セキレイが渡った

東京駅丸の内口。
整然とした町並みを縫い合わせる、
広い横断歩道の前に立ち、
信号が変わるのを待っていた。

緑とビルのコントラストがきれい。
青になって歩き始めると、
真上の空にも、
同じ方向に進む小型の影。

ツイツイと羽ばたき、
先に対岸の街灯にたどり着いて、
てっぺんからクルリとこちらを向いた。

ハクセキレイだ。
こんなところにもいるんだ。
東京は意外に水場も近いものね。
羽さえあればきっとひとっ飛び。

のろのろと歩いて渡る人間たちを、
悠々と見渡している(ように見える)。
いいなあ。全然違う景色が見えるんだろうなあ。
渡りきると、セキレイたちの姿は見えなくなった。

取材、交渉、プレゼン、善後策。
地上にはスイッと飛び越すわけにいかない事柄が、
いろいろあるけれども、それらをそぎ落として、
鳥のようになりたいと想像することはあるけれども、
実際に、飛翔するために彼らがあきらめた身体機能のことを思うと、
まあまあ器用に動くこの手足と重たい頭を使って、
耕したり、話したり、創り出したりすることを、
放棄してはいけないのだろうなあと思う。

折しも食糧サミット。
食べるものを産業のエネルギー源にすることは、
世界に途方もないインパクトを与えるだろう。
これまでは、地下資源という貯金を振り出していたのに、
限られた太陽エネルギーを即利用しようと思えば、
生きものと文明の間にカロリーの奪い合いが起こるのだ。

でもそれをきっかけに、
今持っているもので不必要なものを、
次第にそぎ落としてみるのは、
けっこういいことにちがいない。

なにかをあきらめることは、
なにかが進化することだから。

背中に羽は生えないかもしれないけれど、
思考の翼は、得られるかもしれない。
普くもっと俯瞰でものを見る力は。