2007年3月30日(金)桜色

京都にいる。
市内の桜はまだ咲いておらず、
まだ寒さを感じる。

地下鉄で宝ヶ池に出た。
30分近くかかったが、
混雑するときはタクシーより早いという。

しんと静まった地下道を歩き、
国際会議場の前に出る。
街中よりいっそう寒さを感じる。

ホテルで人に会い、
あれこれと打合せをする。
今日で実質、3月の行事が終わる。
週明けからは新年度だ。
このホテルもリニューアルだという。

帰りのエントランスで、夕暗がりの中、
ライトアップされたしだれ桜を見つけた。
shidare_sakura
生け垣の木も池の周りの潅木も、
他の木々がまだ新芽の気配の閉ざされる中、
尋常ならざる迫力で、ひとり(ひとり?)、風に揺れている。

だから桜は異様で、
それゆえいっそう美しい。

しばし打たれて足を止めた。
桜色とは血の色ではないのか。

乙女の上気した頬の色。
赤ん坊の小さな爪の色。
あのね、とささやく少年の唇の色。

深い切り傷からそれが落ち、
水ににじんで、一瞬、痛みよりも、
きれいだなあと見とれた。
あやうい、あやうい命の色。

他の樹々にさきがけて、
命の蘇りを宣る木なればこそ、
その色つとにふさわしいと、
迫力のわけをふと思い至るのだった。

2007年3月1日(木)雛たち

北海道に来ている。
予約したホテルのフロントを訪れると、
都合でファミリー向けデラックスルームにアップグレードする由。
ただ、キャラクターグッズがたくさん置いてあります、とのことだった。
とにかく眠れればありがたかったので、
いいですよ、と答えて鍵を受け取る。

部屋に入ると、
まず迎えてくれたのは、
大きなピカチュウだった。
pocket01

ぬいぐるみだけでなく、
ゲームやビデオも。
部屋の中のあらゆるところ、
キャラクターで埋め尽くされている。

こんなところも。
思わず写真を撮る。
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移動続きで急に気圧や温度が変わったせいか、
頭の芯が少し痛かったのだが、
こうも徹底するとなんだか心なごむもの。
小さな怪物たちと一緒にソファに腰かけ、
奇妙にこそばゆい感じを覚える。

私も彼らに混じり、
人形(ひとがた)となる。
泊まった人が次々とかたどられ、
キャラクターの増殖する部屋、
というのはどうだろう。

ズラリ並んだ怪物たちの末座に加わり。
ひとつとして同じものはない。
そのことに気づくと、
賑やかな彼らは次第に私の知る人々の姿に、
優しくメタモルフォーズしていくのだった。

2007年2月25日(日)星々の熱

アカデミー賞前夜だから、
というわけではないが、立て続けに何本か、
ハリウッド映画のDVDコメンタリーを視聴する。

監督や俳優、脚本家といったメンバーが、
内輪話をおしゃべりしている。

「そう、このシーンは今考えるとちょっとわざとらしいな。
 今からでも撮り直せたらいいのに」
「このときは君とのかけ合いで、
 10テイクほど撮ったと思うけど、
 夜中になって最後はへとへとだった」
「この人物は何か食べていることにしたい、と、
 監督に言ったら結局いつも食べてることになったんだ」
 ……………

コメンタリーは誰もがとても楽しそう。
どのシーンも一所懸命だったから、
あとから見ると照れくさくて、
つい笑みがこぼれるのかもしれない。

やっぱりモノ作りは、
必死にやるのがいいなあ。
このところ、目の前の課題をクリアするだけで、
あとで笑顔でふり返ることができるかどうかまで、
考えの及ばない状態が続いた。

最高の結果を出すべくクリエイトし、
同時に世にもまれなる美しさを放ち続ける人々。
文字通りスターたちの映像とコメンタリーを流すうち、
まだまだ、もう一丁! という気持ちになってくる。

