2007年2月21日(水)雪解け酒

あれ、風邪?
そんなの吹っ飛ぶよ、
これを飲めば絶対。

力強いおすすめの言葉とともに、
そろそろシーズン終わりになるという、
とらふぐの白子酒をいただいた。
shirako_sake
見た目ミルクセーキみたいですね、
などと言いながら口に含む。

舌に濃厚な刺激が広がる。
ミルク以上にクリーミー。
とろりとまろやかなうまみが、
舌から鼻に抜け、脳髄を直撃する。

確かにこれは非常なる滋養強壮酒。
milky
ふんわり空気を含んで優しい口当たりだ。
コンセプト的にはおばあちゃんの卵酒かな。
コストは全然違いますけど。

とても体が温まったので、
今夜はそのまま深く眠ることにする。
世の中にこんな贅沢なものがあるなんて知らなかった。
コップ半分は白子なのだそうだ。
それも今朝、そのために空輸されてきた。

いったいこれで治らない風邪などあるでしょうか。
パフォーマンスからいっても、
この際、気合を入れて治りたいと思います。

ほっこり幸せなだるさが体を包む。
芯の寒さはすでに去っている。

ありがとうございました。
本当に御馳走さまでした。

2007年2月20日(火)時の果実

おや、と思ったのが昨晩。
情けないハナシだが、
暖かくなってきたのに、
風邪の気配、濃厚なり。

幸いどうしても外で、
という用はない日だったので、
用心して体を休めることにする。

となると、この際ということで、
取り出した7巻ものの大作DVD。
うとうとしながら楽しく見てしまった。
何年ぶりだろう、こんな映像三昧は。

幕末から明治に移る頃。
約150年前のヨーロッパと、
それに遭遇した日本の光と絶望。
あらゆる背景、風俗、大小の道具がおもしろく、
巻き戻しとコマ送りを駆使。

東西の往来はどんどん簡単に、
そして多くの人々にチャンスは広がったけれど、
それは同じ衝撃を大勢が抱えるようになった、
ということを意味するのではないか。

何が先進的、何がオシャレ、という基準自体、
西洋ショックは今も衰えないなあと思う。

「カフェーには砂糖を入れて飲むがよい」
「ここを持つのじゃ。熱いゆえ気をつけよ」

しかし今その映像を見る私たちには、
豆と砂糖は植民地から来たこと、
そのためにその場所でどんなことが起こったか、
ということもわかっている。

後に生まれた者たちは、
いつのまにか視点の広がりを獲得している。
目の前のものがどこから来たかを、
ある程度正確に想像することができる。

いいことばかりでは決してないけれど、
歴史の力も自然の恵みのひとつだ、と思う。

2月3日(土)地震の湯

湯船に死んだように横たわる。
源泉100%、掛け流しの湯は、
かすかにイオウのにおいがする。

面倒だからいい、と言っていたけれど、
やっぱりいいなあ、と温泉に沈む。
知る人ぞ知るこのお湯は、
最近利用できるようになったものだ。

昔から冷鉱泉が湧き、
鶴や鷺が訪れていた田んぼ。
そこに大きな地震が走った。
泉は止まり、もうダメかと話し合っていたら、
泥水がわき上がり始め、
しばらくするとちょうどよい湯加減になった。
人間たちはそのままお湯につかり、
病やケガを癒せるようになったとさ。

