ナチュラルな暮らしの話(6/5)

バタバタとした中、西植○保育園に、ペットボトル石けん作りの講座に出掛ける。
久し振りに、若いお母さんと話したような気がする。
東京、大阪の講座でもそういう機会はあるけれど、なかなかゆっくりと・・・と言うわけにはいかない。

ボランテイアの線引きは難しい。
どこまで自分の持ち出しで、どこからがお金をもらってよいところなのかと言うところ・・・。
儲かるなんてことは決してないのだけど、今まで、ホント、CPPのメンバーって、手弁当でがんばってたな、と思う。
自分がやり始めて、色々なことに、対価を払うということの意味が実感として分かるようになってきた。
自腹を切るってのは、なかなか大変なことなんだよね。
でも、そういった積み重ねが、今では、交通費を出してもらったり、宿泊費を出してもらったりしてまで、是非とも話を聞きたい、と言う人たちに会う機会を設けてもらえるまでに成長しているのも事実。

「お金を払っても知りたい・聞きたい・やりたい」
そういう相手は、とても聞く体勢ができているので、講義もデモもしやすい。

いくらボランティアでも、集団や相手を選ぶと言うことは必要なんじゃないかと思う。
折角いろいろと話したり教えたりしても、身に付かない、実践にまったく結びつかない・・・・それでは、こちらが払った犠牲というか、ボランティアとしての部分はまるきり活かされない・・・・まさに、無駄なエネルギーの放出と言うことになってしまうのだもの・・・・。

香川は環境に関してはかなりな後進地域だから、やはり、私たちのやってるような講演会は人気がないような気がする(笑)だけど、子供を持つお母さん達は少し、熱心度が違うように思う。この香川であっても・・・。
守るべきものがあると、強いし、積極的になれる。

でも、私の力不足だね・・・・まったく、重曹なんかは浸透していなかった・・・。
合成洗剤バンバンなお話を伺う・・・・。
私にとってはそれは、散々な話。

今回、一番私にとって印象的だったのは、清潔に関する価値観だ。
スギナやヨモギを摘む・・・・と言う話の中で、園長先生が何より心配なのは「犬のフン」だったこと・・・。
とても汚いもののようにその単語を口にした・・・。

正直、そうだよな、数年前は私もそうだった・・・。
そんな、水で流して石鹸で洗えば落ちるようなものにピリピリしてたっけ・・・・。
実は、このへんのものって全然と言っていいくらい大したもんじゃない。
石鹸と重曹と、ビネガーに精油をちょっと足せば無理なく無駄なく、そしてほぼ安全にいくらでも対処できるものだから・・・。
私的には、本当に恐いのは、それを洗い流すのに使う市販の洗浄剤だったり、草にもかかってるかもしれない農薬や除草剤だったりするのだけど・・・・でもね、田んぼの草にかけてるものは、実は、その中にある畑の作物にもかかってるってことなんだよね・・・・。

こういう、目からウロコな事実を、本当に若いお母さん達にこそ理解してもらいたいのだ。

メンバーのらぎーさんは、私たちの体感できない微量の体に影響を及ぼすものをもさえ、キャッチできるアンテナを持っている。
個人として生きていくには確かに不自由で、手間隙かかる部分が多いのだと思う。
それは、私たちの想像をして余りある部分で、本当には分からないことに違いない。
けれど、彼女の子供や伴侶は、その彼女が排除して選んだものを手にし、身にまとい、口に運ぶ・・・・素晴らしくふるいにかけられたものに囲まれて暮らしているのだ。
レーダーを持つ人の話に耳を傾け、今ある環境を、もっともっと暮らしやすくグレードの高いものに変えていく努力をやっぱり惜しんではいけないね。
必要のない化学物質は速やかに退去して欲しい、退去させる為の努力をやっぱりこうして、コツコツと続けていくことが、今の私の精一杯なんだな。

ナチュクリ講座が続いているのも、ただの茶飲み会ではないからだと思う。

私は自発的な講師ではなく、多分、何かからそれをやるように指示された人間なんだと思うから・・・。
(重曹の神様かな・・・やっぱ・・・・?)
で、なければ、こんなに硬くなってた頭に知識を入れられるはずもないし、たくさんのメンバー達とも出会うこと、なかったんじゃないだろうか。
時折、話をしている途中や、フォーラムに書き込むとき、自分ではないものが話したり書いたような気がすることがある。
そういう時、誰かに動かされてる気配をチラと感じることがある。

よどむことなく重曹やエコについて話してるとき、それは、私の力じゃないものに憑かれてます・・・。
でも、心地いいんだけどね。

私という媒体を選んだ「それ」は、普段は大人しいんだけど・・・^_^;ねぇ・・・・・