日御碕に電話する。
今年は少し遅くなってしまった。
天然の板ワカメは毎年4月に入るとよい時期を迎える。
ほんの短い間だから、忘れないようにしなくちゃと思っていたのに。
幸いなことにまだ在庫を集めることができるとおっしゃるので、
お手数かけますが、とお願いする。
年間アラームってないものかしら。
各地のいろいろな、かけがえのない人と食。
食べものには旬があるので、変なときに思い出しても、
お人には連絡がつくが、食には再会できない。
初めて板ワカメを食べたのは、
都内の出雲蕎麦の店だった。
重箱などより二回りくらい大きいだろうか、
簡素な白い紙箱にビニール袋もなにもなく、
乾いたワカメが切り収められていた。
しょっぱいのかと店の人に尋ねると、
そんなことはない、このワカメは水洗いして天日で干すから、という。
軽くあぶって食べると最高ですよ、と勧められ、
出てきた美しい翡翠色の焙りワカメは、
たちまち満座の喝采を浴びた。
食べ出すととまらなくなるのだ。
お酒のピッチもどんどんあがる。
結局、ほぼ一箱、皆で食べてしまったのではと記憶する。
特に男性陣の手を伸びようはすごかった。
この食べものの中には、
なにか日頃いつも私たちに足りていないものが、
入っているのかもしれないと、ふっと思った。
時が経ち、あるときからその蕎麦屋では、
板ワカメが手に入らなくなった。
そうなると欠けたものを探すように欲しくなる。
そのころ、偶然、出雲とのご縁を得た。
ワカメを食べていた仲間と海っぱたを歩き、
潮風と雨に打たれた。
そして、岬の民宿で珍しい海の幸に囲まれ、
対馬暖流と島根冷水が豊かな生物相を生み出すという、
荒々しくもおおらかな海の姿を、やっと少し知った。
今の私たちの体にはミネラルが足りないと言われる。
土にそれが不足しているので、食べものもそうならざるを得ない。
田畑に海藻をすき込んだり、にがりを撒いたり、
苦労して陸上に海を持ち込む工夫がなされているけれど、
もう一つ、別のルートがあるように思う。
上品で何にでも気軽に混ぜたり乗せたりできる板ワカメは、
海と人間が直につながる、一筋の奇跡的回路だ。