6月26日(月)私たちに巻き付いているのは

今、何時? と聞かれて、
ごそごそ携帯を取り出すタイプだ。

何の話かというと、
つまり腕時計をいつもしているかどうか、
ということです。

類友だろうか、
周囲にも時間を聞かれて即答できる人は少ない。
だいたい皆、おもむろに携帯を開こうとする。

腕時計の世界には、宝石付きの超豪華なデザインや、
親子代々譲り受ける高級アンティーク扱いのブランドなどが、
相変わらずいくつもひしめいているが、果たして、
マーケットそのものは順調に拡大しているのかな、と思う。

おのれの時間を管理するツールを身につけ、
社会の要請に合わせてキチキチと動ける人。
やがてツールそのものが個人の好みや収入の程度を、
あからさまに知らしめるシンボルとなり。

野生の鹿がじっとこちらを見つめている。
ロス郊外のナショナルパーク。
夕暮れが近づいて、一人が口に出す。
今何時? 

乾いた草の波と土、
ところどころに灌木のある丘陵地帯に、
液晶画面の数字を読み上げる人間たちがいる。

ナニ シテル ノ?

風に乗せ、鹿に答えを返す。

何、してるんでしょう。
意味ないよね、本当は。

アンティークであろうと、デジタル情報であろうと、
時計的な縛りは私たちにしっかり巻き付いている。

規則正しい目盛で全てをなべる、
近代的時間感覚。
光輝の一瞬と、蒙昧の長き遅滞を、
ただ「時間量」で評価する。

本人が楽しんでいるかどうかで、
時間量の伸び縮みしちゃう時計、
だれか発明しないかなあ。

そうすれば、きっと、
ドライなつもりで時間を切り売りする近代労働者的発想も、
そのうちポトンと取れるのに。