2008年2月14日(木)浸食

寄せては返す波のように、
人々がやってきて、
ひとつの質問を繰り返す。
どうして重曹で掃除ができるのか。

みな同じような時期に、
同じ疑問にぶち当たっている。
おもしろいものだ。
意識の変容とは同時多発的なもの。
答える私もグランドシフトを起こし。

幾度か回答を繰り返しているうちに、
ふと気づいたことがあった。

10年前、重曹を知ったとき、
それはオルタナティブ・クリーナーと呼ばれていた。
従来の洗剤の代替になるもの。
これから選ぶべき第三の道。

しばらくそれに倣って答えていたけれど、
すいぶん浅い理解だったなあと思う。

オルタナティブ(代替品)は、
人間の使っている洗剤類のほうだ。
環境を浄化し、蘇らせているのは自然であって、
そのクリーニングのプロセスを真に担うものこそ、
頭に何の形容も付けずにクリーナーと、
呼ぶにふさわしいんだなあ、きっと。

昨日の浜辺を打った波と今日の波は、
同じ水のように見えて、
決して同じではない。

海岸にぶつかり、洗い、巻き込みながら、
新しい場所に移動していく。
一度一度の波の小さな奇跡が積み重なり、
全景に結実することを想う。
波打ち際の砂粒のひとつとして。

2008年1月5日(土)栄えよ

今年の正月シーズン、
テレビの特番や新聞の記事などで、
地球環境の危機を取り上げるものが目立った。
特に温暖化に関しては、
どれほど非常事態が起こっているか。

でもね、と思う。
一部の人たちはちゃんと言及しているけど、
危機に瀕しているのは地球じゃないんだ。

困っているのは人類。
それと、その巻き添えを食う生き物たち。

そのことを、はっきり念頭に置くほうがいいと思う。

今現出しているのは「地球の危機」ではなく、
予想以上に環境に影響を与えたかもしれないために、
だんだんその変化に順応できなくなっている
「人類の危機」だし、
「地球に優しい」という形容を、
(このホームページのキャッチを含めて)
慣用句的に使うけれども、
そう謳われるモノや事象の、
成果を突き詰めてみれば、
それらはみな結局、
「人間に優しい」を目指すに過ぎないとわかる。

だって。
この星が本当にリセットするなら、
天変地異をほんの少し繰り出すだけでよい。
一千度を超える熱と荒れ狂う水。
ついでに地軸と磁場がくしゃみ程度にブレれば、
今言われる“不都合な真実”など、
文字通り灰燼に帰す。

そしてそのような変化は、
この星にとって痛くもかゆくもないイベントだ。
すぐに新たな恒常的バランスが生まれるだろう。
その環境中に人類の姿はないかもしれないけれど。

それでも。
幾度となく繰り返した問いのあとで、
今はこう思う。

「栄えよ」

それがこの星とそこに棲む生き物たちに与えられた、
問答無用の命題なのだろうと。

確率は小さいけれども、
ゼロではない。
その偶然に支えられて、
(地球型の)生命が育まれる星に、
あるとき爆発的に繁殖した。

その生き物がより高次の自覚を得て、
この先も大集団で生き延びていくか、
次第に生存確率を悪くしていくか、
どちらを選ぶにせよ、
それはこの星が許した範囲内の自由だということを、
忘れないでいようと思う。

どのように栄える/栄えないか、
それだけが生き物の自由なのであって、
栄えなければいけないわけではない。
そこのところ、いつのまにかすり替えて、
地球環境を守るため、などと思いこまないよう、
慎みをもって歩みたいと思う。

