取り憑かせる、という考え方(2008.2.26)

 風邪を先日ひいたのだけど、最近、体の調子を崩す、こういったウィルス(や、細菌)たちって、必要があるのかも、と言うお話。
ある人のブログで、多分、人は、なりたくて病気になってるのかもしれないよ、というお話を読んでから、考えた。

免疫力が弱っているからとか、ま、色々と理由はあるんだけど、同じ部屋で、同じようにウィルスや細菌と接していても、私みたいに風邪をひいちゃう人もいれば、まったく平気な人もいる。
私は、病気にしてね、と、ウィルスに頼み、それで、よっしゃー!と、体に入ってきたような気が、確かにちょっとする。
東洋医療や自然療法などでも咳も、実は、体の中の何か良くないものを押し出そうとしているサインだとも言われていて、あまり、押さえつけてまったく出さないようにしてしまうと、体が病むとも・・・・・
自然の行う所業には、無駄がないと、体感して思う私は、このウィルスや細菌たちも、多分、それぞれ何らかの役割をもってるんじゃないかと、中学生の時、ナウシカを見ながらそう思っていたものだ。
あの、人を殺してしまう腐海は、地球をクリーニングする為に生まれたものだったと言うくだりを、私はそういう見方もあるのだなあ・・・と、やたら納得してしまった。
自分の身の回りに置き換えると、同じようなことはたくさんあって、何てこと無い青かびから「ペニシリン」と言う特効薬が出来るように・・・・全ての小さな地球上のものたちは、何らか役割を担っているのでは・・・?と、疑いをもって物事を考えたりもする。
熱を出したり、体の防御本能を高めて、ウィルスを追い出すことが、固体としての働きと考えるなら、その固体の働きがなぜ必要なのか?
弱った固体から、毒素を抜き、健康に保つことで、何が変わるのだろう・・・?
そう考えると、この私の体は、やはり、私のものではなく、自然がたまたま私に貸し与えていただけのもので、病気になるのは、適切な使い方をしてなったってことなんだろう。
私のように、心もとない輩に貸し与えるのだから、少々傷がついたり、部品が欠けたりすることは、多分予想しているんだろう。
それくらいでは壊れない。
でも、病気になるということは、その外骨格的な強さとは違っている。
もう、既に、かなり弱っていて、ちょっとやそっとじゃ戻らないから、カンフル剤として、ウィルスを受け入れたのかな???と、今回は思っている。
体を駆け巡り、あちこちで悪さをしながら、免疫力をあげ、本当に命を食い尽くす何かに対抗できるように、強くしていってくれている・・・そんな気がするのだ。
ウィルスや細菌、その他色々なミクロのものを私たちはそう簡単にコントロールは出来ない。
精油さえ効かなかったのには、何か理由があるはずだ。
私の体を、咳と言う症状を通して、自然が言わんとしていることを、少し感じることもある。
ほんの少し、薬を使うけれど、声が聞こえなくなるほどには、必要がないと感じている。
目に見えない体の隅々にはびこっている、何か小さな忌まわしいモノ達を体から追い出してくれている。
咳や、鼻水や、痰や、涙や、排泄物の中に、それらは多分たくさんいるんだろう。
薬と平行して使える自然なものたちは、他に害を及ぼさずに、薬の害さえ、外に押し出すのを手伝ってくれる。
私の体は、自然の一部。
それを離れて、1秒たりとも生きてはいけない命なんだと思い知る。
何一つ、実は人間は支配できない、と、こういう時に思い知る。
自然が与えてくれた体一つさえ、心臓の鼓動一つさえ、瞬きや、血流も、決して自分の思い通りに動かすことの出来ない、ちっぽけなパーツなのだから・・・。
自然に自分が沿えば、支配するよりも余程気持ちがよく、無理も生じない。
そういえば、車も家具も、家だって、最近は自然志向で、人に優しく作られている。
うるさい人たちは、それでも作ることのコストがどうの、パフォーマンスがどうの、リサイクルがどうの・・・と、文句をつけたがるけど・・・
いや、文句ももちろん大切だけど、そんな風に、地球と人のことを考えたもの作りが、だんだんと当たり前になってきているのだから・・・。
一度離れてしまった自然と人との調和は、元々の形でなくても、取り戻せるんじゃないだろうか。
ウィルスたち、細菌たちが、まだ、私たち人間を媒体として認めてくれているうちは、私たちは等しく地球の一部・・・と感じられるのだ。
前にも書いた・・・自殺っておこがましくて図々しいことだと・・・。
命も体も、自身のものではない。
この咳や、ひいてしまった風邪による苦痛は自分のものだけど、同時に、健康な時のうれしさや楽しさ、そんなものも、私のものだけど、体はいずれ、自然に戻さなきゃならない、大切なレンタル品。
自分の体ながらイライラする!なんて、時々書いてしまうけど、大切にしますからね。
体でおこる色々な出来事を通して、自然と繋がっていることの不思議とうれしさを最近は感じます。
この咳が収まる頃までに、いくつのことを私はこなして、どれくらい前進できるかも、実は楽しみです。
咳は自然からの警告・・・お知らせだから、ちゃんと聞いて、考えて処置しなくちゃね。
それが、小さな私に与えられた課題の一つだったりもするんだろうな。