2007年7月13日(金)プラタナスの木陰で

昼過ぎに宅配に出た書類を追いかけて、
無理矢理夕方までに受け取ろうとした。
久々に、時間単位で荷物番号をトレースする綱渡り。

夕暮れの頃、プラタナスの並木道で、
待っていてくれた集荷トラックの運転手さんは、
とても気持ちの良い対応をしてくださった。

もう見つけてありますよ。
出荷元さんとも先ほど確認取ってあります。

見るとトラックの荷台には山のような荷物。
この中からかきわけてくださったのか、と思うと、
申し訳なさと感謝で胸がいっぱいになった。

しかもそのような余分の手間を取らせたのに、
この場で受け取れば、その荷物自体は、
出荷されなかった扱いになるという。
何度も頭を下げて受け取り、大事に持ち帰った。

毎日たくさんの荷物が全国を行き来する。
そのひとつひとつが、あのようにして、
誰かの手と汗で支えられていると思うと、
そう、玄関先に運んできてくれた配達のお兄さんにも、
もちろん、ありがとうございますと言うけれど、
会ったことのない集荷のお兄さんたちにも、
ありがとうございますと叫びたい気持ち。

重曹。
これまでに、CPPは、
ものすごくたくさんの重曹を集荷し、
配達していただいている。
みんな手で支えられている。

トレースとは、コンピュータ上の便利機能のように見えて、
本当はこの社会の、さりげなく、あたたかい縁そのものだと思う。

2007年7月12日(木)毎日が暴風雨

(no subject)
電子メールのタイトルにこうあると、
フィルタリングでスパムに分類されていたところが、
差し障りのあることが何度か続いた。

なんでもいいからタイトルを付けて、とお願いしておくと、
「今日は!」とか、「先日はどうも!」といった、
これまたフィルタの餌食になるような題名だったりする。

自分がそのような状況だから、
どなたかにメールを差し上げる場合も、
タイトル入力では一瞬思案する。

誰からのメールだかパッとわかって、
印象的な題名にしてね、と頼まれることもある。
そもやむなきことなり。

実に、スパムが吹き荒れる中では、
タイトルをすっくと立たせるに、
ちゃんとした工夫が必要、という時代。
防ぎようがないという意味でも、
この状況、自然災害に似ている。
毎日が暴風雨だ。

最近、携帯もメールも使わない、
という手段に出る人にぽつぽつ遭遇し始めた。
以前なら「信じられない」と言ったかもしれないけれど、
今ならそれアリ。

電波のたぐいが全く届かない、
沙漠のオアシスにある、深い深い洞窟を訪れたことのある方から、
なんともいえず、気持ちのいい空間だったとうかがったことがある。

(no access):アクセス不能。
それが最も贅沢とされる日は、
そう遠くないに違いない。
などと思いながら雨に打たれている。
ひとつぶ、ひとつぶ、涙のような、メールの雨。

2007年7月11日(水)ずいぶんといい加減な場所に

1日に2回、スピーチの機会があった。
ひとつめはお堅い場所。
ふたつめはリラックスした場所。

ひとつめは、決められた時間内に話し終わらず、
タイムキープを担当する方の表情が、
焦りから怒りに変わっていくのを、
しゃべりながら見ていた。

原稿を一言一句違えず読む方法はとらなかった。
がんじがらめにすると、言葉が死んでしまう気がした。

考えてつむげば、
不思議に思ったこと、感動したことが、
心から言葉の端切れや抑揚に溶け込み、こぼれていく。
それは自然かもしれないけれど、別の面から見れば、
余計なノイズ、不純物でもある。

ふたつめのスピーチを展開しながら思った。
ずいぶんといい加減な場所に生かされてきたものだ、と。

“不純”が許されない場所ではどのように身を処すか、
これからは考えないとなあ。

カタいのもやわらかいのも大事。
どちらがいい、という話ではなく、
どちらの花も咲き匂う地面でありたい。

2007年7月6日(土)かすかな感覚があります

採血のときは、じっと針を見ている。
腕からチューブに流れ出る静脈血を、目で追う。
ところが今朝は、
うまく1回で刺さらなかった。
刺し直しも見ていたら、
看護師さんがかすかに「あ」と声をあげた。
そして針の下にうすいコットンをあてがい、
血管壁との角度を調節した。

見えなくてもわかるんですか。
終わったあとで質問する。
なにがですか、とは訊かず、
針を持つ人は、初めてほぐれてうなずいた。

最初は全くわからなかったそうだ。
けれども、経験を重ねていくと、
針先が皮膚に入り、血管壁に侵入する、
かすかな感覚をとらえられるようになる。

昼前にはもう片方の腕の静脈から、
鎮静剤が体に入っていった。
今度は自分でわかる。
感じたこともない腕の奥にある血管をつたい、
かすかな痛みが肩まで登る。
しかしそこでもう意識はとぎれとぎれになり、
次に体のどこかで発生する、
小さな感覚をとらえられるようになるのは、
数時間後のこととなる。

検査は全部終了し、
気分転換に髪を切ろうと、
土曜日の銀座に出かけた。

蒸し暑い梅雨の空気が体を包む。
皮膚がちくちくし、全身を刺激している。
いつもは「声」をあげない、否、あげていることに気づかない、
体のいろんなパーツの「声」に、
とても敏感になる。

髪の毛も、切られるとき、
悲鳴をあげるだろうか。
何ミクロンの悲鳴を?

