「あんたんちって、いつも何かしらあるのね、うちはなんもないわ~」
って、友人。
うちも、別になんもないし、あまりあって欲しくない。
どちらかっちゃ、のんべんだらりと、まったりと毎日を過ごしたいのだ。
多分、生まれる時代を少々間違えたので、今の時代のスピードになかなか追いつけないでいる。
でも、そのお陰で、新幹線のスピードでは見つけられなかった数々のお宝を拾い上げてるのかもしれない。
以前は、猪突猛進に、前しか見てなかったし、スピードは早ければ早いほど良いような気がして、とにかく、先が見てみたくて、とってもとばしていた・・・・ような気がする。
でも、もともと、時代の最先端なんかを走れる逸材ではなかったので、息切れしてきた。言うなれば、リッターカーでF1レースに参加してるようなもの・・・。
だから、20代の半ばから、体の不調があまりにも多かった。
しょっちゅう、体も精神的にも不安定で、どちらもばしっと決まる事がなかったように思う・・・。
企画書なんか出しても自信がなかったし、ようやく通った企画をやり遂げられるか不安で眠れなかったり・・・。
いざ、仕事を始めると、根を詰めすぎて、寝込んでしまったり・・・。
昔の自分は外側ばかり飾ったり、固めることに力を注ぎ、内面や食べ物といった、内側を磨くことをせずにいた。
足元が固まってなかったんだね。
何も知らない愚か者だった。
まあ・・・・それは今もあまり変わってなくて(笑)、やっぱり「愚か者」なんだけどね。これは、一生そうなんだろうな。しょうがないなあ、私・・・。
でも、昔の私と違うのは「愚か」な自分が大好きになったこと。
知らないことや分からない事に出会って、「知りません、分かりません」と素直に言えるようになった。
恥部も自分の中にある、と分かって認めた。
完全な母や、妻には所詮なれないと悟れたことが一番かもしれない。
「愚か」で「賢くない」ので、もう、何でも勉強するしかないわけで・・・・。
カッコつけてる暇はない・・・それほど「愚か者」なんだから!!!
「愚か」を悟ると、人の「愚かさ」もクリアに見えてくる。
具にもつかないプライドや意地を張っている人たちが累累と溜まっている場所がどれほどたくさんあるだろう。
それが分かると、つまらない世界にへこへこしてるのがばかばかしくなる。
「愚か」な私は、「つまらない」世界で「愚かでつまらない」人間になりたくないので、「愚か」な私が楽しく生きていける「生き良い」世界を見つけたいと思った。
私の生活には、いつも何かあるのじゃなく、もともとあったものを発見する。
偶然じゃなく、意識して・・・・。
すると、楽しくなる。生活も、家事も・・・・。
楽しもうと思ったら、きっと変なカッコつけてちゃだめなんだな。
虚勢は虚勢でしかなく、中身のない人間はいつか化けの皮がはがれる。
まがい物を詰め込んでも、本当の生きる糧にはならないのだから・・・。
張子の虎に、綿を詰めても、動かないし吼えたりは出来ないのだ。
空っぽだってことが分かったので、今、私はせっせと中身を詰め始めたところ。
差し詰め、ピノッキオかな・・・?人間になりたい・・・あれ、それは妖怪人間ベム???(笑)
最近、他人の行動が、本当に気にならなくなって(八つ当たりされたらそりゃ気分悪いよ!普通には・・・)そんなことより、自分のやりたい事や、守りたいものを大切にしていこうと、基盤を固めた。
他人に好かれていようと、嫌われていようと、それは、よく考えたら、そっちの問題。
私がどうしようと、判断するのは他人。
万事休す、どうしようもないわけだ。
逆に、こちらも、好き嫌い、合う合わない、という人が出来てくるわけで、それがこっちの問題。
嫌いな人や、合わない人には距離とって、大人な付き合いをしていけばいいだけ・・・。
側にきたら、追っ払うし、煙に巻く。
と、大概これが出来ないから、揉め事は起こるけど、なんだかこの部分、クリアできたみたい。
ぴしっと線を引くことが今まで出来なかったから不安定だったけど、もう、どうでもよくなっちゃって、一人で元気に生きている。
ポリシーは曲げないで、自分らしく生きていけるようになって、色々な意味でほっとしている。
「どうしよう」がなくなってしまった。(分かんない事はさっさと聞いちゃうからね・・・・)
好きなものは好き、人が決めることじゃない。
ナチュクリを始めて、なんでそんなことしてるの?ってもし、誰かに聞かれたら・・・
「楽しいから」
その一言でThat’s all right!
分かる人には分かる。
それでいい、それでいい!