おひなさま、たくさん

おひなさま祭りの町を歩いた。
古い雛人形はなんとなく、
今の見慣れた日本人とは違う顔つきで、
口角をわずかに上げて、
つるっとほほえんでいる。

hina
かたわらのオルゴールが、
短調の童謡を奏でていた。
ゆっくり。もうすぐ止まりそう。

お祭りなのにものうげで、
子どもなのに酒も出て、
触りたいけど触ってはいけない、
かれんなおひなさま。

 かたしろだったのだから。

ふと、声が聞こえた気がした。

 この身にケカレ写し取り、
 流されたり、吊られたり、燃されたり。
 きれいな飾り物になったのは、
 それほど昔のことではないもの。

そうだったね。
今は身代わりを引き受けよと、
誰もいわない。

さまざまな家に置かれていた、
しあわせの象徴を、
3月の春の光が包んでいる。

写真を撮ると、
赤のハレーションが起きて、
そばの人の顔もほのかに染まった。

星降る平原に

立てなかった。
結果的に、まる一昼夜、
起きることも歩くこともできなかった。
白酒の洗礼はまったく強烈だった。

すばらしいモンゴル音楽とご馳走のパーティーで、
あとは草の上に寝そべって天の川を見上げたよ、
と、あとで聞いたけれども、残念ながらきっと、
行ってもぐったり伏せっているだけだっただろう。

ホテルの人が部屋に運んでくれた、
大きなボウルにたっぷりのトマトと卵のスープを、
少しずつ、半日かけて飲んだ。
冷めて塩味が少しきつく感じられても、
それがかえって気持ちよかった。

午後やっと、
固形のものを口にする気になり、
豆腐を食べた。
日本の豆腐よりも少し固く、
大豆のにおいがする。
かけらにつけた醤油のうまみが、
体中にしみわたってほっとした。

新鮮な空気が吸いたくなり、
ホテルの窓を開けると、
二重窓の外は街の人々のにぎわいと、
ときどき車のエンジン音、そして警笛の音。

ほこりっぽいかな、と思ったけれど、
夕方のまだ少しあたたかい空気が流れ込み、
それには何のにおいもなかった。

 なにしてるの。

自治区は全域ワイヤード。
もはや草原のまっただ中でも、
携帯メールはサクサク届く。

 なにも。二日酔い中。

 モンゴルで?水飲めば。

 うん、そうする。

短い会話のあと、携帯は沈黙した。
ばさりと横になり、パソコンに向かう。
今夜の宴にはきっと大きな羊も出るだろう。

昨日、ゲルで私たちを迎えてくれたお父さんは、
かつては羊の脂とすい臓を混ぜてこね、
せっけんを作ったと言っていた。
丸い、上等なせっけんを。

そのことをメモしておかなくてはと、
今はもうなくなりつつある慣習について、
日本からやってきた酔っぱらいは、
よれよれしながらキーを打っている。
ちょっぴり指が震えている気がする。

ぎんなんにあつらえ向きの

立派なぎんなんの実をいただいた。
これまではフライパンでから煎りしていたが、
ぜひ電子レンジを使ってみて、という。

紙の封筒にぎんなんを入れて口を閉じ、
数粒はじける音がするまでレンジにかける。
殻は飛び散らず、中身もよい具合に蒸し焼きになる。
もちろん封筒は使い古しでOK。

家に帰り、ええと、封筒封筒、と探していて、
実は使える古封筒がないことに気づいた。

宛名が書いてある封筒は、
すぐシュレッダーにかけるので、
完全な袋の状態で保管していない。

かといって宛名のない封筒は、
だいたいセロハンを貼った透明窓のところから、
中の書類に記した宛先が見えるようになっていて、
レンジにかけるには不向きだ。
セロハンをはがしたとしても、
その穴を別の紙でちゃんとふさがなくては、
密封してレンジにかけることにならない。

では新品の封筒?
うう、それはさすがにもったいない…。

というわけで、
材質といい、大きさといい、
ぎんなんにおあつらえ向きの封筒が、
ポストに届くまで、一週間近くを要した。

届いたときの、
うれしかったこと。

茶封筒に入ったニュースレターを取り出し、
(それはあとで読むとして)
いそいそと外身を台所に持っていって、
ぎんなんを入れる。

ポン!ポンポン!

