2008年2月27日(水)石けんってどんなもの?と聞かれたら

物にはたましいがあると思っている。

生き物とはちがうけれども、
生き物よりよほどたしかな、
不動の意思とでもいおうか。

鉄には鉄の意思。
炭素には炭素の、
ナトリウムにはナトリウムの。

それはいくども銀河の誕生と消滅に立ち会い、
かぞえきれない星の息吹を聞きながら、
あるとき、あるべき姿にととのった。
そして時が来るまで覚めもせず眠りもせず、
気が遠くなるほどただそこに在った。

それだからのちに生き物が現れて、
つついたりかじったり、
もっと人間のように砕いたり、
ゴウゴウと燃やしたりしても、
すこしも驚かず(もっとすごいのを経験してるからね)、
むしろことわりにまかせて化合したり分解したり、
新しい物へと進化することを楽しんだ。

そうして新しく生まれた物は、
新しいたましいを持った。
そのふるまいにふさわしく、
この世界に新たに存在する意味を。

もっともちかごろは、
はなばなしく生まれても、
バランスのよくない物、美しくない物も多いけど。

石けんのたましいとはなんだろう。
油脂とはちがうよ。
苛性ソーダともちがう。
元の物とはまったく異なる、
石けんだけの意思。

石けんが、
およそあいいれない水と油を、
やさしくひとつにとけあわせる奇跡を、
数千年前から私たちは目撃してきた。

そんなことができるなんて。ね。

でもそうやって、
物は人を変えていく。
触れることで、使うことで、
石けんのたましいは人間に入りこみ、
君にもできるはずだよ、という。

あいいれない二つのものを、
両手に抱きしめ浄化せよ。

そうして人が本当に、
たとえば石けんのようになれたとき、
物と生き物はともに笑うのかもしれない。
くすぐったそうに。

くつくつ。
ぷくぷく。
ゆかいゆかい。

ほんとうだよ。