夜空に輝くものたち

高松は、今日の夜、満晴れ。
さっき、愛犬ねねと、久し振りに夜、家にいる相方と一緒に夜のお散歩に出た。
(子供達も誘ったんだけど、暑いから嫌!と断られた・・・・最近かわいくね~っ!!<(`^´)>)

空は、もう、満点の星空。
夏の星座がキラキラ輝いている。

あー夜空なんてのんびり見たの久し振り。

圧倒的に大きな宇宙の、ど真ん中の、小さな地球の小さな陸の上にちょこんと乗ってる宇宙のかけらの私たち。

やっぱりかなわないな、大自然には。
遠くで輝くこの光は、何億年も前の星のなごりなのだから・・・。
今はもう無い星かもしれない・・・。
映像は私たちに届いていたとしても・・・。

ちょっと外に出ませんか?
そして、宇宙のかけらの自分と宇宙が繋がってること、確認してみましょうよ。

命あることの素晴らしさ、そんな気障なことを、言葉にしなくても、体中で感じられるから。

客観的な人とそうでない人

最近、色々な人に出会う。
その中で、「この人、なんか冴えないよね」と言う人と、「すごくステキな人だわ」と思う人に大別できる。
好き嫌いとか、そりが合う合わない、って言うのはこちらに置いておいて・・・・。

ポジテイブに、「ステキな人だなあ」と思う人の場合、まず、着るものがその人に似合ってる場合が多い。
職業も、人によく会う仕事だったり、仮に専業主婦であっても、外の世界に充分に浸って、客観的に自分を見ることが出来る人なのだと思う。
だから、10年以上も前の服なんかは、よほど、礼服とかでもない限り、歳をとっていく自分に似合うわけがないので恐らく着ないのだと思う。
周囲の流行がどうであれ、常に「今の自分」を良く理解していて、「今の自分」を魅力的に見えるように努力しているのだ。
そんな人は、いくつになっても内面が成長しているから、身の回りのことにも気を配ることが出来る。
私より20以上も年上の叔父様たちと話す機会がよくあるのだけれど、本当に、内面を磨いている人は、外面もやはりきれいです。
流行の「オーラ」とでも言うのかな・・・・?
きっとキレイなオーラを放っているんでしょうね。

一方、「どうなんだかなあ・・・」と思う人の場合、仕事などをうかがうと、同じ環境、狭いエリアでの同じような価値観の集まりに所属している場合が多い。
大人として話をする時に、メンバーの変化がほとんど無いということ。
日本の地方公務員などがその典型なのかもしれない。
同じような服、同じようなめがね、同じような髪型、そして恐ろしいことに「同じような人生」!!
これが、欧米の外国の人には多分理解できない部分なんだと思う。
個人の楽しみや、個人の時間の過ごし方を、まるでみんなが同じにして何が楽しいんだい?と言うわけだ。
たまたま同じ、と言うのはまだ頷けるけれど、それを目指しているパセンテジの多さに驚くのだと思う。
私は日本と言う国が大好きだし、自分が日本人と言うことが割りと気に入っているのだけど、個人を大切にしない風土だけは頂けないと思っている。
その部分だけは、負けてるな~と認めざるを得ない。
結果、ご近所で(めちゃ田舎臭いんだモノ・・・考え方が・・・)浮きまくりなのだけど、そういうことにもなれた今日この頃・・・。
思う人には思わせておこう。
なにね、ちゃんと税金払って、子供育てて、仕事して、刑事事件も起こさずちまちま生きてるんだから、何にも恥じることも遠慮することもないと、開き直ったのは30代前半・・・・。
「私は私」というスタンスは私を随分自由に楽にしてくれたから・・・・。
素敵に見えない人達は、外目には、時代遅れの服を着て、髪型さえここ20年ずっとこれでいっています!って感じで、目立ちはしなくて、ひっそり死んでても、「そんな人いたっけ?」と言われ、「へえ、亡くなったの」と、一言で片付けられてしまう人だ。
狭い自分の世界からしかものを見ないから、自分を改めて見直すこともできていない。
このあたりは、性格にもよるかもしれないけれど・・・・。
だから、ある日仕事を定年で辞めた途端、少ない脳の回路が閉ざされて、急にボケたりなんかしてしまうのだろうね・・・。
誰かの記憶に、いい人だったと言う印象さえ残せないのは、少しさみしい気がする。
私自身は、「私のいい印象」ではなく、今やっている活動を、後々に残したいのですけどね。