幾重にも堆積した小さな悲鳴の上に、
鈍い全体生命が座している。
そう思うと、かなしいくらいに、
命のことが愛おしくなる。

2007年7月1日(日)手は体の月

ずいぶんむくんでいますよ、と、
マッサージの人にいわれる。
ここしばらくひどく不規則だったからかもしれない。
食べ物も、おなかいっぱいになると眠くなるので、
フィンガーフードを小鳥のように少しずつ食べて、
寝ないように死なないようにしていました、と言ったら、
あきれて目をまん丸くされた。

手の動きに促され、
体の中の水が流れる瞬間、
そよそよとさざ波のような、
軽やかな感覚が戻ってくる。

地球は月の力でギュウギュウもまれ、
潮の満ち引きもそれで生じている。
ということは、手は体の月。
なでるだけで滞る水を導き流す、
不思議な力がある、のかもしれない。

      ***

ものも言えない状況を、
ようやく脱しました。
またつれづれなるままに、
よしなしごとを書きつけます。
お付き合いいただければ幸いです。

2007年5月10日(木)五弁花

昨夜。
北新地のバーでは夕方から窓を開け、
すずやかな風を歓迎した。
最高気温30℃を越えた日。

明けて今朝。
あの暑さはどこへいったかと思う肌寒さ。
通勤ラッシュが終わるころ、
地下鉄からこだまに乗り継ぎ、
京都へと向かう。

10分ちょっとで着き、そこからまた地下鉄に。
全部で1時間足らずでもう訪問先にいて、
静かな比叡の山並みを眺める。

雨は昼前にいちばんひどくなった。
新しくランチを始めたカフェで、
野菜と玄米のセットをいただいて一休みし、
再び、京阪間を移動する。

桂から高槻のあたりまでは狐の嫁入りで、
薄緑色の濡れた若葉や家々の屋根が、
金色の西日にペカペカ光り、窓の外の風景全てが、
アルマイトやセルロイドでできたみたいに見えた。

今日見つけた初夏。
lemon
レモンの花が満開になり、
ほのかな香りを漂わせている。

少し摘んで乾かしましょう。
移動の激しい一日だったけど、
蜜柑と同じような白い五弁の花は、
本当に癒してくれて、薄暗がりの中、
ポッと光を放っているように見えた。

2007年5月2日(水)年間アラーム

日御碕に電話する。
今年は少し遅くなってしまった。
天然の板ワカメは毎年4月に入るとよい時期を迎える。
ほんの短い間だから、忘れないようにしなくちゃと思っていたのに。

幸いなことにまだ在庫を集めることができるとおっしゃるので、
お手数かけますが、とお願いする。

年間アラームってないものかしら。
各地のいろいろな、かけがえのない人と食。
食べものには旬があるので、変なときに思い出しても、
お人には連絡がつくが、食には再会できない。

初めて板ワカメを食べたのは、
都内の出雲蕎麦の店だった。
重箱などより二回りくらい大きいだろうか、
簡素な白い紙箱にビニール袋もなにもなく、
乾いたワカメが切り収められていた。

しょっぱいのかと店の人に尋ねると、
そんなことはない、このワカメは水洗いして天日で干すから、という。
軽くあぶって食べると最高ですよ、と勧められ、
出てきた美しい翡翠色の焙りワカメは、
たちまち満座の喝采を浴びた。

食べ出すととまらなくなるのだ。
お酒のピッチもどんどんあがる。
結局、ほぼ一箱、皆で食べてしまったのではと記憶する。
特に男性陣の手を伸びようはすごかった。
この食べものの中には、
なにか日頃いつも私たちに足りていないものが、
入っているのかもしれないと、ふっと思った。

時が経ち、あるときからその蕎麦屋では、
板ワカメが手に入らなくなった。
そうなると欠けたものを探すように欲しくなる。
そのころ、偶然、出雲とのご縁を得た。
ワカメを食べていた仲間と海っぱたを歩き、
潮風と雨に打たれた。
そして、岬の民宿で珍しい海の幸に囲まれ、
対馬暖流と島根冷水が豊かな生物相を生み出すという、
荒々しくもおおらかな海の姿を、やっと少し知った。

今の私たちの体にはミネラルが足りないと言われる。
土にそれが不足しているので、食べものもそうならざるを得ない。
田畑に海藻をすき込んだり、にがりを撒いたり、
苦労して陸上に海を持ち込む工夫がなされているけれど、
もう一つ、別のルートがあるように思う。

上品で何にでも気軽に混ぜたり乗せたりできる板ワカメは、
海と人間が直につながる、一筋の奇跡的回路だ。