2月5日(日)She has a lot of water in her

映画「SAYURI」の中で、
置屋の女将がまだ幼いサユリのあごを持ち上げて、
買うか買うまいか考えるシーン。

「水の多い相だね」
「だから女将、いい火の用心になりますよ」

あまりにも新鮮な台詞に、
しばらく仕事の手が止まった。
コロンブス的、あるいは、
コペルニクス的ですらあった。

否、もとよりハリウッド的と言うべきか。

その後も、時折その言葉を思い出す。
水の多い相とはどんな顔か、想像をめぐらす。

むくんでいる?
たぶん、違う。

スッと流れるあっさり系の顔?
そんな単純な基準であるものか。

化粧映えする顔立ち?
方円の器に従う水のごとく、変幻自在という理屈。

アメフラシみたいな顔?
閑話休題。

先端テクノロジーの分野では、
水の本当の姿は“火の用心”どころではないという。
超臨界状態であらゆる物質を分解する。
いかな毒物も水を以てして浄められぬことはない。

そんなシンプルでスマートな技術が、
未来地球をあまねく覆うといいな、と思う。

肌を再生する力の強い、
大好きな重曹と硫黄の温泉に浸かりながら、
水の恩恵に感謝する、
長風呂の日。

あ、みずみずしいキレイな肌をしてるってことかな、サユリの顔。
――いやいや、それでは火事は防げない。

乞う、名回答!

2月4日(土)花の色

早朝、空港に向かう。
本とパソコンと日焼け止めと。
最近はどこに行くにもこの組合せだ。
重いから、どれかひとつやめようと思っても、
どれもはずせなくて結局このパターンに戻る。

ホテルでは、
モジュラージャック探しが最初の仕事。
もっとも今は館内LAN完備が増え、
そうでなくても携帯の通信ボードを突っ込んでいるので、
以前ほど部屋に入ったあとの“儀式”は複雑でなくなった。

シグナルが明滅し、ネット接続を知らせる。
メールをチェックし、親しい人たちのブログを一周し、
サイトを覗いて一安心する。

どこにいても、何をしていても、
二重、三重の文脈の中で生きている。
そんなふうにしていると、
だんだん心落ち着きのない人間ができあがると、
心配くださる向きがないわけではないが、
案外私たちの精神は丈夫なもので、
その程度の多重性で壊れたりはしない。

むしろとても楽しんでいる、と思う。
少なくともそうしている仲間たちはみんな。

たとえ自分の関わる世界のどれかが、
ヤラレタ、しんどいな、と感じさせる状況に陥っても、
その瞬間、別のどこかの世界では、
全然違う文脈の何かが祝福されつつ進んでいて、
コレもありだけどソレもあり、とリアルに知っていることが、
目の前のショックを否応なく相対化する。

別の方向から見ると、
うれしいことも相対化しちゃうのだけれど。

そんなふうにして、
喜びも悲しみも薄れていくことを、
この世は空なのですよ、と説いた方は、
それでよい、とおっしゃるかもしれないけど、
それだと感情の大嵐にもまれる流行のドラマが、
面白く感じられなくなってしまいます、と、
ちょっとは妙な言いがかりをつけてみるのであった。

サラサラ、サラリ、沙羅双樹。
それでいいのですけど。

2月3日(金)まとめ買い

節分に豆を撒かない。
いつのまにか、それが習慣になっている。
(ないことを習慣というならば)

事の起こりはもう数十年前、
その頃は世間一般の常識通り、家族で豆を撒いていた。
大人たちはチャッチャッと手際よく、
各部屋の隅々に少量ずつ撒いていく。
子どもたちも撒く。
家族の中で一番小さい人も、
なにかブツブツささやきながら家の中を回っている。

