出雲、日御碕の民宿に電話をかける。
若干愛想のない年配の男性の声がして、
「あの、毎年まとめてお願いしている天然板わかめを、
また今年もお願いしたいのですが」
「天然は今年はやっていない。
養殖わかめならある」
判断がつかず、いったん電話を置く。
日御碕神社の宮司一族である、
小野さんに電話をする。
天然はもう採っていないって本当でしょうか。
「そうですね、前に申し上げたように、
漁師も高齢でいなくなっているし、
わりに合いませんからね。
いよいよ無理なのかもしれません。
生だとやわらかさの違いがありますが、
一度乾燥してしまえばもう見分けがつきませんから、
養殖で良いものがあるならそれがいいと思いますよ」
岩礁に仮根をはって育つ天然わかめと、
海に流したロープに仮根をはる養殖わかめと。
こだわっていても、どちらにせよ、
確かなつてで上物が手に入るのは、
この時期だけなのだからと、
ようやく決心して再び電話をかける。
いつも話している、おかみさんが出てきてくれた。
今、海から戻ってきたところだという。
「そろそろ電話せにゃと思っておりましたよ。
今年は天然わかめの出来が悪くて、
扱いをやめたのです。どういうわけでしょうか。
でも養殖もとれる場所の条件などで品質に差があり、
ちょうど今から出るものは私が見てもよいものなので、
食べてみてくれたらいいと思いますが」
相談をまとめて電話を置き、
あの海の風景を想った。
初めて訪ねてから、何年経っただろう。
天然わかめが手に入らなくなる時が、
ついに来た。
海の中にはいっぱいある。
でも、誰も採らない。
養殖でも遜色なく、人間は楽、
それで日御碕で育ったわかめが手に入るなら、
その幸せを今は喜ぶべきなのだろう。
そんなわけで、
今年の出雲板わかめは養殖ものです。
暖流と寒流が複雑に入り交じる日御碕の海で、
ゆらゆら育った大きなわかめ。
しょっぱくないから、おつゆに、ごはんに、
海のミネラルをそのままたくさん召し上がれ。
一年分ストックしながら、
最後の一袋がなくなる頃、
そう、来年の春また連絡を取るとき、
海とそこに暮らす人々が健やかであることを、
心から祈る。
本当に、いつもお礼を言うばかりで、
なにもできない一ファンなのですが。