生物多様性ってなに? と聞かれたら

山口の吉松敬祐さんに電話する。
すでにプラネットショップの予告でお知らせしたように、
今年は、春にうっかり籾を間違えて、
半分はイセヒカリを作るつもりが、
全部コシヒカリを作ってしまった吉松さんなのだった。(^^;

気づいたのは夏も盛りの出穂期。
イセヒカリはコシヒカリより1週間ほど、
穂が出るのが遅いはずなので、
おや、おかしいな、全部同じ時期に出ている、
や、どうやら間違ったか、しまったー!
という次第。

とはいえ、せっかくすくすく育った無農薬の稲を、
品種が違うからといって刈り取るのも変な話。
いずれにせよ、今年植え直すことはできないし。

…というわけで、
今年の吉松さんの無農薬米は、
コシヒカリのみと相成りました。
が、安心して玄米や胚芽米で食べられる、
希少な無農薬のお米には変わりありません。

そういうお米を探してらっしゃる方は、
ぜひ今年も吉松さんのお米を、
共に買い支えてくださると幸いです。
もうじき、販売を始めます。
イセヒカリはまた来年のお楽しみに!

ところで先日来、お話をしていて、
“おっと作り間違えしちょった事件”以上に、
もっと気になる話がある。
それは、中国山地の山間、阿東町のような、
空気と水の美しい場所でも、
虫たちが激減していること。

すでに環境系のニュースや本では、
大きな問題として取り上げられているけれど、
欧米だけでなく、日本でもミツバチがいなくなっている。
吉松さんの飼っている日本ミツバチも、
ずいぶんストレスを受けた様子だと言っていた。

それ以上にひええ、と思うのは、どの農家に聞いても、
今年はアキアカネがほとんどいないのだという。
秋の実りとともに、去年まではいっぱい飛んでいた、
赤トンボの姿が消えているのだ。

主な原因の一つではないかと疑われているのは、
ネオニコチノイド系の新しい農薬。
タバコと同様の成分が植物にしみこみ、
食べた虫たちの神経を毒する。
食べなくても半径数kmの広範囲に拡散し、
畑とは関係ない虫たちもじわじわと冒す。

フランス、ドイツ、イタリアではすでに使用禁止になった。
アメリカは公聴会を開いたが、
直接の証拠がなく、処置は保留。
中国は農薬大国だが、これに関しては、
日本よりも使用量は少ないという。

野放しニッポン…
「早う止めにゃあ大変なことになる。
いろんなところで声をあげてもらえたら、
と思うて、一所懸命話しちょるんですがね」

害虫も益虫もない。
カメムシを減らそうと田んぼにまいた農薬が、
ミミズを、トンボを、ミツバチを狂わせる。

いろんな虫たちがいなくなるとはどういうことか。
以前、日高敏隆先生がおっしゃっていた言葉を思い出す。

「人間の食べるものがなくなるということです。
 食べ物も、もとは生き物ですから」

生物多様性は大事、なんて観念的に考えなくても、
いずれ答えはリアルに目の前に現出する。
私たちは食物連鎖の頂点に立っているということを、
忘れていないだろうか。

太陽と土と水の恵みを受け、
目に見えないほどの小さな生き物から始まって、
食卓にやってくる循環の鎖を、
またなにかがブツリと断ち切りつつある。

そのなにかは、
疑わしき農薬のみならず、
私たちの心根に巣くっているものかもしれない。
食べ物を、安ければいい、安全ならいい、美味しければいいと、
部分最適でしか考えない思考回路。

サーフィンのとっかかりに、いくつかのURLを。
事実も擁護も反対も挙げておきます。

国立情報学研究所論文ナビ
環境汚染問題 私たちと子どもたちの未来のために
天敵wiki
草と闘う
CWS private
男あり 草深い田舎でもの書きす
したら農場 地球びと会

つながっているからね

「私の今年のお誕生日はいつかというと…」
この言葉を聞いて「ん?」と思わない人はいないだろう。
今年もなにも、お誕生日は生まれてこのかた、
毎年決まった日に巡ってくると決まっている。