風が動き、水が輝く。
祝福こそあれ、
危機などない。
あるとすれば変化。
変化も星には祝福なのだ。

2007年12月25日(火)違う梢で

鵯(ひよ)の声がする。
都心の大学のキャンパスにある、
高い高い、銀杏の木。

梢に数十羽とまって鳴き交わしている。
鋭く伸びる美しい声。
鳩が近づくが、あわてて方向転換する。

地上から見上げると、
冬支度で裸になった木に、
パラパラ映るシルエットは、
落ちきらなかった大きな葉っぱのよう。

夕方、雀だけでなく、
鵯も集会するんだなあ。
気の強い葉っぱ。
都会のカラスも一目置く。

葉っぱたちは、忙しそうに、
ときどき羽ばたいたり、
向きを変えたりしている。

この冬が彼らにとって、
越しやすい冬でありますように。

迎えが来て、
再び人との会話に戻る。
来年のために、一日中話をしている。
このところ毎年クリスマスあたりは、
こんな感じかもしれない。

そうやってパタパタするうちに、
街の飾りも清々しく年迎えに変わる。
私もそろそろ羽繕いしなくちゃ、と思う。

さっき見た銀杏の梢に、
お鏡のような月がかかっている。
一休みした鵯たちは、
どこに飛び去っただろう。
一羽一羽、違う梢で、
どんな夢を見るだろう。

2007年12月23日(日)森の生

用あって、
H.D.ソローを読み直している。

文庫を持ち歩いていたら、
タイトルを読み取った人に、
ああ、あなたらしいと言われ、
そうかな、ずいぶん久しぶりなんだけど、と、
ぶつぶつ独りごちる。

読み直して驚くのは、
そのほとばしるようなエネルギーだ。
他のネイチャーライティングとは一線を画す、
今なお若者の魂を鼓舞してやまない、
熱情に満ちた文章。

こんな感じだったか。
自然を描いた文学というよりも、
この本は自然を背景に、人間に対して叫んでいる。
声を限りのアジテーション。

だからこそ多くの若者(ばか者?)が、
ソローの説く生活に魅了され、
本気でよろよろ出奔した。

第四の革命、
すなわち人間の社会を情報爆発が覆った、
現代に生を受けたとしても、
ソローは同じ言葉でアジるだろうか。
指さす森はあるだろうか。

明け方、頁をくりながら、
時折やってくる猫をなで、
赤い朝日を見ていた。

すぐそばの生き物は温かく、
気まぐれに声を発し、
生まれ落ちてから命を閉じるまで、
まごうことなき森の生を生きている。

2007年12月20日(木)波乗り問答

書類の山を前にタメイキ。
ヒガクレル前になんとか、
今日のことはやらねば。

しかし紙束をかきわけているうちに、
どんどん時間は経っていくのだった。

夕方からミーティング。
マックでいいよね、と、100円コーヒー。
さくっと話せる場所にありつく。

何をディスカッションしたいか、
質問の奥を読み取り、
それに対して答えを発する人なので、
質疑応答というよりも禅問答。
ぶっとんだ会話で、
思考の高速回路にはまる。

おかげでずいぶんはかどった。
そのあとは、お台場。
クリスマス間近の街の夜景は美しく、
今年はずいぶん色付きLEDの電飾が増えたのを、
遠目横目で見ながら待ち合わせのホテルへ。

会食の席では、
さっきのモードだと変な人になるので、
(それくらいの客観視はできるぞ)
そっとアクセル解放、
自然に頭の回転をゆるめていく。

中国語、日本語、英語でコミュニケーション。
話しているうちに、あれ、さっきと同じ、と思う。

言葉が十全に機能しないとき、
人は相手の奥を見る。
細かい現実を言葉で知るよりも、
後ろに控える精神のありようを、
一筆書きで把握しようとする。

質問し、答える。
答えて、質問する。

その一言が伝える世界は、
いつもより格段に大きく深く、
心して言葉を、否、
伝えたい概念を選ぼうと、
注意を払い続けた。

言葉では足りないから、
されど我々にはそれしかないから、
言葉の海にこぎ出す。

気づいてみると、
伸るか反るかのバランスで、
ずっとサーフィンしているようだった一日。

2007年12月17日(月)青海波

スプーンで好きなだけすくい、
わさびとのりでどうぞ、と、
出てきたのは根室産のウニ。
一折、まるごと皿に乗っている。
uni
こんなことがあっていいのか、と、
座の人々にざわめきが広がる。

しかしきれいに並んだ様子は青海波に似て、
うーむ佳きことかな、宴に寿ぎ添えむと、
思い切って贅沢に取り、甘くまろやかな味を楽しむ。

波、花、雲、雷。
単純でリズミカルに繰り返される模様には、
どこか人々の気持ちを安定させる力があるようだ。
流行のぷちぷちも、つぶす音と触覚だけでなく、
空気の粒が規則正しく並んでいる様子が、
視覚からこの生きものを慰めているところが、
あるかもしれない。

というわけで∞プチプチ、
リング状に進化しないかな。
(きっとないよ)
そうしたらたぶん、
並んだ粒を目で愛でながら、
指は数珠をくるように、
ずっとつぶし続けると思うよ。
(うん、かもね)

うに箱の景色を見るなり、
あっというまにここまで話題はフライバイ。

目から入ってくる情報は強烈ですからね、と、
誰かのたまいつつ、最後の、
オレンジ色の吉祥文のかけらは、
きれいにすくわれていくのだった。

2007年12月14日(金)感傷

ベイブリッジを渡り、
高速を走るうち夜が明けて、
空港ロビーのざわめきに混じっていく。

なにか胃に入れておこうと、
サンドイッチとコーヒーの店に入る。
食欲がないけど、ちょっと考えて、
エスプレッソとヨーグルトを頼む。

温かいものと、発酵しているもの。
神経を使うことになるかな、という日でも、
おなかがしっかりしていると、
いろいろなこと、ふんばれる気がする。

小さいスプーンでヨーグルトを食べ、
熱いエスプレッソを飲みほして、
店をあとにした。

待ち合わせの時間の、少し前。
海から見た夜明けと、
頬に当たった冷たい風が、
冬の感傷を運んでくる。

子どもの頃は、
なにかを感じても、なにも思わなかった。
青のグラデーションをじっと眺め、
頬の皮膚がきゅっとするのを、
手で温めたりはしたけれど。

情緒というものも、
つまりは時の傷なのだろう。
大人になるほどうずたかくなる、
ひとりびとり異なる感じ方の地層。

さて。
集合場所にした時計柱に、
待ち合わせた人々が近づいてくる。

それにしても眠そうだなあ。
そう、フライト早いもの。
でも元気を出して、
そろそろ行きますか。

傷つくことで、
なにかが壊れ、再生し、
新たに息づいていく。

このことを知っていれば、
前よりも傷を受け入れられるようになる、
というのはウソで、
やはりそれは痛いのだけれども、
しかしそのことをなんの情緒にも結びつけない、
子どもの頃の有り様をひっぱり出せるようになる。
それがいいんだな、きっと。

時間だ。
柱を見上げる。

金属の台に支えられた大きな文字盤が、
やわらかな光を放っている。
物思いをするように。