このところ、スーパーの食品などを中心に、
こんな言葉を見かけるようになった。
「チャイナフリー」
安全不信から生まれたキャッチフレーズ。
中国産の原材料が含まれていないことを表す。
でも、初めてこの言葉を聞いたとき、
奇妙な感じがあった。
言いたいことはよくわかるし、
それをしっかりと謳うことが、
買い手の安心と店の売上げに貢献することも、
とてもよくわかるのだけれども。
何がひっかかるのか、ずっと考えていて、
チャイナを別の単語に置き換えてみた。
「毒物」「雑菌」
うん、表面的にはそういうこと。
それらを避けようということ。
でも本当は、
自分と関係ない誰かが、
死んだってかまわない、
という「思いやりの欠如」。
それをなんとか避けようということ。
それがいちばん怖いのだ。
私の奥底にもあるものだから。
今手の中にある食べ物の作り手を思えば、
温かさが感じられるというのは幸せなことだ。
そうではない生産物を識別するために、
また新しいレッテルが生み出された。
チャイナフリーという言葉を見かけるたびに、
そのレッテルの裏に隠れているものから、
アナタモ今サエ、自分サエヨケレバ、ソレデイインデショウ?
と、問いかけられているように感じる。
それはおそらく本当は、
具体的な国の名前などではなく、
人間がずっと対峙してきた、
ある地獄の名前なのだろう。
合掌。
ヒロシマの日に。