と、思っていたら、そうでないことがあるのだった。
陰暦(旧暦)の影響が日本よりも強く残っている国、
おとなり韓国の友人は、ええとね、とつぶやくと、
おもむろに携帯画面をタッチ操作し始めた。

電子手帳を兼ねた大きな画面にカレンダーが表示される。
そこには各日付に割り当てられた二つの数字、
太陽暦(地球の公転周期)での年月日と、
太陰暦(月の公転周期、正確には閏月で調整する太陽太陰暦)
での年月日が並んでいる。

「私の誕生日は陰暦なのです。
 ですから陽暦の日本では毎年誕生日が変わります。
 でもほら、ね。韓国のスケジューラーは、
 どちらも表示するからすぐわかる」

これほしい~。風流ですね~。
昔の俳句や和歌が詠っている季節は、
太陰暦だったんですよ。

画面にかじりついているところを、
友人はにこにこ眺めている。

でも理由はそれだけではなかった。
この暦があれば、もしかして体調管理が楽かも、
と、カレンダーを見つめていたのだ。

多くの生き物の産卵や出産が、
海の影響を受けていることはよく知られている。
海は月の影響を受けて満ち引きしていることも。
人間も例外ではない。満月と新月の前後は、
統計的に出産数が増える。

毎月の私たちの生理だってそう。
普通のカレンダーで管理するより、
月のカレンダーのほうがよくわかる。

そう思うようになったのは、
布ナプキンを使うようになってから。
不意の始まりに、薬局に駆け込んでも、
当たり前だけどケミナプしか手に入らない。

でももうそれはイヤだと、私の体が、
頭で妥協しても、付けたとたんの冷えとか頭痛とか、
あらゆるサインで拒否してくるから、
いつから始まるかをある程度予測して、
その少し前から布を持ち歩くようになった。

かさばって不便だとか、
失敗したらどうしようという不安はある。
でもそのぶん、暦や体、布や水についての、
こまやかな知恵や工夫に関心を持つようになった。

そんなとき、CPPのミーティングで、
経血コントロールの話が出た。
布ナプキンで受け止めるだけでなく、
出す出さないを自分である程度、
コントロールできるはずだという。

ならば変化は劇的だ。
持ち歩く布の量も減る。汚れも減る。
洗濯も少なくてすむ。なにより失敗しなくていい。

おそらく昔は女性の間の暗黙知だったのだろう。
ケミナプがない時代のほうが、ずっと長かったのだ。
私たちがきっともっと上手にできるはずのこと、
それを伝え、広めようとしている運動のことも聞いた。

心と体は不思議で、
「できる」と聞いたとたん、スイッチが入る。
現実に、そのことを話してくれる人の声や顔、
言葉のあたたかさが、今まで考えもしなかった、
一人なら信じられないことに取り組むパワーをくれる。

10月23日は五日月。
実は三日月のイメージは、
ちょうどこの頃の月齢にあたる。

月経血コントロールセミナー、
よかったら行ってみてください。
布ナプキンを始めた人は、
きっと役立つと思います(^^)

にぶくて重い、おおきなわたし

たまにやってしまうことがあります。
洗濯の失敗!
今回は、初めて洗濯する赤系のコットンストールと、
日常履きしている白のコッパンを、
うっかり一緒に洗ったのが間違いでした。
パンツはポケットの隅まできれいに桃色に…(T-T)

仕方なく、朝からパンツ一本を、
もとの白に戻す作業をすることになった。
大きめバケツに熱めのお湯を注ぎ、
酸素系漂白剤を溶かして漬けこむ。

数分経つと、活性酸素が働き始め、
布地を漂白してくれる。

でもだんだん酸素の泡が生じる分、
布が浮きがちになるので、何度か、気がついたときに、
バケツの底に布を押し戻し、ガス抜きしているうちに、
体が重だるくなっていることに気づいた。

最初はなぜだろうと理由がわからなかった。
階段を数段上るだけで息が切れる。
朝食後、大して疲れることなどしていないはずなのに、
急に、とても、疲れている感じがする。

