5分の距離

母を施設に預けるのは、私の体を格段に楽にしてくれた。

今も、週に1度、母をリハビリに連れ出しに行っているけれど・・・ほんの車で5分の距離は思ったより遠い。

最初の1ヶ月は、施設の方も、母も、私もまったく具合が分からないので、しょっちゅう電話がかかってきたり、こちらから再度電話を返したり・・・・。

医療的なことだったり日常的なことだったり・・・様々だけど・・・。
人に委託するということは、こうまで大変な事なのか・・・と思った。
途中、あまりに面倒くさくて、もう、いっそ私が看ようか・・・と思うほどだった。

溜まりに溜まった仕事に(職場も家の中も)埋もれて、生き埋めのごとくアップアップしている時に、更に追い討ちをかけるような出来事の数々は、実際に母を看ていた時より、私の時間と余裕を奪い、食事もろくろく作れない有様だった。
情けない事に、一人暮らしの男の人よりも汚い家の中で、ものやゴミに場所を取られ、やりたいことさえできなくなっていた。
上手くやれる人もいるだろう、でも私にはとてもずっと続けていけるような労働ではなかった。
体の不自由な、危険を認知できない人間をずっと看続けると言うことは、すなわち、自分のことはほとんど何もできませんよ、ということに他ならない。
全て、そちら側のペースで進み、自分のペースでは進まず、終わりがない・・・・。
ストレスが溜まっていっても、疲労が溜まっていっても、休む暇も、発散する暇もない。
外との付き合いは最小限に遮断され、狭い世界に放り込まれ、苦しいと感じても、どうすることもできない。
誰かの手を借りられるということは、本当に必要で、大切で、ありがたいことだと思い知った。

私は、一人では、母を動かす事さえできなかったのだから・・・。

そして、疲れを癒したり、仕事をやっつけたりするうちに、気になりながらも、5分の距離に甘えて、ほったらかしておいた事があった。
母の頭皮だった。

若い頃から大変なフケ症で、シャンプーを変えたり、怪しい薬の入ったものでトリートメントしたりしていた。

わたしがナチュクリを取り入れ、相方のフケが治ってもなお、わたしの言う事はほとんど聞かなかった。
娘の言う事なんて、母親は一番聞かないものなのかも知れないけど、そういう人だった。
つききりで、面倒を見ていた間は、わたしのやり方に従わざるを得ないので、石けんシャンプーや、ハーブエキスシャンプーをずっと母に施していた。

すると、フケはすっかり収まって、健康な頭皮になっていった。

ところが、施設は、リンスインシャンプーを使っており、ボデイソープも安物のあの手合いのものだった・・・。

あっという間にフケは以前にも増して出始め、髪の触れる耳や首の皮膚までがめくれはじめた・・・・。

わたしはどうやればよいか、モチロン知っていたわけなんだけれど、「ごめんね」と思いながら、そのケアをできずにいた。
自分の生活を立て直すのに、精一杯で、細かな気配りをまったくせずにいた。

ヘナのなかに薬効成分のあるドライハーブを混ぜ込み、皮膚を整える精油も適量垂らし、オイルも入れて、しっとりとさせれば、数回でかなりよくなること・・・充分に知っていながら、5分の距離を、縮めることはしなかった。
月に1度それをしておけば、お湯洗いだけで、頭皮も臭くならないし、なにより、本人もスタッフ達も手がかからずラクチンな方法だというのに・・・・。

でも、とうとう、最終警告が発せられた。
「頭皮の状態がひどいので、皮膚科医でお薬を頂きますがよろしいですか?」
わたしの答え「それはダメです!それだけは止めてください!」

この状態は、恐らく使うのはステロイド・・・・使うと確かにすぐに良くなるけれど、今度、その薬を体から「抜く」のは大変な事なんだから・・・・。
下の息子の時に嫌と言うほど思い知った・・・・なのに、またそんな事を繰返しているんじゃ、お猿さんより知恵が足りない・・ってことになってしまう。
第一、そんなことしなくても、わたしがケアしていた間は全然問題がなかったんだから、元に戻せばいいだけだ・・・。

と、言うわけで、夜にヘナを練って、朝、精油やその他もろもろを足して更に練って、それを持って、お風呂まであと2時間という母のもとへ・・・。
頭にヘナを塗り、ラップを巻いて、あとはスタッフに「お湯で流すだけですから」と、指示を与え、施設を後にする。

数時間後、こっそり観察に・・・ま・オレンジの頭の母を発見。
これじゃ、ちょっとなんだな・・・派手すぎるかな、と思うので、今度のお風呂の前にはインディゴを練って行こう・・・。
一度にできないのが、施設の面倒くさいところだけど、その間に、ヘナはよく定着するだろうから、インディゴの定着もいいに違いない。

ものの5分、道具を持って、母に塗りつけるまでほんの10分・・・でも、それが今まではできなかった事。

近くて遠い、そんな距離だったのかもしれない。