笑い話のようなおとぎ話のような、
でも本当のお話。
なんてことをしてくれるんだろう、
ときに自然というものは。

同じ地震が家や道路を壊し、
嘆いた人々もたくさんいるけれど、
こんな恵みを与えられてはブツクサ言えない、と、
つやつやの肌のお年寄りが笑った。

ほんとうに、ニンゲンは、
あるがままに寄り添うしかありませんね。
かなわないなあ、と湯に溶けていく。
今日は、鬼も福も内と唱える節分。

2月2日(金)待ち合わせはチョコレートショップで

バレンタインデイが近づいたチョコレートショップは、
なんとなく華やいだ気配。大人の雰囲気の店だから、
いかにものディスプレイは全然ないにもかかわらず。

白くあたたかな冬の陽がビルの陰に入っていくまで、
本日、初顔合わせの方とざっくばらんな話をする。

一歩一歩進み続けることが、
三十年後の常識をちょこっとばかり、
変えているかもしれませんもの。
夢は大きく、現は小さく、
でもとにかくやってみましょう。

それから笑顔でではまた、さよならと言い、
ゆっくり街の雑踏に混ざって地下鉄に乗る。

三十年後ならまだ生きてるかな。
どうなったか自分の目で見られるかな。

なにかの大きな流れに乗り、
約束を交わした日は、
いつもそんなことを考える。

三十年など甚だ近視眼的だと思うけれど、
百年、千年の計をもって身を処してきた人々の、
ほんのしっぽをマネしている。

自分の死んで存在しない世界が、
思考のスタンダードであるような、
醒めたエトスを持ちながら、
いっぽうで生きて動く自分の体を、
燃やし尽くすパトスを保つ。

このフラットな世界でこれから力するのは、
たぶん、そのような両刀遣いなのだろう。

そう思ったので私の手には、
バレンタインデイを苦々しく思いながら、
季節を感じ尽くさんがための極上チョコレートが、
ちゃっかり乗っている、んだよね。

2月1日(木)節分近し

怒濤の1月が終わった。
少しほっとして迎える2月最初の日。

外を歩くと、足元に映る影は濃く、
陽はずいぶん強さを増している。
今年ももう、光の春が来ている。

折しも一本の電話を受ける。
一緒に考えてほしいことがあるという。
そういうとき人は、実際のおしゃべりの相手に、
答えを出してほしいと思っているわけではない。
その人の思索を映し出す鏡を求めている。
そう思うから、極力聞き手に徹して話の糸をたぐる。

問題にぶつかったとき、
逃げないで受ける勇気。
回り道に見えても、
むずかしいほうを選ぶ勇気。

文字にすると大して平凡なことのよう。

でもそこにたどり着くまでときたら、
本人が、それこそタマネギの皮を1枚1枚むくように、
泣きながらひとつずつ葛藤をはがしていくのだから…。

不意に打たれた。
人って強いなあ、しなやかだなあ。

サバイバルのための忍耐ではなく、
精神の輝きを失わないための忍耐を選ぶことができる。
こいつは相当に不思議な生き物かもしれない。

光の季節は、外の世界だけでなく、
人の内側にも訪れるのだろう。
いつだってその窓を開ければ。

1月24日(水)笑うレモン

いつの頃だったか
母が、よくお参りする神社の近くで、
植木屋さんから買ってきた小さな苗は、
いまや大きなレモンの木になって、
毎年たくさんの恵みをくれる。

酢の物をしようといっては摘み、
魚を焼いたからといっては摘み、
風邪をひいたらはちみつレモン、
髪の毛にも香り高いレモンのリンス。

使う前に薄く皮をむき、ざるに干す。
これが大事。
絞ったあとでは皮がふにゃふにゃして、
たいそうむきにくいから。

約一日でクルンとカールし、
レモンの皮のドライハーブのできあがり。
庭に植えただけで施肥も防除もせず、
薬品とまったく縁がないから、
安心してフル活用できる。

ビネガーにつけて10日ほど置くと、
レモンビネガーのできあがり。
同じひとつのビンから、
サラダのドレッシングに使ったり、
キッチンのふき掃除に使ったり。
ミルで粉にして、
デザートのトッピングに、
塩と混ぜてレモン塩に。

遠い昔、大航海時代に多くの犠牲者を出した、
壊血病の切り札となった奇跡の果実。
水にレモンを浮かべた大樽を備えるようになってから、
水夫たちは、大洋を渡る長い航海をしても、
ビタミンCの欠乏で死なずにすむようになった。

この冬も、朝のレモンジュースの前に、
1個分のレモンピールを作り、
小さなざるに干して出かける。

翌朝、皮を小さなリネンの袋に移す。
乾いた皮たちは、キャラキャラと笑い声を立てて、
新しい仲間を迎える。
そして私には、一日分の香りのごほうび。

寒い冬の朝も、
いっぺんに元気が出ます。

1月20日(土)ジャングルからの脱出に

アキバの、レアグッズを売っている店を覗く。
スパイ用品とか、軍用サバイバルツールとか、
マニアとおぼしき男性たちが思わず足を止めるような、
すてきな掘り出し物がいっぱい。

こういったものはどこから放出され、
使った結果なにか事故が起こったり、
製品が壊れたりしたら、
誰がケアしてくれるのだろう。

考えてみればPL法そっちのけの世界というのは、
今もいくらでもあるものだ。
誰かに文句のもって行きようがなく、
手にした人が自分の責任のもと、
活用することもトラブルに巻き込まれることもできる世界。

本当はそういうもののほうが圧倒的に多いのだろう。
誰もが知って利用しているような大量生産品に囲まれていると、
何かあればメーカーや公共機関に問い合わせれば、
解決の道が見えてくるように思いこみがちだけれど。

黒い小さな機械の前で立ち止まる。
「あなたの脳波が読み取られるのを防ぎます!」
どこかから電波で命令されるのも阻止するらしい。

ミリタリー仕様の複合コンパス。
「ジャングルからの脱出に!
 日常生活にも使えます!」
うーん、そうかー。そうだよねー。

お店の床から天井まで、
あらゆる空間から話しかけてくる、
「非日常」の化身たちを眺める。

人の工夫というのは、
なんと多岐にわたることだろう。
それでもここに並ぶのはパーツや素材に過ぎず、
ここから各人が用途に合わせて使いこなす努力をする。

ショップ会議。
はじめから理想にフィットするものは、
世の中にそうたくさんない。

話し合うことが多く、時間がすぐ過ぎていく。
課題というものも、
工夫の余地満載という意味では、
“非日常”の一種かもしれない。