やっぱり、そろそろ限界?

実のところ、最初ほど介護が苦痛ではなくなってきた。

いや、しんどくないかと言えば、それは、ことごとくしんどいのだけれど・・・・無茶は無茶なりに体が慣れてきて、夜中に何度も起されることや、時折感情が不安定になったりする母の扱いにも慣れてきた。
大体、気が済むまで八つ当たりをすると、感情は落ち着く。
外に発散することって大切みたいですね。

看護士さんたちも一通り、名前と顔を覚え、こちらの状況も理解してもらい、細かな融通を通してもらっているから・・・・。

でも、そんな私を日々見ているスタッフの方たちは、そろそろ、この人を少し解放しないと、倒れるかも・・・という判断をしたようで・・・。

母は今日お引越し。看護婦詰め所のすぐ横の1人部屋が空いたので、午後からそちらへ入室。
この病院は、食堂やお風呂も全て2階に備わっているので、何かと都合がいいのだ。
なので、昼間は、母を病院にお任せできることになった。

私としては、来月には、出来れば、夜、そろそろ自宅で眠りたい。
病院のあの、エキストラベッドってやつは、絶対に人が眠るようには設計されてないと思うのです。
ちょっと気を抜くと、すぐにむくんでしまうようになった(それも、足なんかは、押してもなかなか戻らない有様です・・・・)私の体は、多分、目に見えないところで相当にずたずたにやられてきてるな・・・・って思います。

介護する人も、付き添いする人も、もう少しでいいから、ハッピーな状態を保てれば、文句ないんだけどなあ・・・・。
ホテルのようには・・・なんて言いませんから。

8月はなんだかずっと鍼灸院やスーパー銭湯に通ってそうな私がいます・・・^_^;

癒しと言うもの

このところ、とってもそれを欲している自分がいる。

ずっとイライラしていて、時間に追いかけられながら、子供を叱り付けたり、相方に八つ当たりする自分がいる。
思えば、それまでの忙しさって実は大したこと、なかったのね、と思う。

ちょっぴりそう言うことはあっても、すぐに軌道修正できる自分と家族たちだった。
でも、今回はそうは行かなくて・・・・。

今日は、子供達を久し振りに抱きしめてみた。
汗とお日様のにおいがした。
心地いい臭いで、心が安らぐ。

ずっと忘れていた心の中の何かがすっと出てきた。
上の息子はそろそろ思春期、嫌がるところを無理やり抱きつく母・・・・。(これも虐待?????)
下の子はまだ、大丈夫・・・・一番負担をかけてるのかもしれない・・・。私が忙しいと・・・・。

いろいろ起こるけれど、なんとかやってけるのは、人生投げないのは、こんな風に守るものがあるから。
自分一人だったら、根性のない私は、とっくに人生の落伍者になってるに違いないのだ。

ごく、普通の生活は、ごく普通で、幸せかなんて気付かない。
失ったその日から、突然、何気ないことが幸せだったと気付く。
朝寝坊する幸せ、お漏らしされて片付ける幸せ、どろどろに汚してきた服を見て、ため息をつく幸せ・・・・普段は怒っちゃうような出来事も、いちいち関わっていられない今の私に、「それって、すっごく幸せだったんだよ」と教えてくれる。

そう遠くないうちに取り戻せるであろう幸せに、今から感謝。
いちいち抱きしめなくても、気配を感じて、存在感を確認することが出来る日が早く来ますように、と心から祈る。

そんな状態の自分を、早く自分で癒すことが出来ますよう、それも祈る日々・・・。

私のロナウジーニョ

いろいろ、理由もあって携帯を買い換えた。
普通にFOMAにしただけなのだけれど(そう、ずっとムーバでしたっ!)、機能がいっぱいついていて面白い。
デザインは、身近な人たちにはとっても「男らしい」と評判で、確かに女性はあまり選ばないだろうな・・・・という感じがする。

息子いわくは「この携帯、ロナウジーニョだね」
言いえて妙で、色もそんな感じ・・・・。
なので、この携帯の名前は時期も時期だけに「ロナウジーニョ」にあっさり決定。

まず、ショップに行って、携帯を選ぶ時の基準が
「落としても結構いける、丈夫な機種がいいんです」
だったので、まあ、致し方ない。
中でも、色々なカラーがあって華やかなのにも関わらず、次に私の出した条件は
「手垢がつきにくいもので、傷とか目立たないもの」
だったので、またまた狭められて・・・結果、なんだかそういう、男らしいものになってしまった・・・^_^;

今となっては、ちょっと後悔の念もでてきたりしたのだけれど、また、飽きるほど長く使い込む予定なので、これくらいでよしとしておこう。

介護で嫌なこと

化学物質まみれなこと、それが一番耐えられなかった。
いや~各メーカーさん、本当にがんばってるようでした。
お尻拭きから紙おむつ、消臭剤や特別制ウェットティッシュなどなど・・・・・。
勿論、どれひとつとってもナチュクリにすっかり馴れている私には耐えられないものばかり・・・。