特大のポップコーンのように、
ぎんなんは元気にはじけ、
包みを開ける前から、
香ばしいにおいを立てた。
もちっとしておいしい。

春、オスのイチョウが風に乗って飛ばした花粉を、
メスのイチョウが受け取り、秋に受精する。
花粉から出てきた精虫は、
卵までの道を泳いで渡る。

今となってはめずらしい生殖ストラテジー。
風の力を借り、最後は自力でよいしょ、よいしょ。
恐竜の頃には仲間の裸子植物がいっぱいいただろうけど、
その後の地球環境の変化の中で絶滅し、
現在のイチョウだけが生き伝えている。

風が吹いていること。
適度に暖かいこと。

昨日のように今日があり、
でも今日のように明日があるとは限らないよ。

固い殻のひびわれから、
翡翠色をしたぎんなんがのぞく。

それは忘れえぬ古い記憶のようにひそやかで、
このうえもなくあざやかな色をしている。

淘汰すればするほど

この正月に心ならずも(?)、
家電量販店をハシゴする機会があって、
久々にウォッチャー魂がうずいた。

一番驚いたのが卓上食洗機の淘汰だ。
メーカーが3社くらいに絞られている。
初めは量販店だから売れ筋しか置いていないのかと思ったが、
別の店に行っても同じなので、やっと最新の状況に気付いた。

これなら以前ほど選ぶのに迷うことはないだろう。
マーケットの勝者はどれも機能的に大差ない。
むしろそれがキッチンに置けるサイズか、
価格はどれが安いか、などといったことが、
現実的な購入の決め手になるに違いない。

食洗機専用洗剤を入れてスイッチを押す。
卓上タイプはリンスポケットのないタイプばかりなので、
コースのバリエーションや洗浄能力のレベルは似ている。

でもほんの数年前、卓上食洗機が出始めた頃は、
耳を傾けているだけでじゅうぶんおもしろかった。
製品たちは、設計思想の違いを口々に訴えていた。

「かつてない水流の強さ複雑さが売り物です!」
「水の質をイオンでコントロールするのが特長です」
「水蒸気を発生させて汚れ落ちを追求しています!」

そうした色とりどりの声がやんだ。

これは進化の結果なのだろうか。それとも?

棚を前に、ひとり考え込むのだった。

山のほうは雪

元日。氏神さまをはじめとして、
いつもお参りする神社に詣でる。
天気はいいけれども、風が冷たくて、
衣服から出ている手の表面から、
砂がこぼれるように体温が逃げていく。
山のほうは雪だなあ、と父が言った。

参道はりんごあめ、まんじゅう、わたがし、たいやき、
とうもろこし、焼き鳥、甘酒などの屋台でおおにぎわい。
境内で御神酒をいただき、破魔矢を買って帰途につく。

家で熱いコーヒーをいれ、
カップを包みこむように持つと、
やっと手指のこわばりがとれていった。

コーヒー豆の香りには、
脳のストレス軽減効果があるという。
縮こまっていた神経を元気にしてくれるように思うのは、
そんな話も関係しているかもしれない。

子どものころは、
苦くて熱くてきらいだったのになあ、コーヒー。
年をとることは新しい気づきもあったりして、決して悪くない。
旧癖の吹きだまりにさえならなければ、いいんだ。きっと。

今年も自然の恵みに感謝しつつ、
一歩一歩この星の上で、
未来に向かってともに進んでいきましょう。

新年おめでとうございます。(^^)
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

     m(_ _)m

重曹のグレードについて

このところ、
重曹は食用と工業用ではどう違うのか、
という質問をよく受ける。
年末の大掃除シーズンが近いからか、
工業用は安いので、大量に使うならそのほうがお得と、
考える人が多いのかもしれない。

もともと欧米で家庭に普及している重曹は、
工業用レベルのものはまったく見かけず、
すべて食用レベルのものだ。
焼き菓子のためのソーダ、それがベーキングソーダなのだから、
当たり前の話でもある。
だからこそ、口に入っても、体に触れても安心な、
家庭でのやさしい利用方法がたくさん生まれた。

