不審者情報

不意に、携帯が鳴ってびっくりする。
メール着信の音だ。

また、不審者情報・・・。
小さな校区内なのに、なんて多い事か・・・。
正直うんざりだ。

子供のお迎えは徐々に必須になっていき、楽しい道草を子供達から奪う・・・。
草にかぶれたり、虫にちょっと刺されたり、痛かったり痒かったり・・というデメリットはもちろん甘んじて受けなきゃならないけれど。
でも、草の種を集めておじゃみにしたり、花を摘んで冠や首飾りを作ったり、そんな自然の恵みをごく普通に受けていた。
カエルやザリガニ釣り、タニシとり・・・ポケットが空だったことが無かったくらい、毎日いろんな宝物で溢れていた。
私が味わった楽しさを子供たちは知らずに大きくなろうとしている。
うちの子供だけではなく、近所の子供達も・・・。

つい先日、草笛を吹く私を子供達がギョッとして振り返る。
振り返ったのは、うちの子供だけじゃなかった。

「おばちゃんすごーい!」
「教えて、教えて!!!」
「どうやったん?どうやったん?」

「えええ?○○ちゃんの、お父さんとは同級生やったけど、おばちゃんよりずっと草笛ふくの上手かったよ?お父さんに教えてもらったらええのに・・・?」

「お父さんがそんなんしとるん、見たこと無い。そうなん?お父さん吹けるん?」

「絶対できるはずやよー!聞いてみ?」

そしてその子は、私たちと別れて帰っていった。子供に伝えるべき、自然との関わりあい方を、私も子供に教えていない事を痛感した。

そもそも自然は人に悪さなんてしない。
人が自然に逆らわずに、しなやかに、なだらかに寄り添ってさえいれば、命を奪ったり、生存を危うくする事なんて無い。

事故は、人間が自然を蹂躙し、決定的な自然の法則を無視した時のみ起こる事を、私は昔、体で知っていた。

「危険」という立て札なしでも、この辺は、私の背より高い草が茂っているから進んでいってはいけないとか、足元が湿っている時は、近くに池か川、それとも沼があるから蛇もいる可能性があるから遊んではいけない・・・なんてことを、反射的に知っていた。
草も、名前なんて知らなくても、これは皮膚が切れる、これはかぶれる、これは臭い臭いがつく・・・・そんな風に区別して、自分に害のある草をより分けて、遊ぶことが出来ていた。
子供同士で、また、おじいちゃんの知恵と経験を教えてもらう事で、大人の目も届かないところでも、私たちは安全に、楽しく自然と遊ばせてもらっていた。
そんな私たちに、やっぱり自然は懐深く遊ばせてくれて、私たちがルールを逸脱しようとすると、ちっちゃなしっぺを食らわし、それ以上はダメと教えてくれた。
今でも、私のひざ小僧や、ひじ、そんなところにちっちゃなそのしっぺの跡が残っている。

木登りの得意な私は、木の実を取ったり、草の種類を良く知ってる幼馴染は進行する道を選び、ナイフの上手い子は草や竹を上手に切って、釣りの上手な子は川の構造を教えてくれて、そこより向こうは深いから行ってはいけないと指示をくれた。
皆が得意な事を、それぞれに自然の中で普通に披露して、普通に関わっていた。

自分の子供が木に登れないことに愕然とし、たかだか一枝登ろうとして落ちるのを見た。
柿の木は枝がポキンと折れるから、木登りには向かない・・・そんなことも知らない・・・。
木を見ただけで、ここに足、あそこに手を、そして・・・と、本能的にあっという間に木登りのイメージのできる私を母に持ちながら、なんという体たらく!!”!!
さすがに、これはヤバイと思った・・・。

野生児のんちゃんは、これから、子供のサバイバル教育に熱心になろうと思いました。(これは・・・教育ママになるぞー!!)

なのに、都会から来た子供は、そんなうちの子供でさえ、虫を取るのが上手いとか言って感心する・・・。

不審者の方が、自然より恐い世の中になって、子供は自然とも遊べない・・・。
本当に変な世の中になってしまった・・・。
親じゃなく、先輩に教わるものだった自然の摂理・・・・。
どこで途切れたかは定かじゃないけど、もう一度、つなげられる事からはじめてみたい・・・。

でも、この不審者の多さはそろそろいい加減にしてくれないかな・・・?