのは・・・動くほうで2つ分支えるのは・・・・でも、母は、それをすることを拒まない・・・。

私はすぐ、ちょっと痛かったりしんどかったりするとサボる・・・。
もし、自分がこうなった時、こんなに耐えられるか自信がない・・・。
「嫌だ~」って言って、拒むんじゃないかな・・・私なら・・・・。

私のこと、ずっと分からないでもいいから、お母さんがもっともっと楽しく人生を生きるために、少しでも色々な感覚を取り戻して欲しい。
お母さんが、もし、私を思い出さなくても大丈夫。
私がちゃんと覚えているから。
子供達も覚えているから・・・お母さんが忘れた分、いつでも話してあげるからね。

色々なリハビリをしてもらっているおかげで、動きが悪いほうの手も、暖かくて、決して細くなっていない。
触覚は残っているので、触ると、少しは分かるみたいだ。

こんなにお母さんと長い間手をつないだのなんて何年ぶりだろうね。
ぎゅっと握るとぎゅっと握り返してくる。
小さな頃、こうしてよく手をつないだね。

お母さんが田んぼや畑から帰ってくるとき、小学校の入学式の時・・・・。
思い出すのは、どれも、私がうんと子供だった時ばかりだね。
今は私の手で、母の手をすっぽりくるんでしまえるほどだ。

明日からは、本格リハビリが始まるから、軽いシューズと、もっと自分で食事をさせるので、ベッドを汚すかもしれないから防水シートも買って来て欲しいと病院からの要請があった。
モチロン、この後すぐに買いに行きます。

お母さんの手を離して、「また明日ね!」と大きな声で耳元で話す。
決して私の方は見ないけど、この手をまた明日、握りにくるからね。
ベッドに移された母は、もう、うとうとしかかっていた・・・。
リハビリで疲れたんだね・・・・看護士さんがそう言う・・。
多分そうだね、・・・母の寝顔を見ながら叔父さんも私も帰路についた。

「大変やろうけど、頼むな・・・・」
おじさんが別れ際にぽつんとそう言った・・・。

私には母でも、この人にとっては妹なのだ。
思いは複雑なのかもしれない。
私とは違った意味で、悲しみを受け止めている人なのだ。
どちらが辛いと言うのでなく、そんなのは比べるものではないけれど・・・この人は私より長い間母を見て、母を知っている人なのだ。

どうすることも出来ない悲しさを、もう、私より長い人生の中で、嫌と言うほど知っている人なのだ。
経験は、人に分けられない。
私もまた、自分が経験することでしか、自分の経験値は増やせない。

泣くのは時として、気分を楽にしてくれる。
大人になったら、人前では泣けないから、この人は、私の前でも決して泣かない・・・。
でも、その胸のうちの悲しさは、きっと私以上に複雑で深いのだと思う。

私の母だもの、出来うる限りのことはするよ。
モチロン、福祉の力も借りて、ちゃんとみんなが立ってられるように。
「お母さんの介護」という名目だけで誰一人も夢をあきらめたりしないで済む様にちゃんと考えるからね。

トリオ・ショック

心に重いことがあって、とうとう、昨夜、熱が出た。
風邪でもなく、そのほかのものでもないのは、自分が一番分かっている。
それが証拠に、そのほかの疾患はまるで出ない。
中途半端な37.2℃。

程なく、夜中の3時には熱が引き、汗でべっとりしたパジャマを着替えてようやく熟睡する。

朝には気分もスッキリ、体のあちこちの悪いところが浮き出して、私に何とかしてよと訴える。
例えば、肩。
鉄板みたいに固く、凝っている。
例えば、首。
寝違えた時と同じで、鈍く痛く、あまり回らない。
例えば、関節。
昨夜の発熱で、あちこち痛い。

はああ・・・精神的なものって、体にやっぱり出るね。そんな私に、泣きっ面に蜂!な、とほほなことが。

その1・あまり構ってやってなくて、かわいそうなうちの愛犬「ねね」。やっとゆっくりお散歩・・・・その途中、大きな車が通りかかり、それをよけようとして、ねね、用水路に落下。
濡れネズミならぬ、濡れ犬・・・・。

その2・そのねねを引き上げるために、私もびしょびしょ・・・・。おまけに、どろどろ・・・・・。

その3・濡れて重かったねねを引っ張りあげるのに足をひねってしまう・・・。重いんだってば、ねね・・・・^_^;