よく聞くと。

小さい人はこう唱えていたのだ。
「福は内、鬼も内」

それを聞いて父は怒った。そんな呪文があるか。

小さい人はベソをかきながら抗弁した。
「だって鬼がかわいそうだ」

大きい人々は少なからず衝撃を受けた。
この子の言うことには一理ある。
いや待て。うちに鬼がいたら困るではないか。
縁起でそうすると昔から決まっている。
いつからだ。いたら何をするというのだ。誰か知っているのか。
そういえば、私たちが追い払おうとしている「鬼」って何だ。
ワレワレハ、ナニヲ封ジヨウトシテイルノカ。

節分の夜の鬼談義は、
大きい人たちが一杯、二杯と酒を飲むうち虚空に消え、
しかし翌年の節分からは、なんとなく、
豆は投げずにおいしく食べるだけの存在になった。

ひい、ふう、みい……ハイ、○○ちゃんの分。
またひとつお豆さんの数増えたね。今年もがんばろうね。

そんなわけで、
その暗がりに鬼がいる。かもしれない家で育ったので、
炒り豆はツマミか精進の出汁にいたします。
節分の直後、売れ残ってるお豆さんは、
おまとめ買いのチャンスです。

2月2日(木)ジュウソイストのハート

半蔵門のエフエムネットワークへ。
山田五郎さんと早見優さんの週末ラジオ番組にゲスト参加、
楽しくトークさせていただく。(オンエアは今月中旬)
山田さんも早見さんもすでに『重曹生活のススメ』を読んでくださっていて、
実にさまざまな質問が飛び交う。

アームアンドハンマーの小箱を持っていき、
早見さんにお見せすると、この腕まくりマーク、
ハワイのおばあさまの家の冷蔵庫にあるのを、
小さい頃から見ていた、とのこと。
やはり。

「でもにおいを取るものなのに、クッキーにも使っていて、
 いったいナニモノ? と思っていたの。懐かしい~」

環境保護とか、エコロジーとか、
ガチガチ頭でやってるのだとヤだけど、
地球や自分の体のやり方をマネをする、
というのはいいねと、山田さん。

エコな生活はお母様の影響で体験豊富、
重曹も昔から身近にあったそうだ。
でも、それだから重曹を気に入ったというよりは、
重曹の向こうにある、おだやかだけどゆるぎない、
自然の摂理に納得し、改めて重曹を見直してくださった。

「もうすっごいはまってるの。ずっと読んでて。
 さっそく道具と材料を揃えてジュウソイストになるわ!」
それならぜひ、プラネットショップから、
ボトルや重曹を贈らせてくださいね、と申し出る。

録音からこぼれたお話もいっぱい。
ああもできる、こんなこともできる、と、
精油や石けん、ビネガーとの組合せ方を始め、
次から次に話は尽きなかった。
引き出してくださったお二人に心から感謝。

夜、胃の調子がイマイチなので、
地味にカッパ巻きを頼んで食べる。
あがりをお願いすると、
「おいしいとこ、入れてあげてね!」と、
カウンターの板さんが、
サーブの女性に一言。

ホロリ、のどにしみいった。
心を込めて入れてくださったお茶。

今日はいろんな人の優しい気持ち、
ごちそうさまでした。

2月1日(水)金魚の気持ち

突然、電車が止まり、
車内放送が流れた。

「ただいま関東地方に地震が発生した影響で、
JR全線点検のためストップしております」

乗客たちは思い思いに、
携帯から電話したり、メールを打ったり、
ニュースサイトを覗いたりしている。

「震度4だって」
「わりと強いね」
「電車揺れるから全然気がつかなかったね」

私の電話は2つめで通じた。
「みんな大丈夫ですか」
「ええ、全然平気ですよ。こちらはそれほど揺れませんでしたよ」

ごったがえす駅を抜け、
天麩羅屋の座敷にたどり着く。
「よかったね、来れて」
口をモグモグさせながら友らが迎えてくれる。
心の底から笑みが広がる。

今日会えたことを、偶然と思ってはいけないなあ、と思った。
しみじみ、一期一会の積み重ねだ。

当たり前の空気のありがたみを、
プハッと息をした瞬間に思い出すように、
今夜は人との出会いを深呼吸している。
パクパク、パクパク、金魚みたいに。

1月31日(火)あなたという星に

朝、町田近くのマンションギャラリーへ。
本を読んでいて電車を乗り間違え、やや遅れて到着。
関東圏で広く展開されているシリーズマンションの、
コミュニティ誌編集部に話をする。

