のんちゃんのお仕事・・・(2010.8.23)

お久し振りです、皆様。
ツイットはCPPツイッターで時折していますが、久々のブログです。
のんちゃんは生きてます(笑)

確かに忙しくなって、一日のルーティーンワークがすっかり変わってしまったので、無駄に疲れていました!!!!

ようやく、やっていく自信ができてきたので、何の仕事か吐露することが出来ます!
その仕事とは・・・・?ドクターズ・クラークなんです!ちゃんちゃん!!
ドクターの指示の元、診断書の作成などをやったり・・・・今はまだ、そのくらいしかできませんが、ゆくゆくは、もっと色々な仕事をやり、ドクターやナースが医療業務に専念できるように、事務的な部分をカバーすると言うお仕事です。

私の勤めているところでは、初めての試みで、職員たちにはまだ、認知されていない仕事であるので、実際のところ、どう扱えばいいのか、皆で悩みながら、一歩一歩手探りで進んで行っている感じです。

とりあえず、3人採用され、私以外は、ピッチピチの20代なので、最初から、「何か違うスキルを求められている・・・・」と言うのは薄々感じていたのですけど・・・・まさに、ビンゴ!
「クラークのお母ちゃん」と、通称呼ばれつつ(実際、彼女らは娘のような年ですもの・・・^_^;)日々過ごしています。

正確には、まだ、クラークではありません・・・・研修中の身で、6ヶ月の研修を経ないと、資格試験を受けることができないシステムです。
(ニ○イとか、民間には、メデイカルクラークとか、同じような名称の資格はたくさんありますが、それとは少し違います・・・・・)

よく世間で言われているとおり、ドクターの仕事は忙しすぎて、本来医師しかできない仕事にもっと時間を割かなくてはならないのに、それができていないのですね。
なので、事務的な仕事・・・・まさに診断書や主治医意見書などがそうなのですけど・・・そのようなものを作成するのを、事務員にやらせ、確認をして、サインだけすれば済むようにしようという試みな訳です。

のんちゃんは、整形外科に配属されました。
副院長先生のもと、がんばっているんです!

副院長先生は、多分、かなり、愉快な個性の持ち主で、のんちゃんは、このボスがとっても大好きです!
ああ、この人のもとでよかった、と思っているのです。
内ゲバはまた今度!
がんばってるのんちゃんからでした!

事始(2010.8.9)

6月から、職場を変わり、一日のシフトがすっかり変わって、慣れるのに、少々時間を費やしてしまいました。
ブログと、長らく会話していませんでした。
でも、慣れたわ、だいぶ・・・・。
何の仕事かは、またの機会にゆっくり話すとして、でも、とてもやりがいのある、楽しい仕事です。
同期で入った2人の親子ほど年の違う2人も、周囲の人たちも、みんなしゃきしゃきっとしていて、気持ちがいい。
慣れてない私がその中で、おどおどしているのも、なかなかに面白いでしょ?

今回の仕事で、私のボスになった人は尊敬できる、きちんとした人です。
以前、ブログで、あまりにストレスがたまってしまったため、ぶちまけてしまったハゲのハラスメンターのようなこと(笑)は決してなくて、どこまでも責任感をきちんと持って、決して手を抜いたりしない人です。
私はいいボスに恵まれて、本当にラッキーだと思っています。

思えば、高松に戻ってライター家業につく時お世話になったボスも、本当に素晴らしい人だった。
最初に勤めた母校でのボスも、いい指針をたくさん下さいました。

うまく行かない時もあったと思うのだけど、思い出すのは、良いボスばかりです。

そうやって思い返すと、私は、とても幸せな出会いをたくさんしているのだなあ、と思う。
何の仕事でも、大切なのは、やはり「人とのつながり」だと思います。
最初、人から始まり、最後も人、で終わるのだと思います。
人として、まだまだ未熟な、のんちゃんではありますが、よき出会いと、あちら側からも言ってもらえるよう、がんばります。

今日は、息子がオープンキャンパスに、大学に出かけています。
どんな顔で帰ってくるのか、とても楽しみです。

お久し振りね~♪(2010.7.1)

こんにちは、皆様!
心配のメールまでいくつか頂き、ありがとうございます。
のんちゃんは、とっても元気ですので、ご心配なく~!