最近自信を持って言えるのは・・・たとえ私が漁師になっていても、国会議員になっていても、八百屋を切り盛りしていても、デザイナーになっていても、詰まるところ「のんちゃん」だったんだろうな、ということ。
やっぱり白い粉(モチロン重曹よっ!!!)に興味を示し、CPPに入っていたに違いない。
そう考えると面白い。

昔からの友人たちは、100%、口をそろえて「今のあんたは幸せそうやわ~」と言うのだから、きっとやっぱりそうなんでしょう。
実際、クラス会なんかで話していると、「あの時に戻りたい」とか、「あそこでこっちの道を選んでたら今の私どうなってたかしら」というような意見もちらほら・・・・。

でも、私はやり直したくもないし、どんな選択してても「のんちゃん」なので、後の肩書きはどうでもいいかな・・・?
「ライター」は辞めれば消えるし、「お母さん」も、いずれ子供の手が離れると、開店休業に追い込まれるし、「主婦」「妻」も主人がいてこそ・・・一人でいるときにその肩書きは必要ないしね。
ほらね、ほらね、そうして考えるとやっぱり「のんちゃん」しか残らない(笑)

世の中の、肩書きやなんかに影響されやすい人たち、社会でもらう肩書きなんて、所詮、自分を育てるための「肥やし」にしか過ぎないよってこと、気づいて欲しいなあ。

で、「のんちゃん」を育てるためにまた、せっせと活動も仕事もやります!
気づくのに40年かかるもんなのかな、うん!

皆も、いっぱい脳の回路を作って「私」を堂々と生き抜こうね。

病院に来てくれるプロフェッショナルな人達・・・

ここは、リハビリクリニック・・・・一応、入院設備のある病院・・・・。
長期入所の人はいないけれど、ここを出た後、施設のお世話になる人は多い・・。
そのせいかどうか、気軽に色々なことを頼める・・。

例えば「歯科医」。
訪問診療専門のところがあって、ローテーションに組み込んでもらえれば、ほとんどの治療をしてもらえる。
少しお値段は高いけれど、母のように体が不自由になった人達にはこの上なく、便利なシステムだと思う。

それから理容師・美容師さん。
お休みの日に、お安い値段で来てもらえるところもある。
よくは知らないけれど、資格がいる場合もあるそうだ。
だから、施設や病院でも、小奇麗にしておくことは可能なのだ。
私の知人もそういう人の一人で、組合に所属しているので、年に数回まったく無料のボランテイアで行くこともあれば、その時に知り合った方から呼ばれて、定期的にきちんとお金をもらって伺うこともあると言う・・・。
それでも、かなり格安ですけどね・・・・。

それから、ヘルパーさん。
これは、色々な種類のヘルパーさんがあって、お値段も色々・・・。
ただの、家政婦さんのように、家事などを在宅の場合やってもらう人や、病院で昼も夜も付き添ってくれる、もと看護士さんだったりする人・・・。
中には買い物だけのお手伝いだったりもするみたい。
確かに、高いけれど、いざと言う時、とっても頼りになります。
今回の母の時には私一人で乗り切ったけど、数年前の主人の父のときは、本当にお世話になった・・・。
ここ一番!と言う時、お願いしたい存在。

他に何があるだろう・・・。
でもどちらにせよ、以前に比べて、格段に便利になっている。

ただ、ほんの少し、病院の人に恥ずかしがらずに勇気を出して聞いてみるだけのこと。
それで、万事OK。

心の扉

今日は、知人の美容師さんにお願いして、4月から放ったらかしだった母の髪をカットしてもらう。

随分と短く切り込んだ。
夏だし、襟足も短く・・・。
ジャニーズ風とさえ言える!(笑)

すると、母の機嫌がいい。
そうだったんだね、ずっとうっとうしかったんだ。
こういう時って、一番後回しになるのがおしゃれだったりするんだろうな。

似合うよ、と口々にスタッフの人や入院している患者さんに言われて、照れながらもうれしそうな母を見る。

軽やかになった母は、また1つ、出来ることが増えている。
もう駄々もあまりこねず、思ったことを伝える為に、単語をいくつか話したり、ボディランゲージも始めた。母は、外国人になったんだと思うことにした。

話す言葉は違うけど、伝えようとすればなんでも伝わる。
聞いてあげることが出来る。

私の中の、悲しい感情や、辛くても耐えていた感情が少しずつ目を覚まし、私を揺らしはじめた。

やっと人間らしさが私の中に戻ってきた。

母を置き去りにしたような罪悪感や、幼い子供を留守番させる時のような不安感。
色々な気持ちがないまぜになればなるほど、涙が出そうになる。
まだ泣くのは早いよ、と自分に言い聞かせながら、少しずつ心の扉を開き始めることにしよう。

