2007年8月6日(月)なにから自由に

このところ、スーパーの食品などを中心に、
こんな言葉を見かけるようになった。

「チャイナフリー」

安全不信から生まれたキャッチフレーズ。
中国産の原材料が含まれていないことを表す。
でも、初めてこの言葉を聞いたとき、
奇妙な感じがあった。

言いたいことはよくわかるし、
それをしっかりと謳うことが、
買い手の安心と店の売上げに貢献することも、
とてもよくわかるのだけれども。

何がひっかかるのか、ずっと考えていて、
チャイナを別の単語に置き換えてみた。
「毒物」「雑菌」
うん、表面的にはそういうこと。
それらを避けようということ。

でも本当は、
自分と関係ない誰かが、
死んだってかまわない、
という「思いやりの欠如」。
それをなんとか避けようということ。
それがいちばん怖いのだ。
私の奥底にもあるものだから。

今手の中にある食べ物の作り手を思えば、
温かさが感じられるというのは幸せなことだ。
そうではない生産物を識別するために、
また新しいレッテルが生み出された。

チャイナフリーという言葉を見かけるたびに、
そのレッテルの裏に隠れているものから、
アナタモ今サエ、自分サエヨケレバ、ソレデイインデショウ?
と、問いかけられているように感じる。

それはおそらく本当は、
具体的な国の名前などではなく、
人間がずっと対峙してきた、
ある地獄の名前なのだろう。

合掌。
ヒロシマの日に。