夏の予備軍

アイスノンが登場した。
メーカーによって呼び方は様々だけど、我が家ではスポーツドリンクはみんなポカりだし、氷枕はアイスノンなのだ。

今日は、暑くて暑くて、なんじゃこりゃー!と叫びたくなる有様。
息子達はユデタコでご帰還、帽子は汗でしっとり・・・。

素早く重曹を降り掛け、洗面所ではたいて汗を吸った粉を叩き落とす。

今晩も、蒸し暑く、クーラーか扇風機、と子供達が言い張る・・・。
でも、どっちも今から使ってたのでは、先が思いやられる。
なので、出た!冷たいよ~ん(^_^)

これはいいのだ!何度でも使えて・・・・。
子供達が今、使ってるものはもう、10年選手。
夏も、風邪で発熱した時も、実に良く働く。
クーラーみたいに体中冷やしきってしまって体調を崩すことも少ないし、扇風機みたいにぶーんとうるさくもない。
冷えすぎたら、ちょっと横に除けとけばいいし、朝には体温で程よく生あったかくなっている。
冷凍庫に余裕さえあれば、これはリーズナブルでリターナルな商品のひとつだと思う。

昨年、ひとつだけ破れてしまったけど、3つはまだまだ当分現役選手。
今年はひとつ買い足さないと、自分の分がない・・・^_^;

猛暑と戦う為に、さて、今夜は私も使い心地を試しておかなくちゃ!
え?ダンナの分・・・・?
何気に忘れたふりしておきましょう!ええ!いいですとも!

手続き

母が倒れてから、何度サインと捺印をしただろう。

母のリハビリに使うものだったり、リハビリそのものだったり・・・・とにかくもう、よく覚えてないくらいたくさんだ。

弟も同じくだ・・・・。
2人を合わせると、どの位何かを理解したのか・・・?

でも、それも急ぎのものはほぼ終わった。

いよいよ、母の退院時期ついての話をすることになった。
今月いっぱいは大丈夫、でも、その後、母が入る施設なり病院を本気で探さなくてはならない。

母の糖尿は、少しだけ軽くなった。
少しの投薬と食生活、定期的な検査をちゃんとやっていればそう恐いものでもなくなったのだ。

だから、良い施設を探すことがまず第一となった。ぶっちゃけ、母の入るのに最適な病院はないことはないけど、どこもいっぱいなのだ。
寝たきりの方を預かる病院はあるけど、それでは母はせっかく良くなってきているのに逆戻りだ。
そんなわけには行かない。
だから、施設に入り、そこから病院に通い、週末には自宅で過ごす・・・それが母も私たちも、精一杯の譲歩だ。

自宅でずっと見てあげれられない事は娘として少し後ろめたくもあり、情けなくもある。
けれど、全部自分で出来ないこともまた、認めなくてはならないことのひとつだ。
それほど万能な人間はいない。
優先順位を常につけながら、日々暮らしているのだから・・・・。
介護と仕事と育児、それを同じテンションで同じ時間帯にこなすなんて、私には無理。
どこかに無理のひずみが生まれて、きっとそれを直せなくて、いつか全部が崩壊する。

そんなわけにはいかなくて、やっぱりいろいろ組みなおしたり考え直したりして、やっとこういう結論にたどり着く。
大変なことかもしれないし、どうやれば一番いいのかはやっぱり手探り・・・・。
後でこうしとけばよかったとか、あそこはああしないといけなかった・・・なんてやっぱり思うのだろうけど、今、考えることはこれが精一杯。

最優先すべきは、「これ以上だれも健康を害さないこと」ということ。
これが一番大切だと思う。

母のことだけを考えることが出来なくて申し訳ないけれど、みんな私には大切なのだ。
だから、これでとりあえずは勘弁してね。

うまく行くように、さあ、明日は介護認定の日。

突然、びっくり

母が、目に見えて回復を始めた。
今日、リハビリの先生と、久し振りにゆっくりと話しをした。

認知症で、私たちのことを分からないかもしれないと思っていた母は、先日、私の子供、母の孫と触れ合ってから少しずつ変わっていた。
見た目は少しだったけど、その変化たるや、彼女の頭の中ではものすごいものだったのだと思う。

