モノとしての価値、モノの持つ価値(5/22)

ずっと欲しいものがあった。

ある、思い出があるものを、数年前、空き巣に盗まれてしまった。
まだ子供達が幼稚園だった頃のこと・・・。
白昼堂々、お迎えに行っている間にやられた。

どういうわけか、結構高い貴金属の入ったものはまるで気がつかなかったようなのだけど、(多分、散らかっていたし、子供のオモチャなんかがのっかってたりしてたからかもしれない)愛用していたそのアクセサリーは、うっかり洗面所に置いたままになっていて、他に置いてあったピアス類と一緒に、なくなっていた。

そもそも、ブランドにはあまりこだわりも、思い入れもなくて、それも、無くすまで、どこのどういうものなのかまるきり知らなかった。
おまけに、プレゼントしてもらったものだから、余計に、いくら位するものなのかも知らなかった・・。
それと同じシリーズのペンダントを友人が着けていて、聞いたから、どこのブランドのどういうシリーズの、そしていくらくらいの物、と言うことが分かったのだ。

とても愛用していたそれは、スターリングシルバーに金メッキを施したものであったけれど、しょっちゅう身に着けていたらば、すっかり金はとれてしまって、ただのシルバーになっていて・・・しかも、細工してある石の部分は床に落としたことがあって、一箇所、すこしかけているところがある代物だった。
それでも、とても気に入っていて、欠けてからのほうがつける回数が多かったくらいだった。だから、値段より、モノとしての思い入れがかなり深いもので・・・・もし、持ち去ったヒトが
「ちぇっ!欠けてる!」
なんて言って捨ててしまったり、たたきつけて壊したりしてたら、それは本当に悲しいことだとずっと思っていた。
彼らには貴金属としての価値しかないかもしれないけれど、私にとっては金額で計れない種類の価値のあるものだったから・・・。

もう、よほどのことがない限り、手元には戻ってこないと思っていたし、実は、問い合わせたけれど、既にそのシリーズは廃盤になっていて、(その時点で、廃盤になって10年以上が経っていたから・・・)海外にあるメーカー本店にも置いていないことも調査済み。

プレゼントしてくれた人にも申し訳なくて、考えないようにはしていたけれど、ふと、思い出したときは、かなり凹む出来事なんである・・・私にとっては。

それが、ひょんなことでオークションで見つける運びとなった。
まったく同じもの。
20年も前のものだから、オークションにかかること自体珍しいんだから・・・。
どうも、取れやすいらしく、金メッキはやはり剥がれていて、シルバーになっていた。
でも、さすがに未使用・・・傷や欠損はなく、(私から見れば)かなりな良品の状態で・・・・・。
すかさず、落札した。

数日が待ち遠しかったこと・・・。
何人かと鋭い落札合戦が続き、無事ゲット。

途中、用事で外出中も、携帯で対応する有様だ。(トイレの近いヒトだと思われたことだろう・・・或いは、腹具合が悪いんだね、と、同情されたのかしら?)
仕事は忙しいのに、いまひとつ、その1日ばかりは身が入らなくて・・・・。

届いたものを眺めながら・・・この子は出荷されるとき、盗られてしまったあの子と隣同士だったのかも・・・いやいや、お店で並んでいたのかも・・・なんて、想像力豊かな私は考える。
ある意味、まったく同じものではないけれど、値段でなく、装飾品としての価値ではなく、下さった方への思いと、私の思い出は、そっくりここに受け継がれている。
モノの持つ価値は、値段に比例するものではない、と確かに感じる。
同じ時期に作られ、出品者のところへ行ったまま、使われることなく20年も眠っていたのも、単なる偶然とは思えず、不可思議な縁に、驚きを覚える。
ワクワクドキドキしながら身に着け、鏡に映してみる。
久しぶりの手触り。
指に当たる凹凸の微細な感覚は以前、確かに知っていたものだ。
ほんの少し、キャッチの締まり具合が違っているけれど、使い込めば以前の力具合になっていくのだろう。

社会人になる記念に、と、頂いたものは、まだ若く、バカで浅はかで、でもなんだか純粋で生真面目で・・・それでいて、自信がなくて、芯になるものを求めていたあの頃の自分を思い出させる。
見る都度、身に着ける都度、初心を思い出させてくれるそれは、やはり、とっても大切なものだったのだと思い知らされる。

心にぽっかり空いた穴の一つを見ようとはしなかった私だけれど、今、少し埋まったみたい・・・。
たった一つだけど・・・。