母を連れて、弟の結婚式に行ってきました。
これをずっと楽しみに待っていた母!
実家を改築していたので、おうちにしばらく帰ることも出来なかったけど、ずっと我慢できたのは、これがあったから・・・。
自分のせいで、結婚が無くなったらどうしようと、ずっと気をもんでいた母・・・。
結婚式に出られなくなるよ、と言えば、きついリハビリも応じていた母・・・。
そんなささやかな母のうれしいイベントごと・・・。
ささやかとはいえ、私にとってはかなり大変な出来事なんですが・・・。
まず、弟夫婦やおじさんたちは、この場合、それぞれが大変なので、頼ることは出来ない・・・もちろん私のおばあちゃんも・・・。
結果、これは私の仕事となる・・・。
実質、何日も前に幾度か時間や持って行くものの打ち合わせに施設に通い、ハンコをつき、許可をもらう。
いつもの服、と言うわけには行かないので、黒のワンピースをクリーニングに出してから持っていく。
同じく、アクセサリーやストッキング、などなど、必要と思われるその他のものを持っていき、一度フィットさせる。
合わないサイズのものは再度購入して持っていく。
母の場合、ブラジャーが合わなかったので、採寸をして購入して、再度合わせた・・・。
新郎の母がぼさぼさの頭と言うわけには行かないので、外出して、美容院へ連れて行く。
その上で、1週間前にヘナを、3日前にインデイゴをお風呂の1時間前に持参し、塗りこんで染めてあげる。(若返った・・・ほっ・・・(^^))
そして当日、着く早々、トイレへ直行して、化粧を施す・・・(後で、料理を食べて、口の周りなどをよく拭くので、ある意味どんどん無意味になる行動ではあるが・・・最初からノーメークと言うわけには行かなかった・・・・)。
少し会場に問題があって、そこは私もノーチェックだったんだけど・・・・式場からも、披露宴会場からもトイレが遠い上に、少し段差が激しい・・・身障者用のトイレは1階にしかなく、会場は4階と3階・・・・これは母にとって極めて厳しい条件だった。
実のところ、我慢しきれず、少し漏らしてしまった・・・。
ま、こんなこともあろうかと、実は、尿とりパッドを実は、クッションに敷いていたので、トイレで下着を替え、ワンピースを一度脱がせ、部分だけ軽く水洗いし、何枚も入れてもらっていたタオルでしっかり拭き取り、ほぼ乾かし、座る時には間に乾いたタオルを挟み込んで、気持ち悪くないようにして、再び会場へ戻った。
ここで、ふと思ったのは、やはり、ビネガーと重曹を持ってれば、この処理もずっと早く、楽だったろうと思ったことだ・・・・。
粗相と呼べるのは、その一度っきりで、後は和やかに時が流れ、母は、最期まで結婚式と披露宴を楽しんで、時間が来て施設のお迎えの車が来るまで、終始笑顔だった。
ほとんどの料理を口にし、美味しいと喜んでいた。
カロリー的には少々高かったとは思うのだけど、数日前に主治医には相談し、今日くらいは多めに見てもらうよう取り計らっていたので、最後のデザートやフルーツも味わい、コーヒーもミルクと砂糖を入れて味わった。
正直ね、私は小さな子供を連れたママの気分で、終始精神的にピリピリして、作り笑顔もすぐさま壊れそうな勢いだった・・・。
自分の料理はほとんど覚えていない・・・食べたのか残したのかさえ・・・・子供達は相方に任せて、その相方や子供達がどうしてたのかさえ、うつろにしか思い出せないほどだ・・・・。
けどね、1年とちょっと前、こんなことが出来るようになるとは、とても信じられなかったよ・・・・。
儚く死んでしまうのか、とさえ思った。
その母が、4時間にも渡るイベントごとを途中で遮ることなく、充分に愉しみ、意味を理解し、その場に応じた振る舞いが出来、少し手を貸せば、こんな風に出来るようになった。
さすがに疲れたらしく、帰った日は8時に就寝、次の日はお昼寝をして、またまた8時に就寝・・・と、小学生のようなサイクルでしたよ、と、施設の方から聞いた。
でも、とてもうれしそうで、幸せそうな笑顔で今もいるそうだ・・・。
県外から来る親類のことで、更に忙しくしていた私だけど、兎にも角にも、これで一つ肩の荷が下りた・・・・。