連休中は、自分が病気だと気付いて、絶望さえしていた様なのだ・・・・・。
ところが、孫に触れ合って、俄然、意欲が沸いてきたようで、連休明けからは、リハビリを汗びっしょりかくくらいがんばってるという・・・。

今日、実際この目で見たけれど、がんばってるかどうかは、他人の目には見えにくいと思う。
たどたどしい動き、少し動いては息が荒くなる。
休み休み・・・・同じことの繰り返し・・・・そして、表情がまだまだ乏しいから、がんばってても、そうでなくても、見た目には分からない・・・・。
でも、ずっと担当してくれている人や、私たち家族には、それが見える。
眼力がもう、違う。
昨日までの、力なく空虚だった目は、しっかりとなにかを見つめて動き始めた。

何度かに一度は私の顔も分かるから、微笑みかけるし、声を上げて笑うことさえある。
冗談を分からなくても、その場の雰囲気が読めるようで、格段に表情が柔らかくなる。
たった8ピースのパズルを必死で考える母・・・。
歩行器で歩くことを始めた母・・・・。

どれも、一度はあきらめかけたことだった・・・。
でも、母はしっかり受け止めて、やり始めている。
それがうれしくて、また励ましてしまう。

今日は一度家に帰ってからおばあちゃんも連れて行った。

2人は固く手を握って、泣いていた。
長いこと・・・・。
母は、うまく表情は作れないけど、涙が流れ落ちた。
それで、充分たくさん通じ合った。

帰る時間になって、病院内に放送が流れた。

あと5分。
あわてて、母の爪を切って、それから病室を後にする。

途中、重篤患者室の前にいる家族を見た。
ほんの1ヶ月足らず前の私たちと同じ顔をした人達がいた。
今日は、こんな家族を私はもう、3組も見た。
病院に長くいると、こんな家族にたくさん出会ってしまう。

願わくばこの人達も、最小限の悲しみで済みますようにと思う。

映画

久し振りに映画に行った。

めちゃくちゃ晴れてる日を見繕って・・・。
そうすれば、みんな外に行ってるから少しは空いてるかと思って・・・。

それにしても、ネットで簡単に座席をリザーブできるなんて、いい世の中になったものだ。

何の映画に行ったかというと・・・・。
流行からだいぶ過ぎ去った「子ぎつねヘレン」。

あまり私は行きたくなかったけど、子供達が言うのだから仕方ない・・・。
だって、反則だよね~。

目の見えないキタキツネ・・・・最後には死んでしまうわけで・・・・
「ほれ、泣け、やれ、泣け」
「泣いてしまいやがれ~」
と、言われてるような気さえします^_^;結果、当然・・・家族全員だだ泣きでしたわ~(T_T)

でも、なんて言うか、人間以外の動物っていうのは、「死」を受け入れることがうまいと思う。
いや、人間がいさぎ悪いと言ったほうがいいのかな・・・。

いつも精一杯生きている、特に野生の生物は、死に行く時も悔いがないような気さえする。
小学生の時、動物は過去を記憶するのが人より下手だから、過去を振り返ったりしないという人もいるけど、私はそうは思わなかった。
前に進むことしか考えないから思い出す必要がないのだと思う。
危険とか、美味しいえさとか、生きていく必要に迫られた記憶だけ、いつも取り出せるところに置いておいて、あとは、しっかりしまっておいてるような・・・・。

歳をとればとるほど、「人間に生まれて幸せ」と思えなくなってくる・・・。
一生懸命生きなくても「生かされ」、ふざけたことをしても「守られる」。
規則も何もない野生の世界では、自然の中で生まれた歴然とした「ルール」があって、そこには「情状酌量」の余地もなければ、「恩赦」もないから、ただ、必死に生きている。
肉食動物に食べられる草食動物は、絶命のその瞬間まで、一生懸命だし、食べられる自分が「かわいそう」だとか「哀れ」だとか・・・たとえ感情があってもそんなことは思わないだろう。
一生懸命生きて尽きる命はあまりに鮮やかで、私なんかとは比べるべくもない。

やたら、出演者のナレーションがうるさくて、現実はそんなことないんじゃないの?と思わせるところもあった。

あのきつねが幸せだったか不幸だったかなんて、だから、幸せだったに違いないんだって思う。
どんな状況でも、一生懸命生きて、寿命が尽きて死んでいった命は、ひとつも不幸なことはないんだと思う。