2007年2月24日(土)衝撃波

鉄は、生き物と比べて、
とんでもなく強いんだなあ、と、
感じたことが何度かある。

鉄の道具を落としたとき、
床についた傷。
本の重さで傾きかけた棚に、
ほんの小さな鉄の支えを入れたとき。

二日前の事故直後、
偶然、現場を目撃した人が話していた。
トレーラーから落ちていたのは木くずだった。
だから産廃のトラックだと思っていたけれど、
あとで家具を運んでいたと知って驚いた、と。

鉄の箱に加わった一撃で砕けたのだ。
木くずに見えるほど粉々に。
衝撃はかたいものを通過し、
むしろやわらかいものに強く作用する。

家屋を取り壊すとき、
ショベルカーの手が、綿菓子を潰すように、
木と土でできた古い家を崩していく。
そのように直接触れなくても、
厳しく守られたやわらかいものを壊す方法がある。
その技術は善きことにも悪しきことにも使われる。

もっとも、何をもって善きというかといえば、
人の命を救うために、ということであり、
悪しきといえば、人の命を奪うために、
ということであって、人からの視点に違いはない。

 ほら、あそこだよ。
 大急ぎで修理してあるけど、
 支柱に大きな傷が付いているだろう。
 あそこにひっかっていたんだ。

まざまざと目にして、
ふだん考えを寄せることの少ないことを、
たくさん考えさせられた一日だった。

2007年2月23日(金)胡蝶夢

都心の静かな高層ホテルの部屋で、
虫に魅せられた人々が語り合う。

つかまえてきた蝶を、
部屋ほどの大きな虫カゴに入れると、
網にぶつかり、ぶつかりして傷ついてしまう。
でもそのカゴの中で生まれた蝶は、
ゆったり上手に中で飛び回る。

よくわかるのは、
捕獲者が現れたとき。
逃げようとして不意に高く飛翔する。
野生の蝶は天井に衝突する。
虫カゴ生まれの蝶は、ふわり、舞うけれども、
天井の外にはそもそも空間がないかのように、
やがて元に戻ってくる。

種全体として、
習性の変わらないと思われている虫も、
その程度には学習する。

もっと学習する可能性の高い生き物、たとえば人間も、
どこまでが生得でどこからが学習かを、
静かに見つめていることは大事なことかもしれない。

私たちは、虫カゴのように、知らぬ間に、
鋳型となって学習せしめている環境まで、
ちゃんと見抜けているだろうか。

虫カゴの網目を、蝶の目には見えず、
体が通り抜けることのないくらい、
適度に粗いものにすると、
野生の蝶も落ち着いて、
網にぶつかる回数が減る。

見えないほうが従いやすいのだろう。
でも。

従うしかない環境にはめ込まれていても、
その外にそうではない環境があることを、
知っている蝶でありたい。

透かし編みのカーテンの向こうに、
東京の町並みが小さく見えている。

2007年2月22日(木)むしろスイスイ駆け抜けて

朝早く首都高速で大きな事故があった。
こういう日は車が混むんだよなあ、
と思いながら、どうしても用事があって、
昼過ぎにハンドルを握る。

ネットで調べると、
上は通行規制、下は通行止め。
うーん、ふだんの倍は時間がかかるかもしれない。
都心の大動脈の一部だから影響大だ。

しかし、フタを開けてみると、
日曜日の朝のように道路はガラガラ。
何度もニュースが流れたせいか、
都心に流れ込む車の量は、
むしろ異常に少なかった。

渋滞しているのは、
ごく事故スポットの近くだけなので、
そこさえ避ければいつもより早い。

つくづく、情報というものの力を思う。
あの映像を見て、ほとんどの、
それを避けられる人々は、
今日は都心に車で行くのをやめようと思い、
かつ、そうしたということだ。

その結果、事故の日にもかかわらず、
首都高速は本来的スピードを取り戻した。
ひどい渋滞に巻き込まれて遅くなった人は、
かえって少なかったのではないか。

情報は行動を制御する。
それも最小のコストで。
その言葉の意味を、
なんどもかみしめながら、
車を動かした一日だった。

それは、わかればわかるほど、
面白くも、恐ろしくもある。