しばらくして、「あっ」と小さな声をあげた。
今朝は、かなり濃い漂白液に素手で触っている。
何回も、深々と、腕まで漬けている。

そのあとは、シリコン手袋をはめた。
手が荒れる荒れないじゃない、
注意すべきは過酸化水素、そして活性酸素。
それから、遅きに失すというタイミングだけど、
ビタミンCとEとミネラルのサプリも摂って。

お昼には、努めて野菜と果物を食べた。
トマト、アボガド、キュウリ、レタス、クレソンに、
ナッツ、ワカメを入れたサラダ。
ドレッシングはフルールドセル(いちばん上等の海の塩)に、
レモンの絞り汁、エキストラバージンオリーブオイル。
絞りたて柑橘ジュースもたてつづけにコップに2杯。

結局、体の異常な重さから、
回復するのに半日かかった。

パンツは、白に戻った。
でも生成だった部分まで真っ白に。
それに少し生地のつやがなくなった気がする。
布にもストレスだったことだろう。

肩こりは数日残っていた。
肩だけでなく、体全体が硬くなっている感じ。
ヨガのポーズがなかなか決まらず…。
立派な酸化ストレスを多量に与えたことを、
体に謝り続けたのだった。

漂白剤で小さな菌やカビの受ける衝撃が、
少しだけわかった気がする。

私の中でも、
おおきなわたしが「体重いな」「肩こるな」と、
文句を言っている間に、
死んでいったちいさなわたしが、
きっとたくさんいたことだろう。

20分で煮える豆

米、麦、雑穀、豆。
穀類の卸を長年続けてきた方と、
お会いする機会があった。

20分で煮えるという、
超高圧処理を施した白花豆をいただいたので、
さっそくトマトベースの甘口カレーを作った。
じゃがいもやにんじんなどと同じタイミングで、
鍋に入れて煮るだけだ。

あっというまにやわらかくなった塩味の白花豆は、
大きくて食べごたえがあって、ほくほく甘い。
かむほどに、深くやさしい滋味が口の中に広がる。
人気のある理由がわかる。

この味を知ると、砂糖煮にしてしまうのは、
もったいないと思うようになるだろう。
だってたくさん食べられないもの。
箸休めに2、3粒ではなく、いっぱい食べたい。
甘い豆のカロリーを気にするというより、
豆本来の味をもっと感じたくなる。

超高圧処理の黒大豆もスープ煮にしてみた。
これまた美味で、これまで家で、
圧力鍋で煮ていたものともまた違う。
口の中でほろりとほぐれ、豆のこくが強く感じられる。
それでいて、濃いめの豆乳などでときどき感じる、
大豆の嫌味を全く感じない。

これで豆ご飯炊いたらおいしいだろうなあ。

人類が食品加工に圧力を利用するようになって、
まだそれほど時間は経っていない。
熱のほうは、火のおこし方を覚えて以来、
100万年以上の経験があるけれど。

まして深海の底に行っても得られないような、
数千気圧の“超高圧”を応用し始めたのは、
まだ「ついこの間」、1980年代の終わりからだ。

味も色も舌触りもよくなる。
食品自体の調理性、機能性も高まる。
熱や化学物質を使わないで殺菌できる。しかも省エネ。
宇宙食、病人食、非常食、機能食と、
いろいろな方面での実用化が進んでいるという。

一番驚いたのは、
超高圧の人工透析でウイルスを殺し、
血液をきれいにできるという応用ケース。

一時わっともてはやされた真空低温調理法や、
ウォーターオーブン、分子ガストロノミーといった、
新しい調理方法にも驚いたけど、
一見地味でもすそ野の広い基礎技術が、
身近にいつでも私たちの手の届くところにある。

それってとってもいい感じ。

さて次はひよこ豆と虎豆かな!
どう料理いたしましょうか…(^^)

あのすばらしいお茶をもう一度

とても暑い日。
家の中でも熱中症になるぞ、
倒れて死ぬぞ、と、今年はずいぶん、
テレビや雑誌のたぐいがかしましい。
きっと去年、おととし、そういう目にあった人が、
記者たちの身近に何例かいたのだろう。
念仏のように唱えてみる。
水分補給。

