車が、カーブの多い山道に入ると、
それまでの四角い建物の列が見えなくなり、
窓の景色がまったく変わった。
急に木立に囲まれ、無口になる。
ひとりひとりの内側で緑を感じている。
吉松さんは、
待ち合わせた郵便局の前で、
手を振って迎えてくださった。
里山には心やすらぐ空気が流れていて、
午後のやさしい風が吹き、
虫たちが飛びまわっている。
しばらくするうちに、
子供たちの表情が全然違ってきた。
驚く。見とれる。怖がる。おしゃべりになる。
だんだん元気になっていくのがわかり、
こちらもうれしくなった。
今回、対面を楽しみにしてきた日本ミツバチは、
ミツバチと思えないくらい地味な見かけだった。
なにか、茶色っぽい小さい虫(働きバチ)が、
木箱の回りにたくさんうごめいている。
吉松さんによると、この夏、
集団で逃げ出す群れが相次いだという。
新しい農薬のネオニコチノイドは、
水溶性で植物体に吸収され、かつ環境に流れ出すため、
作物と関係のないハチやトンボたちまで狂わせているのではないか。
ごく身近の自然の激変に危機を感じると、何度もくり返した。
遁走しなかった群れの巣を、
ごく近くまでそっと寄って観察する。
繊細な羽音が響く。
黄色に黒のシマシマ、というイメージがガラガラと崩れ、
ひときわ小さな体でよく働く様子に感心する。
キイロスズメバチが一匹、
巣箱のまわりをウロウロ飛んでいたと思ったら、
働きバチをひょっと一匹、捕まえて飛んでいってしまった。
ほどなく今度はオオスズメバチが一匹飛来。
しかしこちらは、カチカチと攻撃音を出す間もなく、
一目でそれと確認した吉松さんに叩き落とされる。
オオスズメバチは、
巣のそばに待ち構えて次々と働きバチをかみ殺し、
地面に死骸の山を作るので始末が悪いのだという。
キイロのほうは、体も小さいし、
下手をするとミツバチに取り囲まれて殺されることもある。
まだイーブンなのだと。
一匹の働きバチが一生涯に集める蜜は、
ティースプーン半分だという。
春先、まだ蜜が十分にないころ、
ハチたちが吉松さんのところにやってきて、
ちょっと皮膚をかじっていくという話にも驚いた。
痛くないのかと聞くと、けっこう痛いけれど、
どうも巣の幼虫のためにたんぱく質が足りないのか、
ガマンしているとの答え。蜜が取れ出すと、
かじらなくなるそうだ。
この秋は山の実りが少ないのか、
蜜を狙う熊に何個も巣箱を壊されたそうだ。
でもだからといって困ったとか、退治せねば、とか、
いっさい言わない。
この里山を訪れるたび、
人の「賢さ」について、深く考えさせられる。
遠い都会では生物多様性について大きな世界会議が行われ、
生物資源利用の公平性が話し合われた。
ある資源で儲けた者は、その資源を産出した者にも、
利益を還元していくことが大筋合意されたという。
ただし、植民地時代の事案までは遡らない、と。
ハチミツの分け前が変わっただけだ。
本当の公平性を考えるなら、
その利益はおおもとの自然に帰すのがふさわしい。
分け前とお礼は違う。
何を、どんなふうに返せばいいか、
わかっているわけではないけれども。
わからなくても考える。
ずっと考えることが大事なのだと思う。