年甲斐もなく、新しいことにチャレンジしていて、研修が延々続くので、なかなかブログに手が回らなかったのです。
毎日がくったくた・・・よくリビングでうたた寝をしている日々です。
家族の協力がなければ、とても続けられないと、ひしひしと思います。
なれないことを始める時は、いつもそう・・・
ドキドキと、ワクワクと、ちょっぴり不安がもたげてきて、立ち止まったり、爆走したり・・・
うまい具合にスピードも、距離も、パワーの均等な発散も・・・まだまだできません。
研修が終わったら、一体何にチャレンジしていて、どうだったのか、またゆっくりブログりますので、そのときはぜひ、おしゃべりに付き合ってくださいな!
まだ、新しい環境でおどおどしてばっかりだけど、やっぱり、のんちゃんカラーは忘れないように、時々背筋をピンと伸ばして、姿勢を正しています。

一般の人たち(?)と触れ合いながら・・・そう、普通って多分こうでしょうね、と新たな発見をしたりしています。
例えば、制汗剤とか、合成洗剤やシャンプーのニオイといったものたち・・・・
当たり前のように使っていて、まったく疑問を感じていない人たちにずらりと囲まれています。多分100パーセントそうなんじゃないかと思います。
ああ、やはり、ジュウソイスト的生活は、少数派なんだな~と、マイノリティ気分を味わっています(笑)
でもね、だからこそ思います。
重曹との生活は、ストレスフリーで、とても気持ちのいい生活なんだなって事・・・
合成洗剤や、制汗剤の安っぽい香料のニオイを嗅ぐと、精油の本物の高貴な香りとはまったく違って、正直吐きそうにさえなります。(いっつもやんか!ワタシ!!)
無臭と、本物の香りのコラボは、科学合成品とはまったく違います。
のんちゃんは、嫌な臭いを嗅いだ日は、おうちのお風呂にゆっくりと浸かって、本物の精油の芳しい香りに包まれることにしています。
一日のリセットを、本物で終われる贅沢は、きっとこういう生活をしている人たちだけが知っている、自分へのご褒美なんだと思います。
ジュウソイストでありながら、周囲は全員違うのよ!って方、うまい潜り抜け方を、一緒に構築しましょう!
それも、楽しみの一つです。
それではまた!

ペインティング(2010.5.30)

少しの合間を縫っても、壁のペイントを続けている。
実際、塗る時間というのは、さほどかからない。
塗って、乾くのを待って、また塗って・・・・そんな繰り返し。
あとは天気予報と風の具合のみ。
少々、夕方遅く戻っても、マスキングはできるので、窓やドアにペタリと張って、塗る日に備えることができる。
セルフペインティングは、重曹生活にどこか似ている。
ちょっとした手間を積み重ねて、一気にかたがつく。
住む場所を手入れすることは、もう、当たり前になった。
体の動く限り、自分のできることは、自分でしよう、と小さく誓った。
どんどん、年とともに、半径は狭くなるのだろうけど、ずっと円を描いていたい、と思う。

黄砂(2010.5.25)

雨が上がると、黄砂が舞っている・・・・・
途端に、咳がひどくなって、吸入をしなくてはならなくなった。
一体、何が入ってんの???
このアレルギー症状は、黄砂飛ぶ時期に、突然やってくる。
アスベストと同じようなことになる恐れもあるって、何かの記事で読んだ。
そうだろうと思う。
マスクが離せない。
呼吸器の弱い人は、直撃だと思う。
たまらんな~

★黄砂

皆さんも気をつけてくださいね。

虫の知らせ・・・(2010.5.23)

