うたたね・・・・

よく、ブログ続くね、と友人から。
ご心配なく、書けるときにたくさん書いています。
そして、このブログについている、アップする日を指定できる機能を使って、順次アップしているので、実は順不同(笑)のものもあります。

このところ、いろいろと事情があって、のんびりと探索したり、物を調べたりする時間がどうしても取れない。
のんちゃんの「の」の字はのび太の「の」の字なので、お昼寝も、ゆとりもない、そんな今はとても自分に合っていなくて、精神的に疲れが溜まっている。
時間的に逼迫している事は、慣れっこだから、なんとか解決できるけれど、精神的に追い込まれてるときは、そうはいかない・・・。
何をしてても追いつかれる感じで、気持ちは少しも休まらない。

だから、いけないと分かっていても、リビングでソファに腰掛けると、連日、うたた寝をしてしまっていた・・・・。
何度も風邪をひきそうになって、すごく危なかった・・・。
なんとかひかずに済んでいるけど、気をつけないといけないな・・・と自分に言い聞かせる。疲れ果てて、昨夜は夕食を抜いた・・・。
子供達にはしっかり食べさせたけどね、モチロン。

胃や腸が、悲鳴を上げてるのが聞こえたので、「プチ断食」をした。
連日の、過労気味な動きと、うたた寝攻撃、そして滅茶苦茶なサイクルの食事と良質とはとてもいえない睡眠がたたって、体がいよいよ私に文句を言って来たのだ・・・・。
このサインを見逃すと、たいてい、あとで大きなしっぺ返しを食らう。
今まで、声に耳をふさいで、何度そんな目にあったことか・・。

今回ばかりは、当分寝込むわけには行かない事情があるから、声が小さなうちに対処をきっちりしなくては・・・。

と、言っても、まるっきり食べないとか、そういうのではなくて、小さなカップ入りのヨーグルト1個に、野菜&フルーツジュースを1杯、そして、玄米スープを1杯。
まるで朝ごはんみたいだな、と自分でも思う。
でも、功を奏したのか、今朝にはすっかり気分も内臓も軽くなって、爽快な朝を迎えられた。

舌に出来ていた小さな湿疹のようなものも引っ込み、重かった胃が、空腹を訴える。
食事を口に運べば、連動して腸が動き始める・・・。
当たり前だけど、ありがたいこと。

そんな当たり前を感じつつ、今日も仕事仕事。

いろいろと・・・・

良くなると、いいことばかりではない・・・。

自分の半身が動かないこと、感覚が鈍いこと、自分の意思で思い通りにはならないこと、がはっきりとと分かってきた母・・・。

感情にかなり波が出てきて、時にはらはらと涙を流したり、何かを伝えようとして、必死に声を絞り出す・・・。
そんな母と2人っきりだと、こちらも泣きたくなってしまうし、こんな辛い付き添いはやめてしまいたいと、正直、弱い私がそう思う。

でも、現実に、投げ出すわけにも行かないし、母と一緒になって泣きじゃくるわけにも行かない。
私はしっかりと立っていなくてはならないのだから。

もう一人の私は、まるっきり非情な人間で、母が泣いていようと、時間が来れば病院を後にするし、泣きながら訴えていることでも、わからなければ何度でも聞きなおす・・・・。

私の中にこんな私が住んでいる。どちらも私で、どちらも必要。

今必要なのは、感情に振舞わされる私ではなく、非情かもしれないけれど、理性的に物事を片付けられる方の私・・・。

母が良くなるたび、病院から次々と電話が鳴り、いろいろなものを持ってくるようにと指示が出る。
あれやこれや購入しながら、病院に駆けつける。
ああ、もう、ドラッグストアのデリバリーがあればいいのに、とさえ思う。(ホントに商売になるかもよ・・・・・)

母だけを中心にしてリズムを崩せば、自分の健康や、他の家族にも迷惑がかかる。
だから、地軸は他にセットして、うまく回るように段取らなくては・・・・。

明日は、リハビリクリニックの説明会と打ち合わせ。
早く寝よう・・・・。

明日、いろいろ決まる。
報告はそれから・・・。

小さき、愛しきものたち

なかなかうまく撮れないので、これでなんとなく分かってくださいね(^_^)v
さあ、何でしょう?