身体が涼しくなるお茶がほしくなり、
ミントをベースにバーベナとレモングラスをブレンドして、
夏向きのハーブティーを作った。
熱いままで一杯いただき、
あとは冷やしておこうと冷蔵庫に入れる。
で、作ったことを忘れていたわけだ。
翌朝まで。

ゆっくりたっぷり煎れた濃いめの夏ティーは、
信じられないほどすてきな香りだった。

ストレートで、
ミルクで割って、
オレンジジュースで割って、

なんと。

結局続けざまに三杯飲んだ。
飲んだあとも胃の中から香り、
息がミント色に変わる。

あのお茶をもう一度、と思って、
また作るのだけれども、
最初の感動にまだたどりつけない。
ハーブの量か、待ち時間か、冷やし方か。

さしもの梅雨も、
じわじわ明けつつあるらしい。
一日一リットル。
今年の長夏はこれを携帯ドリンクにするんだ、と、
ベストな煎れ方をプチ研究中なのだった。

胃も元気になる気がする。

質疑応答から

「はい、ではスプレーしてみましょう」

できあがったリフレッシュナーから、
こまかい霧が噴き出されると、
やさしい香りが教室中に広がる。
いつのまにかみな深呼吸している。

衣類にかけたら、
風通しのよいところに、
10~20分つるしておくと乾くこと。
その間に布のしわや型くずれがとれ、
においも消えること。

次に袖を通すときには、
さらっとした肌触りで、
ほんのりハーブが香り立ち、
また気持ちよく着ることができます、と、
説明して実習を終える。

端のほうで聞いてくださっていた、
年配の男性が手を挙げた。
「こういうものが簡単に作れるということを、
 なぜもっとちゃんと広めないのか」

素朴な質問であると同時に、
難しい問いかけだと思った。

回答できないわけではない。
「いっしょうけんめい広めようと努力しています。
 レシピは公開し、本やテレビ、雑誌などで、
 くりかえしお伝えしています。もっとがんばりますね」

でもそれは表面的な受け答えだ。
とりあえずの返事にはなるけれども。

無農薬栽培を手がける農家だというその方は、
いいものだから広まり、みなが採用するとは限らない、
その壁をどう突破するつもりなのか、と尋ねている。
ご自身もいつも考えている問題なのだろう。

日焼けしたごつごつの手が鉛筆を握り、
ぎこちなく動いたり、止まったりして、
黒板のレシピを書き取っている。
ときおり眼鏡を上げ下げして。

そう。
その気になるのはある種の奇跡だ。
知っていても体が動かないことはたくさんある。
いつのまにか、ついにやってみようと思える、
その心の変化をどうとらえればいいだろう。

はやりとか、マーケティングとか、
外から働きかける力もあるけれど、
決定的なものではない。

私たちの心の内にあって、
ぺらぺらの表層ではわからない、
深く古い、本当の主に働きかけること。

あまりちゃんとお返事できなかったけれど、
もっといっしょうけんめい考えて、
試み続けますね、おじさま。

砂の壁

日本からいちばん近い砂漠は、
内モンゴル自治区にある。
距離にして1500km、砂嵐の発生後、
数日で日本にも黄砂がやってくる。

そのことは知っていたけれども、
衛星写真から見た黄色い渦と、
地上からとらえた巨大な津波のような砂の壁は、
生まれて初めて目にした映像だった。

車がほこりっぽくなる。
洗濯物がざらざらする。
目がしばしばする。
喉がいがらっぽくなる。
空港が閉鎖する。

十分大変だと思っていたが、
現地ではそれどころではないのだった。
砂嵐が近づいてくると人々は逃げまどう。
中に入ってしまうと何も見えなくなり、
肺を傷め、何十人と死ぬことがある。
列車は窓が割れたり倒れたりする。

去年の旅では見学できなかったけれど、
砂漠の緑化になぜ取り組むのか、
モンゴルのセルゲレンさんの話を聞いて、
少しずつわかってきた。

砂はアメリカ西海岸に達してやっと消えるそうだ。
デジタルカメラの液晶画面にまで、
入りこんで壊すのだと聞いた。

近ごろはあれこれ、
極微の存在のほうが、
コワイかもしれないなあ。