この1ヵ月半、まったく泣かなかった自分を、少し甘やかそう。
でなければ、心が角質化してしまう。
何も感じなくなってしまう。

私から少しずつ手の離れる母も、こんな感じなのかもしれない。
処理できない感情と、ずっと向き合っているのかもしれない。
そんな母と、そんな私が向き合って、笑ってる。
そんな時間をもう一度持てることに感謝します。

もうしばらく、この平穏な時間を維持できますように、と心から願う。

私のロナウジーニョ2

どうです?色と言い、活躍度と言い、文句なくそのネーミングでしょう(^_^)v

と言うわけで、写真で登場。

あーくだらないわ~と思わずに、一緒に楽しみましょう!
人生、何があっても笑ったもんがちです!
楽しく過ごす為には、日々、心の鍛錬です!

「1日1吉本!」
我が家の家訓です(誰が決めたんだ!)

蜘蛛の糸

今日は、一日、弟が母の介護を代わってくれた。

今日は子供達のピアノの発表会だったし、先月誕生日もろくろく祝ってもらえなかった私のために、家族との時間が欲しいと弟に訴えた。

仕方なく・・・が本音だろうけれど、交代してくれた。

夜もゆっくり家で過ごせることのこの贅沢で、幸せなこと・・・・・。
時間やそんなものに追われ続けた1ヶ月と1週間・・・。

もうひとがんばり必要だけれど、既に、地獄ではなくなった。

少し、カンダタの気持ちが分かる。この細い糸が切れませんように、と祈る気持ちは、おんなじかもしれない・・・。

カンダタは欲を欠いて地獄に逆戻りだけれど、私は違う・・・。

こうなるまでに、母のリハビリや生活をピラミッドの石を積むごとく、1つづつ、きちんと構築してきた。
何度も置き直したり、もう一度積んだり・・・・。
だから、その糸が切れても、まっさかさまに、地獄まで落ちることはない。
努力って、こういうことなんだと思う。

幸せをかみしめつつ、緩やかに床に就く。

家のベッドは、気持ちいい!大の字で、寝転がると、不安も疲れも吹っ飛ぶ。
良質の睡眠、極上なり極上なり・・・・。

腹痛とアルコール・・・そして救世主「ビネガー」

こんなに自分がアルコールに弱くなっていたとは・・・・。

神戸にいた頃は、毎日缶チュウハイを5本ほど軽くあけても二日酔いなんて知らなかった。
友人と夜を徹して、ワインを3本(勿論フルボトル)軽くあけて、爆睡の後、朝、あわててガッコにダッシュしたこともある(当時、私も友人も花の女子大生さっ!)。

今日、いつもの居酒屋で、たったグラスに1杯だけ・・・・。
なのに、かなりふらふらで、酔っ払いになってしまったことが分かる。

帰宅してから、突然の腹痛・・・・、吐き気・・・・。

居酒屋で家族4人でまったく同じものを、同じ皿から食べて、私だけがこの有様・・・・。
食中毒でないことだけは確か!とにかく、アルコールを抜く為に、あわてて、お気に入りのビネガードリンクを飲む・・・・。

20分後から、頻繁にトイレに通う私の姿があり・・・・・・・・・。
あっという間に酔いはさめた・・・・・。

さすがビネガー殿!
私の体から、アルコールを抜いてくださいました・・・。

今は何事もなかったように、こうしてブログを書いている私がいます・・・・。
ううーん・・・・・歳かな・・・?

次回からは、美味しい(高級な)お酒をちょびり、と飲むことに致します。

もう、がぶ飲みは致しません!

あーしんどかった(^_^;)

ちなみに、愛飲ビネガーは、おたふくソースから出ている「デーツ酢」。
鉄分が多いし、他のミネラルも豊富で、女性の味方!
(成長期で)貧血気味の上の息子と(女性の)私はせっせと飲んでいて、これを飲み始めてから、すっごく調子がいいので、我が家の体質に合ってるみたい・・・。
牛乳や豆乳と混ぜると、ブルーベリーヨーグルトっぽい味になるので、飲み始めて1年以上になるけれど、未だに飽きない。
勿論、水で割って、重曹をぱらぱら入れると、デーツソーダの出来上がり。
夏ばてには酢ッごく(?!)効きます!

今回も、活躍ご苦労!と、声をかけるのであった。