そう、蛍さんです!

今年も出会えました。
いきなり、4匹もいました。
ねねの吠声にびっくりしてか、3匹は舞い上がってしまいました。
夜の生き物は、うまく撮影できなくて、それに、とてもデリケートだから、強制的に撮影も出来ないので、こんな中途半端な映像になっちゃいました^_^;
フワフワ舞っていたのを、息子がこれまたふんわりと両手で包んで捕まえました。(間違っても、蚊を叩く感じではないですよ~^_^;)

一時、まったくいなくなっていた蛍が帰ってきてもう、10年くらいになります。
毎年増え続けていて、とてもうれしい・・・。でも、どこで聞いたのか、町からやってきて、捕まえて帰る人がいます。

お願い、そっとしておいてあげて。
捕まえて、手のひらに、その命を感じたら、またそっと返してあげて下さい。
人の家で生きられる生き物ではないのです。
この儚い生き物は、たくさんの条件を満たしていないと、私たちの前からあっという間に消えてしまう小さな生き物たちなのです。

この命のために、私たち住人は、ゴミを拾い、川を掃除し、下水を整備しているのですよ。

どうかどうか、お願いします。
決して、自分達の慰み者にはしないでください。
愛でるだけで、満足して下さい。

今日見た命は、元通りのところへ返して、明日への命につなげるよう、子供達にどうか教えてあげて下さい。
私たちもそうしています。

お願いします。

命の儚さとしぶとさと・・・・

母の入院している病院は、脳神経外科の専門であり、救急指定をしているせいもあって、救急車の出入りがひっきりなしだ。
母も1ヶ月前そうだったように・・・・。

突然、介護生活に入った私だけれど、私より少し前に、そうなった友人のお母様の訃報が入った。
母のように、脳を患ったわけではなかったし、手術をしなくてはならなかったけれど、それも受けて、経過は順調で、とても良くなっていると数日前に彼女からうれしい報告を受けたところだったのだ。
このまま治ると、誰もが信じて疑わない人が亡くなる・・・。

母の病院に担ぎこまれた、ひどい怪我を負い、もしかしたら・・・・といわれる命が助かる事もある。

私たち一人一人、この、儚くてもろくて、自分だけの力ではどうしようも出来ない「命」というものを授かっている。
そして反面、しぶとくて旺盛で、生きるためには何でも食らうような肉体の中で、その炎を燃やし続けている。

諸刃の剣のような「命」を、見せ付けられるような毎日の中で、尽きる命と、再び燃え始める命と、両方感じている。

いつもは感じないけれど、それはずっと周りで普通に起こっている事なのだと思い知らされる。

決して、産まれる命ばかりではない。

誰かの命が尽きるとき、その重みに圧倒される。
この世に一度でも生を受けた命は、重くて、切なくて、ずしりと悲しい手ごたえがある。

私は友人のお母様に会ったことはない。
でも、その人の生きてきた人生は、やはり、決して軽いものではないだろうと言う事は分かる。
たった40年程しかまだ生きていない私の人生も、ほんの10年しか生きていない子供の人生も、それでも同じように重いのだから・・・。

誰かを失う悲しさを、知らずに一生生きられる人はいないから、すでに、何度か立ち会った私はいつもそうした時、また心が鈍感になる。
そして、体も心も縮めて、小さくなって、次のジャンプに備える。
本当に癒えるまで、どれくらいの時間が必要なのか、そんな事はわからないけれど、動けるようになるまで、じっとしている。
近親者を何度か続けて見送る側にいたから、「ご冥福」という言葉が嫌いになった。