春号なので、
ほこりや花粉の季節を快適に過ごす術をピックアップ。
重曹を使ったうがい液、鼻の洗浄液、
衣替えにたっぷり使える消臭と虫除けの手作りサシェ、
歯磨きペースト、簡単なデオドラントパウダーなど。

メモを取るライター女史は「ノウハウの前に」と切り出す。
こんなふうに暮らしに重曹を使う意味は何ですか。
重曹は本当に安全なのですか。

瞬間、細かいブツ撮りやレシピのことなどどうでもよくなる。
言いたいことがいっぱいあってつっかえる子どものように発声する。

重曹はもともとあなたの体の中にあるということ。
今の今も体内環境のバランスを取るために働いているということ。
その働きの、最もわかりやすい現れがあなたの呼吸であること。
そのようにして、放っておけばみるみる酸化して死んでしまう生命を、
絶えざる再生の道に引き戻している物質であること。を話す。

「なぜ重曹が体の中にあって、
 そんな重要な働きを担っているのでしょう」

なぜって、私たちには選べない、
地球が採用した浄化のシステムだから。
それと同じ原理で私たちの命は守られているから。
地球のキレイとあなたの健康は同義。

話はますますマンションから遠ざかる。
まわりに古代の海が満ちてくる。

塩酸の海に、
岩石からミネラルが溶けていく。
大気から二酸化炭素が溶ける。
海は重曹を含むミネラルのスープになり、
その中で自分と自分以外を区別する薄い膜を作り、
生物が誕生する。やがて陸に上がるときは、
ふるさとの海を体内に抱え、人類もそのやり方を引き継いだ。

重曹を使うなら、
掃除ではなく、ケアをしていると考えて。
命も家も地球も。

ライター女史は、今やはっきり私の目を見る。
確信を得て笑う。

私たちを本当に支えているのは、
企業の製品でもオシャレな生活文化でもなく、
自然そのものだ、と真に理解するとき、
人はどんな都会にいても、中空に浮かぶマンション暮らしでも、
地球とひとつになる。
今吐きだしたその息すら、この星と一続きなら、
何が私たちから星を奪えるだろう。

玄関先で、サヨナラを言うあなたの頬に、
赤みがさしている。
本とパソコンを濡れないように抱え、
駅まで走る。

あなたの中で、
これまでになく地球が輝き始めたことを、
小躍りするような自分のダッシュで、
私自身も、ふと知る。

温かい雨の中。

1月30日(月)陰陽ともに春

午前中、あれこれ電話とメールに時間を費やす。
午後も状況が変化するにつれ、頻繁に同じところに連絡を入れる。
一日の動きが収束したのは、午後6時。

実に、世の中は昼間動いていると実感する。

夜、まぐろカマを使った新食材の試食に参加。
歯ごたえとボリュームがあり、
調理次第でしっかりしたおかずになる可能性大だが、
下ゆで程度でおさまるものではなく、
いかにくさみを消すかが課題、と話し合う。

最後に出た炊きたて御飯と奈良漬けが絶品だった。
なによりもそれでパワーをいただいた。
奈良漬けも、知り合いの蔵元が、
自分のところで出る酒粕を使って仕込んだものだそうだ。
とてもシンプルで力強い。

帰途につく。明日は雨になるという。
夜中になっても冷え込まない空気が、その気配を伝えてくれる。
チャイナタウンの街路樹に、
星屑のような光のヴェールがまとわせてあるのを見かけた。

春節だ。
月の暦も2006年に入った。