そこで、色々考えたが、自分のやり方を通すことにした(いや、考えてない???)。
お尻拭きは、すぐにいらなくなったので、ナチュクリ流にするチャンスはなかったけど、そのほかのものは全て変えました。
まず、シャンプー、もちろん石鹸を持参。
そして、お風呂の浴槽には勝手に重曹。動かないほうの手には、垢が溜まりやすいので、お風呂でふやけた時にごしごしするのだけど、そのスクラブに重曹を使用。
足も同じく・・・・・。
最初は、作業療法士の先生も、ちょっと「?」な顔をしていたけれど、合間合間に説明をして理解をしてもらった。
そして、ポータブルトイレの中に水と、消臭剤を入れるのだが、これもきっぱり拒否。
香りつき酢酸を、もと酢酸が入っていた酢酸のビンに作って入れて持参。
いかにも薬っぽい感じにして、薬剤師さんに相談してこうなりました~と(あながちうそではないんですけど・・・・^_^;グローバさんで買ってるわけだから・・・・)言って強引に納得をさせる。

よく、リセ○シュやファ○リーズを使ってる人がいるのだが(病室って、臭いがこもりがちですから・・・)それを、うふふふふふ・・・・超高級ローズ(オットーだぜ(^_^)v)の香りのビネガースプレーにして、シーツや枕、部屋の隅っこなどに噴霧。
おかげで、締め切って出て、数時間後に帰ってきてもなんともいえないかび臭いような臭いにはお目にかかっていない。

ウェットテイッシュは、その都度、香りつきビネガースプレーをして、湿らせて渡すことで解決。

母は、入れ歯なんだけど、この清掃にも当然重曹使用。
10日に1度くらいクエン酸をちょっぴり持っていって、ぶくぶくしておきます。

歯磨きもうがいも(当然???)重曹使用。
歯ブラシも重曹水にブラシの部分を漬けておきます。すると、乾きの悪い病室では立てて保管するよりそのほうが快適でした、この場合。

洗顔も、毎朝、熱いタオルを絞ってあげるのだけど、それも重曹水(湯?)で・・・・。
さっぱりして、それは気持ちいみたいです。

多分、こういう入院生活をしている人はほとんどいないのではないかと思います。

でも、こうやって、ナチュラルなものたちの力を借りていると、付き添いもラクになります。
やはり、体験っておおきいかな・・・。

こんなに長くブログを書いているのは、実は、時々自分にメールを打っているから・・・・・。
気付いた時にちょこちょこと・・・・。
コピペしてるだけのところもあるので、ちょっと文章がおかしかったりするのですが、そこはそれ、まあ、今はこれで我慢してください。
ではでは!ナチュクリ報告でした!

地獄で仏

介護は大変で、実は文字にしながらも、辟易としていたところ。

でも、こんな辛い状況の中でも、やっぱり暖かなものや、うれしい事は確かに、ある。

まず、療法士の方たちや、看護士の方たち。
今までたくさんの患者さんたちを見てきたのだと思う、無論、その家族も・・・。
だから、どんなところが大変で、どうすればいいか、細かく話せば話すほど、的確な答えが返ってくる。
選択肢をたくさん用意してくれる。
私が不在中に母がどんなことを出来るようになったか、今日のリハビリはどうだったか、何に喜んだか、細かなことを教えてくれる。
それも、プロの視点から、過不足無く、事実だけを伝えてくれる。
細かな細かな気遣いやアイデアで、昨日できなかったことが出来るようになり、母は少しずつプライドを取り戻す。
母のプライドを一番ずたずたにしたのは、当然、下の世話・・・というものだ。
初めて私が母のオムツを替えたとき、母は、私の手をはたき、変えて終わった時、布団をばさっとかぶって、しばらくの間、私の顔を見なかった。それほど、屈辱的で耐えられなかったのだろう。
しかも、しびれたようになった片方の体は、いつまで待っても感化が戻らないし、動きもしない。
辛い事を訴えようにも、言葉も奪われて、ただ、嗚咽するしかなかった母のことを考えると、それはあまりにも切ない姿だった。
八つ当たりもしたくなるだろう、それはそうだろうな・・・とその時は思ったものだ・・・。
その一部始終を見ながら、スタッフさんたちは、明るく接してくれる。
笑顔が出ないスタッフは一人もいない。
このへんは、この病院の持ってる雰囲気であり、彼らがプロ意識をきちんと持っている人たちなのだときっちり理解できる。
なにせ、その場がいつも明るく保たれているのだから、大したものだ。

