無機物にも魂(2008.3.7)

日本人の考え方でとても好きなものがある。
至る所に八百万の神様がいたり、石や川にも心や魂が宿っていると言う考え方・・・
昨今、捕鯨問題や米兵が犬を谷底に投げる映像などが色々と物議を醸しているけど・・・・
正直ね、ちゃんと話してないし、相手の言うことをまるきり聞かずに、自分の狭い考え方だけを押し付けている感がある。
メディアも正しいことを公平に伝えることをせず、勝手な思い込みで騒ぎを大きくして、そして威張ってる。

日本人は、命を粗末には決してしない民族なの。
最近は諸外国の影響を受けたり、食生活や生活習慣が変わってしまって、日本人だけど日本人じゃないような人も随分増えて来ているけどね・・・。
でも、それでもあえて言うなら、日本人は「もったいない」という言の葉を持っている民族で、これと同じ意味を持つアルファベットは存在しない・・・って聞いた。
説明するのに、たくさんの単語が必要になるなんて面倒くさいこと・・・
そして「いただきます」という言の葉も持っている民族。
私たちは食べないでは生きていけない存在だから・・・・その私たちの命を維持する為に、植物も動物も・・・毎日たくさんの命を犠牲にしている・・・・頂いているから「頂きます」と、自然に感謝して食事を始める民族なんだよ。
我が家では、きちんと手を合わせて頭を垂れて「頂きます」と、言わないと食事は食べさせてもらえないルールなのです。
よく外国のドラマや映画で「天にまします我らの神よ・・・・」なんて、食前のお祈りをするシーンがあるけれど、そんな長ったらしいことを全て「いただきます」という一言に込め、感謝と自然に対する畏怖の念を毎食感じながら食事を摂る民族なのです。神道だろうと仏教徒だろうと、等しく食事の前には「いただきます」と言うのです。
鯨は崇高で、牛や豚は家畜だからいいのだ、と、命にランクをつけるその考え方こそが、私には悲しくうつります。踏みにじられていい命というものがあるのでしょうか?それこそを、私は問いかけたいのです。
命はどれも大切です。その命を犠牲にしているニンゲンという生き物が私たちなんです。
鯨と言う生き物を1頭捕らえた時、私たち日本人は頭の先から尻尾の先までそれこそ、無駄なく「いただき」、利用します。鯨油だけを採り、後は捨てていたから鯨は減ってしまったと言うのに、それと等しい民族の人たちに今になって責められることもリアリティを感じません。
牛や豚を見たとき、とても可愛い・・・と私の目には映ります・・・でも、私は牛肉も豚肉も食べます。かけがえのない命を持った生き物の肉を食らいます。自分が生きるためだけに・・・・。
セミの抜け殻にさえ、美や存在を見出せる目を持った民族に生まれたことを私は幸福に思っています。
日本人は鯨を殺すから野蛮・・・・そう言っているあなた達の表情や行為は紳士的なのでしょうか?
そんなことをしている人たちにさえ、哀れを感じる民族でもあります。
鯨だけでなく、家畜だけでなく、植物だけでなく、もっと広い、空や海や岩や砂の言葉を一緒に聞きませんか?
勿体無いことをやめ、地球の声を一緒に聞きませんか?
地球の言葉は「元に戻したかったら鯨を捕るのをやめろ」なんて安易な理ではないでしょう?
自然の理は、深くて、難解で、でも明解です。おかしくなったところの修復は鯨だけで補えるようなものではないのですから・・・・
「いただきます」
そう言って、私たちはいつもいつも、地球に与えてもらうことでしか生きて行けない小さな命です。地球を守るなんておこがましい、恐れ多いことです。ずっと守られてるのはいつも私たちのほうです。
やれることはたくさんあります。どうか、誰かを傷つけることよりも、一本の木を植え、争いごとを止め、勿体無いことをやめませんか?
小さなニンゲンという生き物は、多分、そんなことしかできないのですから・・・・大統領でも主席でも、大金持ちでも貧民でも・・・地球から見たら、ニンゲンと木なんてほとんど変わらない小さな生き物でしょうね。
言葉はどこからでも聞こえます。聞く気にさえなれば。
この手の中の白いミネラル物質からも・・・・
叫ぶばかりでなく、主張するばかりでなく、話し合う、理解し合うというニンゲンらしい行為を、もしかしたら地球は待ってるのかもしれません。