大して心にかけていないような人も、口をそろえて、そう言ったから・・・・。
その時それが、亡くなった人間に対してなんだか失礼な気がしたから。

でも、気の効いたことを言って上げたいけれど、そんな言葉しかやはり浮かばない。

魂を悼む気持ちをもっと的確に表現できれば良いのだけれど、こんなに悲しい出来事に、はまる言葉って、そうそうないのだ・・・。
だから、「ご冥福を祈る」という言葉に皆でやっぱり寄りかかるしかない。
本心からでも、まったくの義務からでも・・・・・・。
辛くて狭くて窮屈なその言葉に・・・。

残された家族の人たちの健康の方が私は気にかかる。
我が家でも、祖父と父を続けて見送ったあと、祖母と母も続けて入院する羽目に陥ったから・・・・。
病は気から・・・とはよく言ったもので、精神的なダメージが大きいと、体まで壊れてしまう。
どうか、お体に気をつけて、それだけが、私の一番かけたい言葉だと思う。
儚い命を見送っても、倒れぬように、自分の体の健康を保てますように。
逝かれた人も、残された人にきっとそう思うはずなのだから・・・。

母の未来を考える

何日も、何回も、家族で話し合う。
母をどうするか・・・・。
随分、リハビリで良くなりつつある母を、もう一息、よくしてあげたい。
まったく元通りが無理でも、そのラインに近づけたい。

一番最初に聞いた、最悪の状態を考えれば、随分良くなったことがうれしい。
今は嫌なことや好きなことくらいは分かるし、私や家族の判別が出来て、名前をたどたどしいけれど、危ういけれど、なんとか口に出来る。
普通食も食べられるし、とうとう、コップから(少しトロミをつければ)お茶を直接飲むことも出来る。
一人で長時間座っていられるし、手すりを持って立ったり座ったり、何度も出来る。
目は両方視力が回復したし(少し視力は落ちてるみたいだけど・・・)糖尿も、お薬と食事でコントロールでき始めた。

そんな母だけを主体にして考えると、みんなが大変になる。
でも、母を不在で考えれば、まったくもって、血の通っていないような結果になる・・・・。
極端すぎるのは良くない。
このバランスというのは、実に難しくて、どうすればいいのか迷いっぱなしだ。
すべての事情をお話して、先生と総士長さん(昔で言う婦長さんね・・・・)に相談をした。
こうできるのか、あれは可能なのか、たくさんの質問と、どうすればいいか教えてもらう。

もう、母が倒れて、気がつけば1ヶ月が過ぎていた。
早かったような、長かったような・・・・本当にへんな感覚だ・・・。
でも、最良の結果を出せそうなことになった。
http://www.osaka-nhp.jp/
ここが、母の入院している病院。

http://www.osaka-nhp.jp/rehabilitation/index.html
こっちがこれから入院するだろう病院。

というわけで、リハビリ専門の病院のベッドが空き次第、母は、そちらに入院することになった。
3ヶ月・・・・私は夜、母の付き添いをすることになった。
ちょうど、6月から・・・・だから、今年の夏は、ずっと母と一緒だ。
夜の付き添いのほかに、2日に一度お風呂に入れてくれるので、その時お手伝いをしなくてはならない。

勿論、一人でずっとは出来ないから、途中ヘルパーさんを頼む予定。
夏休みには、子供達を旅行に連れて行きたいし(上の息子は今年で小学校最後だし・・・)
色々不安はあるけれど、今やらなくて、あとで「あの時やっていてあげれば・・・・・」なんて考えたくないから・・・。

無理は承知で、やらなきゃならないこともあるのだから・・・。

そして、母をお願いしようと思っていた福祉施設からも、9月から空きがあるというお返事を頂いた。
なんて丁度なタイミング。

それから後は、そこから言語リハビリに通えばいい・・・。
3ヶ月が1クール・・・そう思って、とにかくそこをめがけて、やろうと思う。
そう、決めた今日という日を、記憶に記しておこう。