それから、一緒に入院しているほかの患者さん達。
話せない母に、どこまで理解してるのかなんて分からない母によく話し掛けてくれる。
「一緒に頑張りましょうね」と・・・・「休み休みやろうで・・・」と・・・それぞれの持つ、暖かな言葉で励ましてくれる。
多分、これは一番効いてると思う・・・。
同じ病気をもつもの同士、私たちなった事の無いアウトサイダーには分からない感情なのだと思う。
一番痛い部分を共有しているような、そんな仲間意識を感じる。
別に、閉鎖的ではないけれどね・・・・・。
話しても分かってもらえない、もろもろの感情を、いつもの挨拶や、言葉の中にそっと忍ばせているような・・・・重みさえ感じる。
暖かくて、気持ちのいい重みだ・・・。

また、施設から来るケアマネージャーの人。
母も当然のことながら、私の体も気遣ってくれる。
何人も倒れる家族を見てきたのではないかと思う・・・決して言葉には出さないけれど・・・。
こういうことでもないと、なかなか合うことの出来ない人でもあるけれど、この人が信頼できるから、母を、この施設に入れようと決めたのだ。
施設の内情から、サービスまで、本当に分かりやすく説明してくれる。
私もまた、隠さず、母の状態を説明させてもらう。
ちょうど、1年前に母と同じようになった方がいて、1年経った今、その人がどれくらい回復しているかを聞かせてくれたり、励ましてくれる。
「大切なお母様の世話は、本当にきちんとさせてもらいますからね、あなたがこんなにも努力している事を無駄にはさせませんからね」と言ってくださった・・・。
施設の療法士の先生と、近日中に会うことになっている。
母にやれる事、やれない事、色々な事を話さなくてはならない。
そんなセッテイングもしてくれた・・・。
主人に言わせれば「だってそれが仕事じゃん」ってけんもほろろ・・・。
でもね、当たり前のような気はしても、それを本当にやっている「プロ」って少ないのだよ!
つんけんした看護士や医者、パートタイマー的な仕事のこなし方をする公務員たち・・・・・。
自分の仕事を実直に、確実にこなしている人たちを目の当たりにしながら、そういう人たちに出会えたことが、「地獄で仏」。
捨て鉢にならないで済んでいるのは、そういう人たちの助けをもらっているから・・・・。
母の頑張りと自分の頑張りとが、なんだか少しずつ実っているのは皆さんのおかげ・・・。
もうちょっと、もうちょっと、だから今日もなんとかやれています。
本当にありがとう。

地獄な訳・・・・

介護が地獄・・・と言われるのには、理由がある。

例えば、介護を受けるほとんどの人が高齢者。
介護をする方も、ほとんど高齢者。自分の体力も怪しい状況なのに、相方の面倒を見るのはそれは骨の折れる事だと思う。
よく、病院に預けたら預けっぱなし・・・・と言われるが、本当は半数以上は、通いたくても自分では無理と言う事なのではないかと想像できる。
オムツを替えたり、体を拭いたり、ご飯を食べさせたり、薬を間違いなく飲ませたり・・・・それ、あなたがやるのよ、なんて言われてすぐになじめるだろうか・・・?
ましてや、高齢になって・・・・?
動かない人間を動かすのは、かなり私の年齢でも厳しかった・・・。
ほんの少し、たった20センチずらすだけなのに、じんわり汗をかくほどだった・・・。
上手く動かない手を使って食事を摂ると言うことは、食べ物を撒き散らすという事・・・いくら防水のエプロンをしていても、それを次の食事までに洗っておかなくてはならないということだ。
無論手も汚れる、服さえ、たった1度の食事ですっかり着替えさせなくてはならないこともあるのだ。
大人と言えど、オムツをすればオムツかぶれもする、床ずれもする、お風呂に入れない時は、体も拭かなくてはならない・・・・。
糞尿をきれいにするのは当たり前で、かぶれたところには薬を塗ったり、特別なケアも必要になる。

食べれば口の中も汚れ、歯磨きやうがい、入れ歯があればその清掃も自分の仕事となる。

母の24時間介護を体験して分かったことは、こういう、時間的、体力的なことがあまりにハードだと言う事・・・。
この上で、母はまだ、そうわがままでもないし、リハビリもやるし、食べ物の好き嫌いはほとんど無い、扱いよいところのある患者だったけれど、その部分がわがままな人もいると思う。
むしろ、病気になったからわがままになってしまう場合もあると思う・・・。

その上で・・・・精神的にかなりきつい事もでてくる・・・。それは、「拘束」。

病気で、体の自由を奪われた患者を、安全のため、さらに拘束する場合は多々ある。
そして、母のように自分の判断能力があいまいな人間の場合、その判断は家族にゆだねられる・・・。
私は母の拘束okにサインをした。