親には見捨てられたけど、代わりの少年が育てたのだから。
きつねにはそっちがお母さんだったに違いない。

ちなみに、のんちゃんが本当に行きたかった映画って・・・?
「クレヨンしんちゃん」か「ガメラ」なのよね、今回の場合・・・。

基本的に映画はとことん、リアリテイを追求したものか、もしくは徹底的にフィクションが好き(^_^)
ま、それより何より、空いててよかった、映画館。

偶然ではなかった

今日は大型連休最終日。
用事もあって、その帰りに母の病院へ向かう。

今日は、私とダンナと子供達。

なんと、今日も下の息子を見て声を上げて笑う。
そして、カーテンの陰に隠れた上の息子をカーテンをめくって探す・・・。

これ、なんとなくかもしれないけど、確実に何か分かり始めている。
私と主人にはそんな反応は示さないのに・・・。

なんともはや、子供っていうエネルギーのせいだろうか?

一番幸せな記憶が詰まっているからかもしれない。
まだむらはあるけれど、自分の孫のことから思い出すなんて、すごいことだと思う。
握手をし、おばあちゃんにエネルギーを分ける子供達の姿に、感謝。

自分の子供に感謝というのもおかしなものなのだけど・・。
無力な私に対して、なんと効果的に働きかけるのか・・・・。

「ちいばあ(小さなおばあちゃんという意味)の爪伸びてるね」
「そうだね、明日、爪切り持ってきてママが切ってあげるよ」

そんな細かなおばあちゃんの姿に気付く子供達にうれしさのあまり涙が出そうになる。
彼らの頭の中で、私の母は決して悲しい人ではなく、少し前とは違ってしまってるけど、自分達のおばあちゃんなのだ。
ごく普通に爪も伸びるし、笑いもする・・・。
子供の柔らかな感受性に、自分がいかに固くなってしまってるかを思い知らされる。

私は子供達を育てる時にこんな子に育って欲しいなんて考えたことがないけれど、(こうなってはイカン!というポイントしか教えていない・・・)優しい子に育ってくれていることが分かった。
この部分は、私の教育ではなくて、彼らを取り囲んでいる環境そのものなんだと思う。
友達や先生、習い事の仲間や近所の人達・・・そんな場所と出会った人達が彼らをこうしてくれたのだと思う。

おばあちゃんもその一人だったんだろうね。
だから、きっとその優しさはまたこうやって自分に戻ってくるのだ。
不思議な輪廻がここにも確かにある。

うわさ

みんなの前で倒れた母のことがあちこちで噂になってることは承知していた。
倒れたその日から・・・・。

許せない噂も、、何でそんなことに・・・?という不思議な噂もいくつかあった・・・。

でも、家族にとってはとても悲しい噂もある・・・。

近所のまったく信用できない、しかも耐えられないくらい口うるさくて、周りの人達を混乱させることの好きなおばさんが一人いる。
PCを扱うことなどまずないから好き勝手書くが、私自身も主婦になってここに帰ってきてから、実に嫌な思いを何度もしたものだ・・・・。
子供の間は気付かなかったけどね。

同情されるべき事情はいくつかあるけれど、それにしても、周囲の人達にあれほど嫌な思いをさせてわがまま放題に振舞わなくてもいいと思う・・・。

同情されるべき点はあれども、明日をも知れないというような不幸なものではなかったのだから・・・当時・・。

そんな近所のおばさんが、色々あって、母と同じ病院の隣でリハビリを受けている。
健康を損なうに至るまで、自業自得的なところがあって、自分の体をぞんざいに扱っていた・・・つまりは不摂生がたたってのことなので、私はあまり同情はしないのだけど。
気をつけなくてはいけないところを無視すれば必ず体は悪くなるのだ・・・。
事故や突発的ではなく、「自業自得」という単語のままに生きてる人なのだ。
私は、理性がない人間を軽蔑こそすれ、決して同情はしない。
彼女は、今も本来なら健康に過ごせているのに、自分からそれを捨てたのだ。
どこまで追い詰められても自分の生活を律しなかった。
ほんの少しの食事の改善であったり、ウォーキングや運動であったのに、それを無視し続けたのだから・・。

この病院は、母のように緊急の患者をもちろん受け入れるけれど、その後、通いでリハビリを受ける人達のためにもう1棟作ってあり、遠いところの人や、家族が看る事が不可能な人のために、入院設備も病床数は少ないけれど設備もある。
そのおばさんも半身不随であるから、通っているのだ。