おうちに帰って、とり急ぎ、ねねを軽く水でゆすぎ、今、お外で干して(?)います。

そして、私もシャワーで足と手をきれいにゆすぎ、パンツを履き替え、ひねった足に、すかさず、アロマでシップ。
急いでいたので、直に塗れるラベンダーをチョイス。
直接たらして塗る。

対処が早かったので、これを書いて終わる今頃には、もう、そんなに痛くない。
なんとか、腫れたりせずに済みそう・・・ホッ(^o^)。

やっぱり、今、調子があまりよくないのだな・・・と自己分析。
それでも、明日はやってくるから、明日のための準備をさあ、始めよう。
力を少しいなしながら、がんばろう。
力みすぎていた。

自分の体のメンテも忘れず、明日を迎えよう。

やさしいプレゼント

知る人は知る、あのブランドしょうゆ!
優しい肌触りと、少々奇抜なアイデアのジャケットです。

今週、2人の親しい友人から、プレゼントをもらった。
ちょっとばかり・・・いやかなりかな・・・辛いことがあって、凹んでいたから・・・。

結婚前から知っていて、とても心配してくれていた人から静かにおしょうゆが、届いた。
私が動けないだろうと、主人にわざわざ持たせてくれた。
押し付けがましくなく、シャイな人柄そのままに、「体だけは気をつけてね」と、コメントを添えて・・・・。
中途半端に少しだけ、前のしょうゆが残っていたので、ようやく今日、夕食の刺身につけるために封を切る。
それは優しく、美味しく、内側から私や家族の体にしみこんでいった。
それでなくても、食欲大魔神の子供達はもとより、おばあちゃんまでが、いつもよりついついたくさん食べてしまうほどだった。
優しい味と、心使いをありがとう。家族までうれしくなりました。
「食は大切」そんな簡単なことも、ついつい忘れそうな私にそれを思い出させてくれました。
いろいろあるからこそ、気をつけなくてはならないのですものね。
自分の体をいたわると言うこと、きちんと守ります。
それなくして、これから先は渡っていけないのですものね・・・。
また、時々、泣き言を言いに行きます。
その時はよろしく。

そして、この21日に一緒に「うさとの服」の展示会に行くはずだった友人から今日、密かに小包が届いていた。
あることがあって、どうしても行けなくなってしまったから、やむなく直前にキャンセルした約束だった。
彼女とは、子供が幼稚園に入ってよりのお付き合い。
子供が卒園しても、転勤しても、それでもずっと友達でいられる、そう言う人だ。
いつも、意外な切り口の発言で、深刻なことや腹の立つことをスパスパと鮮やかに切り裂いて、道を作ることの出来る人だ。
開くと入っていたのは写真のジャケット。
彼女は、行けなくなってしまった私を思いやって、自分1人で行き、そして、私を思いやり、たくさん色々考えて、これを選んでくれたのだ。
ただの知人なら、どんな事情があろうとも、約束を破られただけで気分が悪いと思うのに、そういう浅いレベルでなく付き合っていける人なのだとつくずく思い知る。
うわさに違わず、柔らかな触り心地と着心地は、外側から私をふんわりと包んでくれた。
コットンって、本当に優しい繊維だったのだと、しみじみ思う・・・。
ありがとう、涙が出るほどうれしかったです。このプレゼントを見つめつつ、思う・・・。
私のことを分かってなければ、このプレゼントはない。
心の底から、友人に感謝する。
今の私を間違いなく、支えるものを心得ていてくれて・・・。
いつも、いつも、こうして周囲の人達に支えられて、生かされている。
「金・金・金」の世の中で、それ以外のものに本当は支えられている。
つくづく、お金と言うのは第三者的に「これくらいの対価」というものでしかないのだと思う。
このプレゼントの中に込められた、友人の優しさは、経済とはなんの関係もないところで発生して、私にステキな思いを届けてくれた。
「お金で買えないものはない」
そうだね、この世のものはお金で買えないものはないんだね。
でも、友情や、信頼、それは、「お金だけ」でも手に入らないものだよ。
時間や他愛ない話の中で芽生えて、育って、そして気づいたら、根を張って、私という所在無いくらいひょろひょろした存在をしっかり支えてくれている。

少し落ち着いたら、お手紙を書こう。
待っていてね。
とりあえず、ここでありがとう。
優しい心遣いを、誰かに話したかったので・・・。
そして、私は大丈夫、と伝えたかったので・・・。