さよなら花見会(3/25)

上の子の、クラスの子供と父兄が集まって、近所の公園でお花見がてら、さよなら会を開くこととなった。

生憎の雨・・・だったけれど・・・。

もとは、あまり行きたくないと思っていた。
丁度、下の子の他のスケジュールとも重なって、参加できない・・・と思ってたんだけど、A君のお父さんとは、実は幼馴染だったので、相談すると、息子を一緒に、先に連れて行ってくれることになった。
私は下の子の予定が終わり次第、後から駆けつけることにしました。
A君、ありがとうございました。
結果、行ってよかったかな。

いじめっ子の2人がいないし、酒癖がえらく悪いその子の父親も来ないので、私が駆けつけた頃、穏やかに皆、飲んだり食べたりしてました。
とても明るい酒の宴でした。
さすがに、まだ桜にはちょっぴり早かったんだけど、充分色々な花が咲いていて、綺麗でした。
途中で雨も上がり・・・・。

特定の人間がいないと、こうも、上の子の学年は落ち着いてるものなのか・・・と、改めてびっくり。
子供たちもいきいきしていて、どの子も明るい。
いつも借りてきた猫みたいだったのは、やはり、色々な影響を受けていたからなんだろうな。そう考えれば、なんてかわいそうだったのか・・・。
何年も何年も、ずーっと我慢していたんだね。
保育所から一緒な子だと、9年間(彼らの人生にとっては大半だよね・・・)も・・・か・・・・。

大人しいと思っていた子は、おしゃべりになってるし、いつも暗い表情だった子は、屈託なく大声ではしゃいだ笑い声で楽しそう。
「え?今の声○○クン?」とびっくりする。
みんな、本当はこんな子だったんだ・・・。
学校で見たことのない明るい雰囲気に、私は面食らった。
もちろん、うちの子も含めて・・・・。
男の子も女の子も、ためらいなく笑い、騒ぎ、おしゃべりをしている。
テレビの話やゲームの話、中学に行ったら何の部活をするのか・・・なんて・・・・ごく普通の話。
飽きると、雨の上がった公園へ飛び出して行く子・・・・。

大人は大人で、保護者同士、今までの色々な話や今後のことを話しつつも、私はずっと子供たちを観察してしまった。
それほど、本人たちが気付いてるかどうかは知らないけど、雰囲気が違う。
他の保護者も気付いてるのかな・・・?

「いじめ」の持つ意味は、大きい。

このクラスの大半の子供たちのキャラクターをすっかり押さえ込み、伸び伸びと振舞うことをさせず、自分たちだけが思うがままに振舞ってきていたのだね。
少しも楽しくないクラスにしてしまっていた。
こちらの子供たちが本当の姿なんだろう。

中学に行っても、その笑顔を忘れませんように。
自分の人生を自分のペースで、力強く歩いていけますように。

いじめっ子は、友達ができません。
いても、本当の友達じゃない。
いじめをやめて後に友達ができても、昔いじめた人たちのマイナスの念を本人が気付かずとも背負っています。
その陰は、実は、本人の人格を著しく貶めます。
そして、一生許されはしないのです。

源氏物語の葵上のように、生霊に殺される・・・・とまではなかなかいかないかも知れませんけど、たくさんの人間の憤りは、そういうひどいことをした(これからもするかもしれない)人間のところに溜まるんです。
やがて訪れる、ゆるやかな不幸に、そういう人間は気付かないんです。
他人との貴重な繋がりを、大切にもせず、自ら痛めつける人間は、寂しい人間になっていくのです。
普通に生きていても、意見の違いやそんなもので、多少は人の恨みを買うことは、ままあります。
それは望んでいるわけではなくても・・・・・。
けれど、自分のほうからそんな風に振舞う人間には、本人さえ気付かない不幸が包み込むものなのです。
途中で気付いて引き返すこともできるし、まだどうにでもなるけれど、取り返しが付かなくなることもあります。
もうすぐ、そんな時期です。
ちゃんと気付ける子供であればいいけれど、無理なのかもしれません。
親が教えていないから。

そんな不安も春はすっかり包み込んで、夕方には晴れ。
明日は朝から良いお天気のようです。