電話に出られないわけ

朝から戦っていました・・・・。
正直、命がけで・・・。
それは、こいつのせい 
      ↓
これは、やっつけた後!石鹸ですっかり呼吸困難・・・・昇天しました・・・この「ムサシ」は・・・・

洗濯物を干す、ベランダの、布団バサミに巣を作ろうとしてたんですよ・・・。
ただ、洗濯物を持って上がっただけなのに、大変なことに・・・。
威嚇はされるし・・・。
で、こそっと観察をして、分かったんですね(^_^)まずは、位置を確認して、石鹸を原液でぴゅっとかけたんだけど、狙いが悪くて、片羽しかかからなかったのです。
俄然、威嚇は激しくなって、一時撤退・・・。

スプレーボトルに、薄めた石鹸液を投入、そして再び開戦開始!

まず、作りかけた巣にかけると、あわてて蜂が寄ってくる。
そこをめがけて、蜂にスプレー。
さすがに毎日使ってるだけあって、狙いは外さない。

かなりのたうち、苦しみ始めた。
でも、手は緩めず、スプレーをもう何度か・・・。
そのうち、口を鳴らし始めた。
「ぎゅぎゅー」とも「くくくく・・・」ともつかない、蜂の声。

そして、足が痙攣して、やがて、写真のように固まって、動かなくなった。

それから、撮影・・・。

ナチュクリ、害虫対処法その1でした!
では!

三方六

大好きなお菓子を手に入れた。
早速食べちゃいました!あわてて写真撮影。あやうく全部なくなるところでしたわ~。

北海道フェアで・・・・。

私はこの手のお菓子が苦手だった時期があって・・・。

というより、生まれてから18年くらい、まったく甘いお菓子は受け付けなかった。
かなり変わった子供だったんだね。
でも、辛いものやしょっぱいもの、そしてすっぱいものは大好きで、おつまみのようなものは大好きだった。
当時一番好きだったおやつは柿の種やするめ。

甘いものを好きになったのは大学に入って、お茶の稽古を始めてから・・・。
嫌々食べ始めてから、なんとなく食べられるようになって、それから甘味にも色々あると分かって、好きな甘味、嫌いな甘味が分かってきたのだ。多分、最初に食べられるようになったのは和菓子。
少なくとも、家では、私が甘いものが苦手だったので、おばあちゃんがいつも小豆をたくときは、私の分は小鍋に取り分け、砂糖を少なくしてくれた。
小豆には、だから少しなじみがあったということなのだけど、不思議に、讃岐のお雑煮は何とか食べられた。
アンコの甘さは、味噌と一緒だと、それほど甘く感じず、むしろ丁度良かったので食べられた。
それも、今考えれば、たっぷりの根野菜やお味噌で、多少の糖分は上手に代謝できたから食べることが可能だった・・・・?

今は甘いものを食べることも出来るようになったのだけれど、食欲の割には甘いものだけはたくさん食べられない。
きっと体の許容量の問題だと思う。
子供の時ってそういうの、理論ではなくて、素直に体で感じていたのだろうね。
ご飯を食べていたから、実は甘いもの、体はいらなかったんだものね。

正直、ケーキはかなり恐々食べている・・・・。
スィーツに詳しい友人に聞いて、やっと安心して食べてる有様だ。
以前、カリスマ的な人の作る有名なケーキということで食べに行ったことがあるけれど、あまりのくどさに「うげげ・・・なんでみんなありがたそうに食べてんだ?????」と思ったものだ。

まあ、だから、私は自分の生活からもし、甘いものがなくなってもさほどストレスは感じないのですね~。

と、そんな私が美味しい!と、食べることの出来るいくつかのスィーツのうちのひとつがこれ!
今回、ひっそり買い求めたのに、家族に見つかって即、没収となりました。
もう、すでに跡形もありません~ちゃんちゃん♪