8月16日(水)袋の底

豪雨、ときどき晴れ、そしてまた雨。
落ち着かない天気だ。
空を見上げては右往左往する。
パソコンを抱え、人間は濡れてもカバンは濡らさじと。

eriさん、Satoさんと打ち合わせ。
久しぶりなので案件山盛り。
冷房の効くポジションだったか、
外に出ると雨あがりの蒸し暑さがむしろ心地いい。
部分浴みたいに、むき出しの腕と足が解凍されていった。

温度と湿度のジェットコースター。
エアコンが作り出しているのは、
快と不快の傾斜角だ。
空気を全部引っかき回して、
定常のぬるい水平面を作るよりも、
そこに傾きがあれば、
刺激が、運動が生まれる。

しかしそれは自作自演の自己満足であって、
小さな空間で冷えたり温まったりして喜んでる間に、
外の大きな空間の気象は異常が通常になっていく。

今度はパソコンをかばうような具合にはいかないだろう。
カバンは外に出ており、私たちも外にいる。
外にはもうそれ以上の外がないので、
どこかで起こったことは、
必ず私たちの内に含まれる。

つまり一番外というのは、袋小路なのだ。
福は内、鬼も内。
冷気も排熱も、結局は、外なのに閉じている、
もはや行き場のないその空間に吹き溜まる。

ところで、
袋小路はcul-de-sac、袋の底ともいう。
丸い窓のある、ホビットの家の名(bag end)でもある。
トールキンの冒険譚は、
いつもそのbag endから始まる。

稀代の言語学者の精神に宿った、
壮大なイマジネーション世界にあやかれば、
あるいは傾斜角を付けながら、
どん詰まりを解消する方法があるかもしれない。

中つ国すなわち地球は、
始め水平だったが、
あるとき宇宙が変化して、
現在の丸い形に変わった(とされる)。

球体ならば、傾斜しながら元にもどる。
循環しながら刺激と運動を生み続ける。

ビルボやフロドがそうしたように、
中つ国をなぞるなら袋小路から出ていけるよ、と、
ときにあらゆる言葉の、象徴の力を借りて、
促されているように感じることがある。