この間、久々に友達と話しをした、ということを書いたけれど、そういう、冗談みたいな、「死語」の話ばかりしていた訳じゃなくて(笑)、結構、稚拙ながらも深刻な話もしていたのです。
まあ、一番の奇跡と言うのは、私が結婚したこと、に他ならないのだけど・・・。
よくも、そんなことしたよね、なんて友人は笑う。
まったく、そう!反論の余地なんてないの!
多分、仲間の中で一番向いてないヤツだっただろうね。
我儘で、我が強くて、色気はないし、大食らいだし、やりたい事を片っ端から、せき止められてたダムが突然開放したかのように手当たり次第始めていたし。
どこをとっても、まるっきり結婚には向いてなかったんだもの・・・・。
群れるより孤高を保て、ってのは、別に家訓じゃないけど、うちの家族になんとなく浸透していたポリシーだった。
自分さえ良ければそれでいいじゃない、と言うのとは少し違う。自分が幸せでいようと思えば、自分の周囲の人もある程度は幸せでいてくれないと、幸せはキープできない。
イギリスのショートストーリーだったと思うのだけど・・。
人の不幸を招けば、いずれお鉢は自分に回ってくると言うニュアンスの話を学生時代に読んだ。
金持ちの女の子が、リンゴを食べようとしたら腐っていたので、汽車の窓から何気にぽいっと捨てた。
そのリンゴが当って、小さな男の子が死んだ。
男の子の父親は庭師で、約束していた仕事に、息子が亡くなったので葬式で行けなくなった。
切るはずだった木の枝を切らずにいると、その枝は腐っていて、知らずに登った女の子が枝ごと落ちて死んだ。
その女の子はまさに、リンゴを投げた女の子だった・・。
割愛するとそんな話だったと思う。
もしかしたら細かなところは違っていたかもしれない。
要するに、人の関わりは、自分では計り知れなくて、知らず知らず誰かに影響を与えていたり、傷付けたり、本当に殺してしまうと言うこともありえると言う話なのだ。
誰も悪気がなくても、事件は起こるし、悲しい結果を招くこともある・・・。
どんなに嫌いなそりの合わない人であったとしても、出会ってしまったと言うことは、縁があるのだと認めざるを得ないし、付き合わなくてはならない状況になればそれも仕方が無い。
私の人生に「結婚」っていうのは実はどうでも良かったことなんだけど、一時家族からどう考えてんの???と責められ、ちょっとストレスが溜まっていた時期もあった。
周り中が結婚し始めたからね・・・・両親も孫を抱いてみたりしたかったんだと思う。
ないものねだりってヤツだね・・・^_^;
「シャツを選ぶより気楽に相手を選んで結婚してる人が多い」と、ある小説の中で読んで・・・そうだよなあ・・・なんてちょっとドキッとした。
適齢期なんていう単語のせいで、確かに、そんな人もいる・・・。
でも、シャツよりは真剣に選びたいし、どうしても現れなければ、独身も仕方ないや、なんて思ってもいた。
そもそも、この我儘でキツイ自分の性格からして、そういうのに耐えられる人はきっと少ないだろうと思っていたし・・・。
一人がかなりスキなので、べたべたされるとやってられないしな・・・なんて、取らぬ狸の皮算用までしていた私だったから、結婚したなんて事は、自分の意思ではなく、何かに仕組まれていたことなんじゃないんだろうかと思う・・・。
それほど、運命と言うか、縁と言うか・・・そういうものは自分でコントロールできるもんではないと思うのだ。
良きにつけ悪しきにつけ・・・・。
偶然を装いながら、確実に割り振られた自分の役割を与えられているとしか思えない瞬間がよくある。
私にとって、結婚もそう。
あまり現実的な話ではなかったから・・・・。
まあ、結婚は100歩譲って自分で決めたことだとしても、親を選べたわけでもないし、ましてや、自分の子供を選ぶなんて事は出来やしない。
自分で産んだにも関わらず、子供の未来において、自分が決めてあげられる事など、実はひとつもないことに、愕然とするよね、って話を延々していた。
こうして、友人と話せることだって、実はかなり贅沢なことだ。
1つでも、自分がやりたいと思ってできることがあると言うことは、とても幸せなことなんだよね。
最近、いじめやそんなことが原因で自殺をしたり、教師が問題を起こしていたり・・・・挙句に必修科目を教えていないなんてこと・・・・義務さえ果たせない大人達がニュースに上げられている。
ゆとり教育でゆとりが無くなった?だから授業数を減らしてみました?
なぜ、そんな小手先で誤魔化そうとするのか?
週休2日制が無理なら無理と教師はちゃんと現場の声をなぜ文科省に正面から言わなかったのか?
