環境って何だろう。
日高敏隆さんの『人間は遺伝か環境か』を読んで面白いなと思い、
次々と関連の資料に目を通している。
傑作だと思ったのが、ヒヨコの靴実験。
ヒヨコが、親に習わなくても、
エサのミールワームを食べるのはどうしてか、
と思った研究者が、生まれたばかりのヒヨコに、
自分の足が見えないように靴をはかせた。
足が見えているヒヨコはミールワームを食べるヒヨコになった。
足が見えなかったヒヨコは食べなかった。関心を持たないのだ。
驚くべきは、
ヒヨコの足はミールワームと似ていないけれど、
ヒヨコの目がそれを認識できるようになるのに役に立っているのでは、
という仮説を立てた研究者の発想だ。
エサを認識するのは先天的か後天的か、
という問題は、ここでオシマイになる。
モノを見る器官として目が備わるために遺伝は必要だ。
でも、それがエサを認識できるように訓練する環境も必要だ。
そこで、生まれて必然的に見るもの(自分の足)を利用して、
エサを認識できるように物事を取り仕切る、
ある種のepigeneticな仕組みが展開するなんて、
いったい誰がそんな合理的なことを考えたんだ!
人間は環境と相互作用を起こしている、と思っていたけれど、
本当は「環境に埋め込まれている」と言ったほうが、
適切なのかもしれない。内側からはゲノムが、
外側からは環境が、私たちを形作っている。
遺伝も環境も等価で作用しているとなれば、
遺伝はもちろん「私」といえるだろうど、
環境も相対するというより「私」なのだろう。
周りの環境を見ればその人がわかる、という格言も、
心理生物学の言葉できわめて客観的に、
説明できる時代が来るかもしれない。
とにかく、ヒヨコに靴をはかせる、
その突き抜け感に参りました、の一日でした。
世界には、いっぱい面白いことあるなあ。