お水取り(2008.2.2)

明日は節分という今日この日に、井戸の水をビンに詰める・・・。
これは、おばあちゃんから伝わっているおまじない。
宗教上からいけば、色々と問題がある行為なのかもしれないので、あまり人に勧めたことはないけれど、我が家ではずっと毎年の行事。
おばあちゃん曰くは、台所の神様がいて、その神様に備えるという意味で、一年で一番寒い寒の時期の水をビンに詰めて台所の流しの下などに備えておくと、火事を起こさないんだそうだ。
神様というところで、宗教的ととる人もいるかもしれないけれど、確かに、「気」の溜まる場所であるには違いないと思うのだ。
野菜やお肉、時には生きた魚を調理する場所。
それらを食べて生きているのが私達人間なのだもの・・・・。
鯨は捕っちゃいけないけど、牛は殺して構わないという国の人たちはこちらにおといて、どの命も頂いて私達が生きていることは間違いないこと・・・。
お野菜だって、立派に命を持っているのだもの・・・。だから、呪われても当然の場所なんじゃないかと私は思っている。
命あるものに、塩をすりこんだり、熱湯をかけたり、油で揚げたり、火であぶったり・・・・魔女裁判よろしく、数々の悪行を、日々重ねている場所。
でも、その命は一旦絶たれて、私達の体に入り、細胞の一つ一つを形作り、その細胞に栄養を運び、明日への私達の命を支えるものになっていく。
やがて死ぬ私達も、焼かれるか、それともそのままかは分からないけれど、地球の土となり、宇宙を司る成分の一つとなり、次の何らかの命の元となる。
その、小さなドアのある場所。

指切りと同じ、約束を守るというおまじないよろしく、私は毎年この時期に、水をビンに入れ、奉る。
今年も奉って、火事にならないよう、用心して食事の支度をしよう。そのための形ある約束の一つの姿がこれなんだ。
私達の体になくてはならない「水」は、きっと昔から大切にされてきたもので、今もなくてはならないものだから。
ひねれば水の出るこの時代、それでも大切さは変わらない。
毎年、少しそんなことを思い出させてくれ、気持ちを新たにする瞬間が訪れて、とても感慨深くなる。
明日は節分。
豆を撒き、恵方を向いて太巻きを頬張ろう。