色々なサインを立て続けに求められる状況の中、その書類にもサインをしたのだ。

母は、ほんのしばらくの間だったけれど、体を固定されたり、動けなくされた時期があった。
私が看られないから仕方ないのだけれど・・・・こういう事実は、家族の心にダメージを与える。
他に選択肢はないと分かっていても、それでも、「仕方ない・・・」とはなかなか納得できないものだ・・・。

今は、母を縛るのではなく、ベッドの柵を縛ると言うのにサインをした。
母本人を拘束するわけではないことに、かなりな安堵感があった。
少し抵抗はあるけれど、それでも雲泥の差がある。

また、施設に入れるかそうでないかの判断を下すのも家族の話し合いによるところが大きい。
分かりきっている事なのだ、患者が本当は家に帰りたいなんてことは・・・。
でも、それを、無視しなくてはならない場合も当然でてくる。
うちの場合は、母の糖尿病。
インシュリンまで打たなくてはならない、かなり重い状態の病気をもってしまった場合、その負担を軽々とこなす事は難しい。
3食、カロリー計算をした食事、食べやすいように一口大に切ったおかず、その上で食前のインシュリン注射・・・。
これを全て私がやると言うのは・・・・出来ない事は無いだろう。
でも、母の命の続く限り、ずっと手を抜かずにしなくてはならないと考えると、やれる自信は無い。
慣れれば大丈夫よ、という人もいるが、私は母のほかに、家族がいるのだ。
子供や夫・・・・そして仕事もある・・・。
かかりきりになればやれない事も無いだろうが、やはり無理だ。
終始目の離せない母と、食事と日々の世話・・・・注射まで・・・・。

今は病院で、食事の支度も、使いやすい広いトイレやお風呂もあるが、自宅にそんな便利なものは無い。
そして、何かあったときのナースコールも・・・・。
病院の送り迎えやそんなことも全部やらなくてはならなくなるとき、やはり不可能だと考えてしまう。

ロングステイ、週末帰宅、それが今の私の精一杯な事に気づかされる。
偉そうにしてても、私の力なんてそんなものなのだ、と自分の力の無さに悲しくなる・・・。
こうやって、精神面は痛めつけられる。
色々なものの板ばさみになって、心はすごく痛むのに、その痛みを癒す時間ってないものだ。
次から次から片付けなくてはならなくて、そんなのは後になる。
自分で自分を癒す暇も無くなる・・・だから地獄なのだ。

誰かの体と命を預かると、責任と、その重圧とで、こんな風にみんななっているのだと思う。
どんな無理な事も、受け入れざるを得ない状況・・・。
じんわりと悲しみや辛さで自分が締め付けられていく窮屈さ・・・。
ホント、地獄だなと思う。

介護は、ある意味では幸せからは程遠いところにある世界だ。
はっきり言えば、不幸以外のなにものでもない。

される側もする側も・・・決して望んでそうなったわけではないから、受け入れるまで、相当な時間がかかることもあるだろう。
自分達の描いている「幸せ」のなかに、決して「介護」を入れてる人はいないだろう。
むしろ、分かってても避けている事の方が多いと思う。
それほどまでに生活の中で、忌み嫌われてさえいるものなのだ。

啓蒙

よくもまあ、こんなところでこんな状況でこんな人に・・・・。
と、言う人に、重曹生活をプッシュ!
やっぱり、私には怪しい「重曹ピクシー」がとりついてるとしか思えないんですが、かなりな状況の中、でもすらすらと重曹や酢酸の説明をペラリンコとしてしまいました~^_^;

まあ、経緯は省くとして、ふとしたことから、その方のお子さんが新車のにおいがダメで、車に乗れないんだよね、とうかがった。
その上、ものすごくひどいアトピーで、アレルギーで、生活が大変なのだと言う事・・・。
私が常々、怪しいグッズ(ナチュクリ的には正しいんですが、一般の人から見ると・・・って意味です!!^_^;)を色々と取り揃えてると言うことをなんとなく知っていたので、すんなりお話は通ってしまったのですが・・・。

酢酸で拭くと、溶剤ですから、表面のものは、ただ水で拭くよりもスッキリと取れますよ・・・・。

と、言ったのを皮切りに、数冊の本をお貸しした。
奥様に早速読ませると、痛く感激したそうで、その生活様式を少しずつ取り入れ、頑張るそうです。
理系の頭の持ち主なので、きっと理解も早かったのでしょう。

辛い思いをされている、お子様が、少しでもよくなり、楽になられることを祈る日々です。

でもなあ・・・・モノを教えてもらってる最中に、一体どこで逆転して私が教える羽目になったんだか・・・・謎は深まりますが、ま、結果オーライ、ジュウソイスト1名追加!ヘイ!お待ち!!!