Over The Rainbow(2008.1.16)

写真を撮れなかったのが少し残念だったけど、今日、上の息子と一緒に虹を見た。

息子の学校は今週「受験ラッシュ」なのです。
いつもは忙しいカリキュラムと部活で売れっ子タレント並(?)に分刻みで動いている息子だけれど、今週は少々のんべんだらりと過ごすことができることを喜んでいる。
例えば、今日は2時に学校が終わる。
・・・でも、スクールバスは4時発なので、さすがになんにもせずに2時間は辛いかな、と思って、お迎えに・・・。

お迎えの時間頃から、急に降り出した雨の中を駆けてきた息子が、後部座席に飛び込んだのを確認して、車を発進させる・・・・
そして、坂を下りて大きな道に出たところで、虹を発見。

大きな虹はとてもキレイで、でもその道は、高速が上を走っているから、なかなか写真を撮影はできずに終わった。
信号待ちごとに、位置が変わるからか、薄くなっていく虹を見ながらの帰宅・・・・

科学的に説明すれば太陽の光を雨がプリズムの働きをして映したもの・・・・
なーんて、陳腐な色気のない説明になるんだろうけど、どっこい、理屈なんか抜きで、美しい。

自然はそうやって、科学的な説明さえ関係がないくらい美しいものを私たちに見せ、与えてくれる。
享受できるこの瞬間を、この恵みを受ける価値がまだ自分にあるのかと、問いかけたくなる。
未熟な人類のうちでも、特に進歩のない、ちっぽけな私を、分け隔てなく愛し、受け入れてくれる大いなる自然は、厳しくも暖かい。
神と自然は多分、同じものなのだろう。
神の住まう世界も、また私たちと同じなのだ。
天国だとか地獄だとか、それらも全て、今この世界と繋がっている大きな世界で、私たちは生かされている。
生まれてくる前も、死んだ後も、多分同じ世界で回っている。
肉体が塵となり、分子となり、原子となり、また何か別の物となり、複合していき、命を形造るものとなる、遥かな時間の中で、それを繰り返していくのだろう。

今は虹を形造っているその色々なものは、明日には私の体の一部かもしれないし、私が虹となる日もやってくるのかもしれない。

私は辛いことがあっても、逃げなくちゃならないような惨めなことがあっても、自殺だけはしないと誓う。
そんなこと、しなくても、自然は私のステージをちゃんと用意してくれている。
どんなに凹む事があっても、分け隔てなく美しい虹を見せてくれたように、自然にとって、宇宙にとって、人が少々価値があると思おうが、無いと思おうが、そんな些細なことで法則は変わらないのだ。
その偉大さを知るにつけ、自分の体や命を、未熟な私がどうこうしようだなんておこがましいことなんだ、と悟る。
自殺をしてしまう人たちや、殺人を犯してしまう人たちは、自然とのコミュニケーションをとることを知らないか、忘れてしまった人たちなんじゃないかと思う。
他人の心なんて分からなくてもいいじゃないか、空気読めなくたっていいじゃないか、自然と心通わせられれば・・・・。
醜くても、生き抜くこと、自然に逆らわないということは、そういうことだ。

私のテロメアが短くなって、もう細胞分裂を繰り返さなくなるその時まで、もがきながら、あがきながら、生きていこう。
美しい虹は、ほんのちょっと色々なことを考えさせてくれたことに感謝。
息子がそんな私の横で考えてるのは、今日のおやつと明日のゲーム攻略・・・・かな・・・?