待てばいいのに(2008.4.25)

次々と、自殺のニュースがテレビや新聞で報道されている。

下らない。
どんな事情があるのか、でも、どっちにしても下らない・・・
何故って?
放っておいても、いずれ人は死ぬ生物だから・・・
「あなたは幸せな人だから、そう言う人の気持ち、分からないからそんな事が言えるのよ」
なるほどね、高校の時にもクラスメイトに言われたことがある。
「あなたは悩みなんかない幸せな人だから、何でも楽観的に考えられるのよ、あなたには私の気持ちなんて分からない!」・・・・と、たかが失恋ごときで、私にそう言った。
人を幸せと揶揄する時、自分は幸せになる為のどんな努力をしたのか考えてみるといい。そんなだから、パスされたんだって事、よく考えるといい。その薄っぺらなクラスメイトとは、それからは遠い関係になった。
たかが失恋だ・・・個人的な人生には影響を及ぼすものだけど、別にだからって世界がひっくり返ったり、しない!絶対に。なのに、不幸のヒロインよろしく、どっぷり浸っていた訳だ。そして、10代の恋なんて、そのほとんどが成就なんかしないで、思い出に変わっていく・・・・そんなものなんだよね。

他人まで巻き込んで、自分の命を消すなんて、ホント、下らないことだ。
巻き込まれた人は、その人の与り知らぬ人生を歩んでいたと言うのに、勝手に殺されてしまう訳だ・・・・。
そういう魔につけこまれないように、人はあがかなきゃいけない。
他人とのつながりや、好きな事や物や人と接して、生きるための方法を血みどろになっても掴みとらなきゃならない。
下らない人間になる為の方法は知っていても、ネットに流したり人に教えるもんじゃない。
つまりね、幸せだからずっと笑ってる訳じゃない。
辛いことや悲しいことがあって、だから、ほんの些細な事がとてつもなく幸せだと気がついただけのこと。
死んでしまった人は可哀想に・・・・実は両手にも背中にも抱えきれないたくさんの幸せを背負っていたのに、見つけることができなかったのだ。
ただ一点の、幸せの中の不幸せを全てだと勝手に解釈して、その闇に引き込まれてしまったんだろう・・・。

どんなに生きたいと思っても、人はたかだか100年足らずで死んでしまう儚い生物。
何かを成しえて、完成させるなんて到底できない生物だ。
完成させたと、自己満足しても、そこからまたすぐに局面は変わってしまう・・・・その程度のことなのだ。
このブログを書いている私も、読んでいるあなたも、恐らく、ほとんどの人が、100年後にはこの世にはいない。100年経ったら、悪口さえ誰もいってくれやしない、悲しいくらい弱々しい生き物なのだ。
だから、せめて、自分に与えられた時間くらいは精一杯やったと自己満足できるくらいに生ききってみなければ・・・。
死は勝手にやってくるのだから、その時には受け入れるしかない。何も、自分でわざわざ追いかけて行かなくてもね。
やるべき事が見えないとか、どうせ自分なんかいてもいなくても一緒、なんて考えることは、無いよ。
地球から見れば、マリリンモンローでも、ありんこでも大して変わりない生き物だから・・・・。その程度の価値なんだよ、人間なんて・・・・。
いじめてる人だっていじめられてる人だって、地球から見れば「なにやってんだか・・・?」
そう、卑下するその価値観は勝手にどこかの人がつけてるだけのこと。
だったら、自分で自分の人生の価値観は決めてもいいってことだ。著しく、周囲と違っていたら、それを分析してるだけで一生は楽しく終わってるかもしれない。
いてもいなくても一緒で、自分が死んでも悲しむ人なんかいないなんてこと言う人がいたら、それこそ、ラッキーって思わなきゃ。
家族や友人はこれから見つければいいんだし、その誰かが死んだ時、死を悼むことのできる関係を築いていけばいいんだよ。
人間も他の動物も、生まれるのも死ぬのもたった一人。一人きりで生きられるように神様は作ってるんだよ。だから、生きられないはずも無いんだ、本当はね。
100年足らずを持て余して死んでいく誰か・・・・でも力を抜いて、もっと周りを見たら・・・・多分、とても短いって気がつくと思います。いえ、気がついて欲しいとそう思います。
やりたい事を見つけたら、やなヤツに構ってるヒマなんてありゃしません。悪口や愚痴は、酒のあてに置いといて、とにかく行動あるのみ!
前に向かって進みましょう!例え一歩からでも・・・ね。良いも悪いも思い出と言う過去は変えられないけど、未来は、その気さえあれば、変える事ができる。
死ななくても、もっと満足な結果を手にすることは可能だって事、気付いて欲しい。2児の母であるオバサンとしては・・・・ね。