まさか、今月、二度も喪服を着ることになるとは思いも寄らなかった・・・

どうしてか・・・いつでもいいはずなのに、メールを送った。
そんなに大切な内容でもないし、本当に、なぜなのかわからない・・・
すると、その人のお母様が、本当に、そのメールのちょっと前に亡くなったことが分かった。
とても、お世話になった人だった。
お腹に上の子供が入ってるとき、近所のよしみで、何くれと世話を焼いてくれて、子供が生まれてからも、あれやこれや・・・
引っ越してもお付き合いは続いて・・・・入園の時や入学の時の手さげ鞄や、空手の道着を入れるサックも、全部その人の手作りで、子供達は随分と、「お母さんは、手芸が上手なのね」と、ホメられた。
パッチワークの先生だったから、それはね、プロの腕なので・・・上手です!
今も、その手さげと、弁当袋と水筒袋は現役で、子供達のお弁当やお茶を運ぶのに毎日使われている。
代わりと言っては何だけど・・・お料理もとても上手だったから、自宅で取れた野菜や、実家からもらう(とても食べきれないので)たくさんのお野菜を、時々届けていた。
綺麗な人だったから、死に顔もやはり美しかった。
私は、涙が出なかった。
いつもそうだ。
その場で泣いたりしない・・・あとで、家に戻ってから、ふと、その人のことを思い出したときに涙が出るタイプなのだ・・・
お通夜も、お葬式も・・・・穏やかな顔で旅立ったその人を見送るセレモニーは、滞りなく終わった。
残された人は、ただ見送るだけしかできない。
子供の明日の、お弁当の用意をしようと、夜にキッチンで手に掴んだのは、まさに、その弁当袋だった・・・
優しさに溢れた、お弁当箱きっちりサイズの、その袋を作ってくれた時の笑顔を思い出して、ようやく涙がこみ上げてきた。
それまで、どこか信じてなかったんだ。
家族が心配するから、声をあげて泣くわけには行かないけど・・・
静かに、涙を拭き取る作業がしばらく続いた。
たくさんの思い出と、思い出の品が、我が家にはあちこちに溢れている。
玄関の干支の置物も、毎年もらって、一通り・・・・
毎年、飾り続けるたびに、その人を思い出すのだろう。
最初の数年は辛いかもしれないけど、やがて、穏やかな気持ちで懐かしむ日が必ず来る。
母親的な役割を、女性は求めると、心理学で聞いた・・・
私や私の母に欠けていた、細やかな部分を、私はその人に見て、甘えていたのだと思う。
女性的で、主婦の鏡のような素晴らしい人だった・・・
穏やかな顔にふさわしい、穏やかな死に際だったと、家族の人たちから聞いた。
悲しいけれど、良かった、と思う。
家族の人たちの悲しい心が、穏やかで懐かしい気持ちに変わるのが、少しでも早くなることを、遠くから祈ることしかできませんが、どうか、そうあって下さい。
花の咲く美しい季節に逝った人は、きっと皆が笑って過ごしてくれることを望んでいるはずなのだから・・・

悩みのない人なんていない(2010.5.20)

前にもブログで呟いたことがあったかなあ・・・・?
「アナタは何にも悩みがなくていいわね」、と、当時かなり問題を抱えていた私に、たかが失恋ごときで言い放った人間がいた。
まあ、今思えば、あの時は、家族が病気で生き死にのかかっている私と、たかだか高校生の失恋なんて、比べるべくもなく、逆に、友人達に気取られず、明るく振舞えてたのなら、あっぱれ、と自分を褒めてやってもいいくらいなのだが、若かったので、随分とその言葉に傷ついた。
往々にして、若さってそんなどうでもいい事実の積み重ねだったりする。
いつもそうやって、自分ばかり大切にしていたあの人たちは、今はどうしてるのだろうか?
主婦しながら、あそこのご主人はどうとか、うちの亭主はああだとか、これまたずっと批評会を繰り広げてるんじゃないかという想像は、ちょっと・・・できる。

その時その時、人は否が応でも、悩みを抱えていると思う。
悩みのない人間なんていない。
それが、軽いか重いかは別にしても・・・・・。
煩悩はついて回るのだと、久々に会った友人とも言葉を交わしつつ、再度噛みしめた。
でも、悩みというのは、愛しい何かがあるからだったり、何かを始めたり、続けているからそこに生まれてくるのだ。
幸せのバロメーターと言ってもいい。
自分の傍にある大切なものを、改めて「大切」と気がつく作業だったりもする。気の置けない友人とは、さっぱりとしたお付き合いで、変な気も使わないでいいし、きっと一生友人でいられる人なのだが、彼女もやはりたくさんの悩みを抱えていた。
小さなものから、大きなものまで。
人生というものは、ずっとこうして、旅をしているようなものかもしれないね。
少ない時間の中、たくさんの話をして、お互いの近況を報告しあって、懐かしい時間はあっという間に過ぎ去った。
100年経てば、ワタシという存在も、彼女という存在も、忘れ去られ、誰も、存在したことさえ知らない人ばかりになる。
そうして、時間は止まることもなく流れ続け、常に最先端を、同じ時間の中を歩いている人たちを全員連れて一緒に進んで行くのだ。

