節目(3/9)

上の息子が、もうすぐ卒業。
楽しいことより、かなり苦しいことのほうが多かった小学校をようやく卒業する。
「バカみたいに楽しい子供時代」を過ごさせてあげられなかった情無い親の私。
この小学校でなくてもかまわない選択権を持ちながら、気軽にこちらを選んでしまった。
そのせいで、辛く悲しい状態に耐えなくてはならなかった上の息子。
償いと言うわけではないけれど、少なくとも、小学校と違って中学校は彼と一緒に考え、選んだ。
じっくりと選んだその学校は、今まで息子に足りなかったものを多分、与えてくれる場所だ。
地元の中学と違って、3月にも何度かの登校日もあって、息子は足取りも軽く中学校へ向かう。
それは、親の私から見ていても、小学校に向かう時とはまったく違って、とても、楽しそう。
まだ友達もできていないし、ただ勉強をするだけなのに・・・・中学校のクラスメイトとなるほかの子供たちは、めんどくさそうなのに・・・・うちの子だけは、実に楽しそうにそこへ向かう。

既に彼は小学校時代に足りなかったものを埋めつつあるのだろうと思う。

そして卒業に併せて、習い事の整理をしなくちゃならない月でもある。今、彼が習っているものは、学習塾とピアノと空手。
色々と話し合ったけれど、入学が近くなって、4月からの予定表や時間割がより具体的に示されるのを見るにつけ、それが分かってきた。
空手とピアノは無理、という結論に達する。
どちらも、家での練習が必要なもので、その時間を取れない。
スクールバスのバス停まで車で10分、スクールバスに乗って30分、7時間授業を受けてまた同じ時間をかけて家に戻ると、もう時間は6時になる。
部活もしたいと言っているので、どう考えても、続けることが不可能になってきたのだ。
土曜も授業はあるし、宿題もしないわけにはいかないし・・・・。
体はひとつしかなく、時間は24時間しかない。

息子が辛いとき、悲しいとき、もどかしいとき、その時々に、彼の力になってくれたものたちだ。
正しいことが通らず、歪められそうになった時、間違いなく、本当に正しいことを教えてくれ、彼の進む道を示してくれた空手と言う武道。
もがき苦しむ息子は、その確かな手ごたえで、自分を手放さずに済んだ。
苦しくても、前進を選べたのは、学校や家だけではない別の世界を彼が持っていたお陰だった。
時折、その違う世界で自分を癒しながら、なんとか持ち直したのだから・・・。
音楽はまた、彼のしぼみそうになる心に寄り添い、優しく包んでくれていたのだろう。
ピアノを弾くとき、彼はうれしそうだった。
一瞬は、私でさえも彼の敵であったのだと思うから・・。
もう、そんなバカなことは繰り返さないけど。
誰より、家族や、子供の言う事に耳を傾け、それから周囲の意見を聞くことに決めた。
仮に第三者的に見れば、こちらが間違っているとしても、身近な人間がどんな風に感じ、どんな風に傷ついているのかという事実のほうが、大切である、と、嫌というほど学んだ。
しかも、言い訳をする人間ほどたくさん嘘をつく。
誤魔化すために、辻褄を合わせるために、大の大人が姑息な方法を使い、口先三寸で逃げようとする。
保身しか考えない人間の本性を剥き出しで見せつけられたことは、とても空しく、私にとっても嫌な経験だ。
学校や教師と相対するとき、そういうものであるという認識を持って接さなければ、適当にあしらわれるか、敵対するかになってしまうのだ。
あしらい方も、突っぱね方もあちらは実に良く知っているし、何か事が起こったとき、こちらは丸腰というのでは不利だ。
個人個人が悪い人でなくても、組織に組み込まれた途端、個人としてのキャラクターよりも、そちらのほうが重要になる場合もある。
だから、そこのところを、きちんと理解しておくことが大切なのだと思う。
一瞬でも、息子ではなく、その時の教師の言ったことを丸々信じた私は、本当にバカだった。
後悔しても仕切れない・・・後の祭りとはこういうことなのだ。
その時に開いてしまった息子との距離は、とても広くて、少しずつしか埋まらなくて、今もまだ、少し空いている。
でも、無理に埋める事もしない。
必要だから開いてる距離もあるのだ。
いきなり埋めるような、偽装住宅のような工事をしても、不安定なものしか出来上がらない。
ゆっくりゆっくり、それでいいと、秋くらいから自然にそう思えるようになった。
息子も、真実は頭では分かっていても感情がまだついていけない・・・そんな感じなのだ。
急がなくていい・・・本当にゆっくりやり直そう。
今度は時間がたくさんあるんだから。
お互い傷だらけで、相方も下の息子もやっぱり傷だらけで・・・・大変だったよ、実際。
でも、やっぱり仲良し家族でいられる今が何よりうれしいよね。

いろいろな辛いことを乗り越えさせてくれた、心から彼が「先生」と呼べる方々との触れ合いの中で、彼は目に見えるほど、成長をした。
毎日通っている学校で得るべき信頼やそんなものを、彼は外で知ることになった。

怯えた目をして、不安そうな顔をしていた彼はもういなくて、はっきりと、目を見て話す彼にいつの間にか戻っていた。

「師範代、お世話になりました。中学に行くので、3月いっぱいで空手、やめます」

大きな声でそう言った彼の姿は、何かがあったなんて考えられないほどすがすがしくて、さっぱりした健康的な子供の姿だった。

「おう、そうか、残念やな。中学行ってもしっかりやれよ。いつでも、戻ってこいよ!」

「押忍!」

力強く返事し、本当の稽古が始まるまで、周りの子供と技をかけ合いながら、じゃれて楽しそうな息子の姿は屈託が無い。
この友人たちにも助けられていたに違いないのだ。
もう、私なんかのハラハラするような心配は要らなくて、小さな子供じゃなくて、何でも自分でやれる自信に満ち溢れた息子がいた。
稽古が済み、道着を直し、正座をし、しばし瞑想する息子の考えてることは分からないけれど、その姿は周囲の子供と同様、微動だにしない。(小さな子供がゴゾゴゾしてるのはしょうがないけどね・・・)
目を開けていても瞑っていても、見える真実に迷いは無いのだろう。
人より辛い思いをした分、何かを学び取ったのだと思いたい。

自分で歩き始めた彼の出鼻をくじかないよう、母も子離れしなくっちゃ。