食用レベルというとき、
それは工業用より一桁上の純度を保証するだけでなく、
それが作られる工場に食品の取扱責任者がいるということ、
食品としてコンタミネーション(混入)への配慮があるということ、
などを意味する。

生活者が賢明な判断をし、
より安く品質のよいものを選ぶ力を働かせれば、
日本でも食用の重曹の価格はこなれてくる。
欧米の現状を見れば明らかだ。

なのでいつもこんなふうに答える。
どんなグレードの重曹をどのように使うかは、
個人の判断なのでまったく強制ではありませんが、
私ならば食用を選びます。

それぞれのグレードの底値を知っている者として、
使い道の広さと安全性と、
その製品にかかっているマージンの低さを考えると、
冷静に食用は一番お買い得だと思うので、と。

逆にいえば、
工業用重曹をおそうじ専用と称して売るならば、
その価格はもっと安くなってしかるべき、
ともいえる。

私たちは日々のショッピングを通じて、
私たち自身の未来の暮らし方を育てているのだと思う。
どんなものを選び、どのように使い、どのように地球に返すか。
できるだけていねいに、
マーケットの淘汰にも関与できればいいなと思う。

さて、今夜も口に入っても大丈夫な重曹で、
お風呂も入り、歯も磨くといたしましょうか。
もちろん、そのついでにハダカでお風呂のお掃除も!

重曹の町に行った

バスの走る道路は、
ときおりひどく損傷しているところがあり、
スピードをゆるめて乗り越えたり、
ハンドルを切って回避したりする。

冬の雪と凍結、
夏の乾燥と容赦ない日差しが、
道路を盛り上がらせ、ひび割れを起こす。
いつもどこか修繕していなくてはならない、
そう地元の人はぼやいた。

道路脇の景色は、
一面の草原というよりも、
むしろ瓦礫と砂の合間に、
少し緑の植物が混じる状態になる。
昔、海だったという平野の地平に、
その頃は岬だったのだろう、
突き出した丘陵の始まりを見つける。

延々と走った先に、
点のように見えた重曹工場があった。
少し遠くからは鉄の森のように見えた。

砂漠のただ中に、
資源採掘のための町がある。
人口約3000人。
工場で働く人々とその家族が暮らしている。
学校もある。
重曹町といえばいいのかもしれない。

町は、近づいたかと思うとみるみる大きくなり、
入る直前に、ほら、そこを見てごらんと、
砂漠の先を指し示すガイドの声がした。
そこにはらくだの群れと、
白っぽく地面から突きだした岩石の列があった。

あれがトロナ鉱石ですよ。
自然に露出している。

その光景に目をうばわれている間に、
バスの窓はコンクリートの建造物に囲まれた。

工場の関係者さんたちと一緒に昼食を取り、
鉱石を露天掘りしているところに連れていってもらう。
そこら中にころがっている白いかたまりを手にとると、
アルカリ特有の肌が荒れる感覚があった。

重曹や炭酸塩を作る最初の工程では、
水にトロナ鉱石を溶かして泥や不純物を取り除く。
トロナの山で働く半裸の人々がいたので、
ニーハオと声をかける。
黙ってこちらを見ている。もうひと声。
ハオ マ?(〔調子は〕いいですか)
すると顔を見合わせ、笑いをこらえながら、
プーハオ!という答えが返ってきた。

確かに大変そうでした。
体に気をつけてがんばってください。

そのあと、ひょんなことから、
落としたかもしれない携帯を探しに、
ふたたび鉱床に戻った。

誰もいない広い土地に、
幾重にも重なった白いトロナの層が見える。
なんだか、おおきなケーキのクリームのよう。

あと数十年すると、
この鉱床は掘り尽くしてしまう。
経営サイドは先を見据えて言った。
もちろん、中国内に他の鉱床が何本もあるので、
ここが廃坑になっても特に問題はないと。

でも目の前に広がる風景は、
五感を通じて強く記憶された。
風に吹かれる無言の大地。
切り取られている。
かき集められている。

モンゴル重曹は、
確かに大量にある。
しかし無限ではないのだ。
そのことがはっきりわかり、
大事に使わなくてはと、
改めて思った。