職務怠慢だ。
その怠慢のせいで、迷惑を被る子供がたくさんできてしまった。
「子供は悪くない」そんなことも言っているけど、じゃあまったく悪くないのか?
教科書を買わされたのに、教えてもらえない矛盾を解決する術を知らない無知からくるものだ。
無知は犯罪ではないけれど、本来自分の責任でもあるのだ。
単位と言うものをきちんと教えてない日本の教育のずさんさが徐に顔を出した。
私だって、高校の時なら「単位?はあ?」っていうリアクションだったと思うんだよね。
そう仕向けたのは大人達でも、責任は自分が取らなきゃいけないんだものね・・・・。
単位制っていうなら、大学のように最初から提示すべきだ。
必修は何と何、選択は何と何・・・・教えてないこと、生徒が納得できてないこと、それを放っておくことを職務怠慢と言うのだ。
分かってんのかな?
私の学校は違ってたから関係ないわよ~るるる~と言っている教師も随分たくさん全国にいることだろう。
でもね、問題を起こしたのは、紛れも無く、あなた達の仲間で、その世界に属している人たちなのだよ。
同じカラーで見られて、蔑まれていることに気付かないのかな?恥知らず、と思われてるのにね。
世間の人たちの目は、今そちらに向いている。
「教師ふぜいが!」と怒ってる叔父様や叔母様、そして私も・・・・。
「教師」という職業に疑問を問いかけ、実際に現場にいるあなた達を見つめているのですよ、というような話。
正直、この話、まともじゃない、と思うのです。
世間知らずで浮世離れした「センセイ」という存在はじつは必要ないんじゃないの?
なんて過激にも思います。
子供を持ってる親で、この事件に関心がなかったり、教師や学校に不信感を抱かない保護者がいるだろうか?
必要なのは、子供より前に立って進める毅然とした大人・・・・ちゃんとした人間でないといけないんじゃないの?
ただ、卒業したらもらえる教員免許って言う薄っぺらなライセンスなんかじゃなくてさ。
その薄っぺらなライセンスなら、こんな私でも持ってる胡散臭いものなんだよ。
その気にさえなれば、高校生だって、中学生だって私は教えることができるんだよね。
変な話だよ・・・・向いてないのに・・・・。
大学のクラスメイト、大半が持ってるという事実もある。
実際に使ってる人は少ないけどさ・・・。
私の実体験から行くと、子供の通っていた幼稚園の保育士さん・・・・20歳そこそこの人たちに負けてる30代40代の教師、小学校にいっぱいいました。
プロ意識まるでなし!
私の子供時代も今も・・・教師というカテゴリーの中にそれはたくさん・・・。
情けない・・・自分で考えて動くこともできないとはね。
これ、普通の会社だったらみんなクビじゃないの?
校長や教頭が責任取ればあとはいいわけ?
それこそおかしいよね。
未履修の責任は生徒に、自分達の責任も全部人に押し付けてさ・・・。
お給料当分半分にされたって文句言えないでしょう?
仕事してなかったんだからさ。
それでも、給料もボーナスも自治体からがっぽりもらおうと言うわけ?
どの面下げて?
そういうの、恥知らず、と言います・・・一般社会では。
義務を怠り、権利だけ主張する人のことです。
教師を含め、公務員は、定年と同時にボケる人が多いと言う話も聞くけど・・・脳の回路が少なすぎるからじゃないの?
仕事がなくなると同時に、その回路、閉じちゃってるんだよね、と、友達と話していると、自分でも名言かもね、なんて、思ってしまう。
多分、当らずとも遠からじ・・・そんな気がする。
私の思考はたまにこうしてシニカルに働くけれど、まだまだ人類ってヤツは、自分の出した汚物を自分で処理できない未熟な生き物なんだな。
フィジカルにも、メンタルにも・・・・。
もちろん、私も含めて。
だから、ベクトルはいつも前向きだ。
後ろや横に向ける余裕なんて無いよね(笑)
友人もそこはすっかり共感するって話だから、きっと、子持ちの大人は、多かれ少なかれ、怒ってるのだよね。
人の出した汚物も、自分の出した汚物もいつかはキレイにできる手段を見つけるためには、社会構造さえそのうち変えなくちゃならないだろう。
そう遠くない未来にね・・・・・多分・・・・。
そうでなくては、私の周囲はいつも汚いままで、幸せからは程遠くなってしまうものね。
私はハッピーでいたいのです。
これ以上、周囲の空気、汚さないで欲しいなあ、と、心から思います。
大して長くない、ヒトの一生、どうせなら楽しく、有意義にすごしたいじゃないですか?
そうじゃないヒトがあの職業なんだよ、と友人。
あ、そうですか、と私納得。
お後がよろしいようで・・・。