10月17日(火)利休とキリスト

お茶事の本をいただいて、
しみじみ感じ入りながら読む。
日本情緒、というのが好きというより、
作法という形式をここまで哲学の高みに持ち上げた、
その深謀遠慮に感心するのだ。

お茶の科学的効用については、
使えば使うほど納得することばかりだ。

たとえば消臭効果。
ビネガーに緑茶の葉っぱを振り入れて、
しばらくすると緑茶ビネガーが出来上がる。
他のハーブのようによい香りはないが、
噴霧するとすみやかに部屋の匂いなどを消し去る。

たとえば免疫増強効果。
特別に免疫力に強く働きかける種類の茶葉もあるが、
緑茶全般に免疫を強くする力が備わっている。
おまけにカテキン自体に強烈な殺菌作用があるので、
風邪のときお茶でうがいをし、できれば鼻洗浄をし、
さらに温かいお茶をたっぷり飲むことは、
体をいたわりながら風邪菌を退治するのに、
大きな効果を発揮する。

中国の古い話にお茶の神様というのが出てくるが、
まさに神さまのようにありがたい植物のひとつだ。

それを大陸から禅僧が持ち込んで、
日本人は儀式にした。
効果があるものを、さらにありがたく見えるよう、
社会的権威という着物を着せた。
その仕上げに利休という巨大な人柱と、
家元制度という管理システムが、
大いに役立ったことはいうまでもない。

もっともその儀式は、
裏にキリスト教文化の血脈を持つともいわれる。

これは私の血、と言いながら、
その方は葡萄酒を注がれた。
この国に至っては、緑色に変わっていても、
それはその方の血かもしれぬ。

ふむ。
葉緑素も赤血球も、
その構造の核に鉄を持つというところ、
けっこう似ているもんなあ。

開祖の死をして、
永続的システムを獲得するのも同じ。
記憶の中に純粋に留め置かれた、
もはや動かぬ開祖が中心の核となる。

キリストと利休は死のプロセスにより、
自らが生み出したorganの、
真中の鉄分子になったのかもしれない。