その友人に
「あんなにいろいろあったのに、いつも明るいのはなぜ?」と聞かれた。
そうだね、どれ一つとっても、それだけで、自殺してしまう人もいれば、離婚したり、体を壊したり、性格がすっかり変わってしまう人もいるんじゃないかと思うくらい、色々なことがあった、と思う・・・確かにね(笑)
いくつかの出来事では、体調を崩したし、ヒステリーを起こしたり、まあ、今思えば、私の極端な部分が露出しまくった。
特別明るいヒトではないと思う・・私という人間は。
ただ、いろいろあったから、多分、幸せ度のセンサーが敏感になったんだと思うのだ。
小さな事やものでも、ありがたいと感じる生活は、誰かと比べたりして、あの人に比べると自分の生活はつまらない、なんて思うよりずっと気分がいい。
今日、アナタに会えたこと、このブログをしたためていること、家族が元気でいること、それはかけがえのない奇跡で、そんなささやかで、うれしい奇跡をまた明日も続けていくのにはどうすればいいか、毎日考えている・・・それも幸せのかけらの一つ。
たくさんのことに今は、手を広げすぎて失敗が多いけれど、それも幸せ。
伸ばせば届くものがいくつもいくつもあるということだから・・・
今は失敗でも、そのうちちゃんとできるようになるでしょ、だって、そうなるように毎日考えているから・・・
失敗も生きてる証拠、と楽しむことにした。
いろいろやりすぎていて、一つことにパワーを注ぎきれていないのも自分の中では承知済み。

死ねばいいのに、と思う人も何人かいるよ、実際はね。
でも、どうだろ?心の中で毒ずくだけなら、誰にも迷惑かからないでしょ?
そんなことを考えてしまう、心の狭い、いやな人なんです、私という人は(笑)
ホントに口に出しちゃったら、それはケンカになっちゃうし、下らないから、口には出さないけど、思ったことは素直に認めることにした。
そうしたら、心はすっと楽になったんだ。
他人にはめられて、散々な目にあったとき、なるほどね、と思った。
心の中まで、自由でいられなくなったら、おしまい。
死ね、と思う気持ちも、道端の花を見て美しくてけなげだね、と思う気持ちも、同じ私の心のうち。
汚い部分があるからこそ、綺麗な部分も認めることができるようになった。
そうしたら、笑えるようになったんだよね。
どっちも自分。
どんなに両極端でも、それは自分自身。

悩んでいいから、逃げないでがんばって欲しい、と思うのです。
いつも正面から、正々堂々たち向かってください。あなたらしく。
思うように行かないのが人生だから、思うように行く為には、色々なアイデアを考えることが、私たちには許されているのだから・・・

振り向いて考えてみたけれど、うん・・・・色々あったときさえ、やっぱり私は幸せなヒトでした。他人からどう映ろうとも・・・・
家族があって、友達がいて、仲間がいて、相談できる場所も、愚痴をバラける場所もあった・・・・それがなければ、不幸な人だったかもしれません。
人同士の作る皮膜は、本当に強い。目に見えないそのつながりが、そこにあるだけで、孤独ではないし、乗り切ることができる。
まあ、まだ私も問題が全て片付いているわけじゃありません。むしろ、山積み・・・・
一つ片付けば、次の問題が発生している、という具合です。
何を持って、生きていることを幸せというのかはそれぞれでしょう・・・・これ、という答えはありません。
でも、生きているだけで幸せというのは真実だと思います。
生きてさえいれば、いつだって、人生逆転ホームランを打つこともできるし、コツコツとヒットで点数稼ぎだってやれるんです。いやいや、そのどっちもできるんです。
ある朝、目覚めることのない日が「死」というものだと、尊敬する人の言葉で学びました。
毎日眠ることは死ぬようなもの。だから、つまり、人は、毎日生まれ変わっているということなんだよ、ということです。
今日の私は、あと何時間かで死にます。
今日の間に、思いのこすことや、やり忘れたことはないでしょうか?
もし、明日生まれ変わることもなく、そのまま死ぬようなことがあっても、それも人生なのでしょう。
穏やかな心、というものは、自分の内にしかないこと、色々な体験で学びました。まだまだ修行の足りない私ですが、毎日穏やかに床に着けるように、鍛錬します。