私はまったく近所の噂や、誰が何をしているといったことに興味がないので、そのおばさんがそこに通ってるということさえ知らなかったし、上記のとおり興味がなかった。
入院して退院して、今は通院しているということは、「お見舞い金」を集めに来てくれた人に聞いて知っていたけど、特別仲が良い、ということもないし、共通点も皆無。
単に「たまたま近所」という間柄だから興味の対象でなくても仕方がないだろうと思う・・・。

ところが、そのおばさんが、近所の人に私の母が「すぐに良くなって、杖をついて歩けるようになる」と言いふらしているというのだ。

それを私の不在中におばあちゃんに確認に来た人がいて・・・・。
否定しなくてはならないおばあちゃんには実に辛いことだったに違いないのだ。

確認に来た人は早々に状況を飲み込んで退散したらしいが、相当におばあちゃんにはつらい会話になったようだった。

その内容が本当ならどんなに良いだろう、でも、現実はそうではないのだと認めなくてはならないのだ。
家族間では決してそんな楽観的な話は出ない。
口にするたびむなしくなるからだ・・・。
ただ、今あるものをしっかりと見つめるだけが精一杯だというのに・・・。

大体、担当医から家族さえ聞いていないそんな話を他人にするわけがないのだから・・・・。(守秘義務はあるだろう、そりゃね・・・・)

必死で戦っている私たちにどんなにかひどい仕打ちだとその人のことを恨む暗い気持ちが生まれる。
前向きではないこんな気持ちをだれも持ちたくなんてないのだけど・・・。
それでもこういう気持ちを持ってしまう。
遠回りに、かなり深く傷つけるには絶好のやり方だけど・・・。
こういう経験をしたから、私はやはり、人の話は、特にこういう繊細な話は決してお天気代わりに話さないでおこうと決める。
このあたりでは「お母さんどうなんな~?」と、お天気代わりにみんな聞いてくる・・・・決して話したくはないというのに・・・・。
そんなことより、局面に立ったその人のことを思いやり、気遣おうと思う。
ひとつ、指針が出来たことは良かったことかもしれない。

くだらない感情で気分はローになってたけど、まあ、そろそろ、またハイに修正して、今日もがんばろう。

本当にそれくらいまで良くなって、みんなをびっくりさせるのも悪くはない。

幸か不幸か

母の、血糖値が落ち着かないこと、大型連休を挟んだこと、母の心臓の検査をする高価で数少ない医療機器が順番待ちでなかなか回ってこないこと・・・・そんなことがあいまって、この脳疾患では高松で1番とも言われる病院に長く置いてもらえている・・・・。
平均2週間~3週間・・・・急性期または亜急性期の間しか置いてもらえないのが通常のようだ・・・。

そんな母に、スタッフの人達は的確に、丁寧にリハビリおよび世話をしてくれる・・・。

本当に的確だったと昨日思った。

脳の破損状況と、今までまったく発声がなかったことから考えると、おそらく、言葉を失ったと思われていた。痛くても顔をしかめるだけ、決して発語はなかった。

ところが、昨日、子供達を連れて病院にいったら・・・。
ちょうど、おばあちゃんと弟も少し先に着いていて、母にいろいろ話しかけていた。
すると、下の息子が母に寄って行き、目が合ったとたん、母が笑った。
声を出して、笑ったのだ。

全員、驚いてしまった。

今、母の頭の中で、どういう状態で認識されてるのかは分からないけれど、確かに下の息子には違う反応が今までにも時々あった・・・・。
考えられることはいろいろあるけれど・・・弟の小さな頃に少し似ていることや、土いじりをする母の横で、虫や植物の好きな息子は誰より長く付き合っていた・・・・。

そんな母の記憶をしっかりとつないでいるのかもしれない。
そんなことがあった後、母の動きは急に活発になって、全員に握手を求めるそぶりをし、私のアロマを素直に受ける体勢で待ち、帰ると言ったときには悲しい表情をする・・・。

少しづつ、本当に回復している実感が沸いてきた。
通うことが苦痛ではなくなるのはこういうときだ。

「がんばれ」そんなエールはむなしいのかも・・・と思っていた矢先のことだった。

「がんばれ」もう一度、力強く送ろう!