静岡県の遠州というのは、
ずいぶん広い地域を指すようだ。
以前訪れた水窪という山中の、
とても美味しいこんにゃくを作っている農家のおばあちゃんは、
このあたりはコメが取れないので、
コンニャクイモや蕎麦をたくさん作るとおっしゃっていた。
天竜がまだ蕩々と流れる大きな姿に変わる前、
最初の小さな川のころ。
かと思うとお茶どころ自慢の大走り茶(おおはしりちゃ:
その年本当に最初の新芽を手摘みした贅沢なお茶)をいただくのも、
静岡ならではの土地の恵みを肌で感じる瞬間だ。
遠州の農業協同組合婦人部委員会で、
重曹とその他の自然物質を使った生活についてお話をした。
100人ほどの、各地域を代表する女性委員さんたちは、
もう掃除に重曹を使っているという人が大半で、
でもなぜそれが掃除という名のリカバリー作業に使えるのか、
重曹が自然界の中でどんな役割を果たしているか、
知っている方はあまりいなかった。
これからは、そのあたりをもっと詳しく、
話していけばいいかもしれない。
そのほうが楽しくなる。
誰であれ、どこであれ、
知った人は足元から世界の見え方が変わる。
目に見えないものを見るのは知の力だもの。
それは言葉によって人から人に渡すことができ、
そのようなことができるのは、人間しかいないのだから。
終わってこだまに乗り、
つなぎのプラットフォームで、
30分ほどひかりを待った。
こだまより速いのはひかり。
ひかりより速いのはのぞみ。
うまいこと考えたもんだよね。
でものぞみより速い車両が出てきたら、
なんて名づけるんだろ。
のぞみよりもっとあえかな、
地上に降り立つ前の……うーん、それは強いていえば、
今この頬にあたる、あたたかな風のような感じかなあ。
いちばん近い言葉は、
“祝福”というんだ。
ゆるしともいう。
ゆらゆらゆれて、
ゆるす、ゆすらぐ、リカバーする、
いきもののかなめ。
それを実現するために、
音よりも光よりももっとのろのろとした、
物質の形で水や鉱物がある。
重曹もその静かな祝福のひとつ、
と考えればいいんじゃないかと思う。