地獄な訳・・・・

介護が地獄・・・と言われるのには、理由がある。

例えば、介護を受けるほとんどの人が高齢者。
介護をする方も、ほとんど高齢者。自分の体力も怪しい状況なのに、相方の面倒を見るのはそれは骨の折れる事だと思う。
よく、病院に預けたら預けっぱなし・・・・と言われるが、本当は半数以上は、通いたくても自分では無理と言う事なのではないかと想像できる。
オムツを替えたり、体を拭いたり、ご飯を食べさせたり、薬を間違いなく飲ませたり・・・・それ、あなたがやるのよ、なんて言われてすぐになじめるだろうか・・・?
ましてや、高齢になって・・・・?
動かない人間を動かすのは、かなり私の年齢でも厳しかった・・・。
ほんの少し、たった20センチずらすだけなのに、じんわり汗をかくほどだった・・・。
上手く動かない手を使って食事を摂ると言うことは、食べ物を撒き散らすという事・・・いくら防水のエプロンをしていても、それを次の食事までに洗っておかなくてはならないということだ。
無論手も汚れる、服さえ、たった1度の食事ですっかり着替えさせなくてはならないこともあるのだ。
大人と言えど、オムツをすればオムツかぶれもする、床ずれもする、お風呂に入れない時は、体も拭かなくてはならない・・・・。
糞尿をきれいにするのは当たり前で、かぶれたところには薬を塗ったり、特別なケアも必要になる。

食べれば口の中も汚れ、歯磨きやうがい、入れ歯があればその清掃も自分の仕事となる。

母の24時間介護を体験して分かったことは、こういう、時間的、体力的なことがあまりにハードだと言う事・・・。
この上で、母はまだ、そうわがままでもないし、リハビリもやるし、食べ物の好き嫌いはほとんど無い、扱いよいところのある患者だったけれど、その部分がわがままな人もいると思う。
むしろ、病気になったからわがままになってしまう場合もあると思う・・・。

その上で・・・・精神的にかなりきつい事もでてくる・・・。それは、「拘束」。

病気で、体の自由を奪われた患者を、安全のため、さらに拘束する場合は多々ある。
そして、母のように自分の判断能力があいまいな人間の場合、その判断は家族にゆだねられる・・・。
私は母の拘束okにサインをした。

色々なサインを立て続けに求められる状況の中、その書類にもサインをしたのだ。

母は、ほんのしばらくの間だったけれど、体を固定されたり、動けなくされた時期があった。
私が看られないから仕方ないのだけれど・・・・こういう事実は、家族の心にダメージを与える。
他に選択肢はないと分かっていても、それでも、「仕方ない・・・」とはなかなか納得できないものだ・・・。

今は、母を縛るのではなく、ベッドの柵を縛ると言うのにサインをした。
母本人を拘束するわけではないことに、かなりな安堵感があった。
少し抵抗はあるけれど、それでも雲泥の差がある。

また、施設に入れるかそうでないかの判断を下すのも家族の話し合いによるところが大きい。
分かりきっている事なのだ、患者が本当は家に帰りたいなんてことは・・・。
でも、それを、無視しなくてはならない場合も当然でてくる。
うちの場合は、母の糖尿病。
インシュリンまで打たなくてはならない、かなり重い状態の病気をもってしまった場合、その負担を軽々とこなす事は難しい。
3食、カロリー計算をした食事、食べやすいように一口大に切ったおかず、その上で食前のインシュリン注射・・・。
これを全て私がやると言うのは・・・・出来ない事は無いだろう。
でも、母の命の続く限り、ずっと手を抜かずにしなくてはならないと考えると、やれる自信は無い。
慣れれば大丈夫よ、という人もいるが、私は母のほかに、家族がいるのだ。
子供や夫・・・・そして仕事もある・・・。
かかりきりになればやれない事も無いだろうが、やはり無理だ。
終始目の離せない母と、食事と日々の世話・・・・注射まで・・・・。

今は病院で、食事の支度も、使いやすい広いトイレやお風呂もあるが、自宅にそんな便利なものは無い。
そして、何かあったときのナースコールも・・・・。
病院の送り迎えやそんなことも全部やらなくてはならなくなるとき、やはり不可能だと考えてしまう。

ロングステイ、週末帰宅、それが今の私の精一杯な事に気づかされる。
偉そうにしてても、私の力なんてそんなものなのだ、と自分の力の無さに悲しくなる・・・。
こうやって、精神面は痛めつけられる。
色々なものの板ばさみになって、心はすごく痛むのに、その痛みを癒す時間ってないものだ。
次から次から片付けなくてはならなくて、そんなのは後になる。
自分で自分を癒す暇も無くなる・・・だから地獄なのだ。

誰かの体と命を預かると、責任と、その重圧とで、こんな風にみんななっているのだと思う。
どんな無理な事も、受け入れざるを得ない状況・・・。
じんわりと悲しみや辛さで自分が締め付けられていく窮屈さ・・・。
ホント、地獄だなと思う。

介護は、ある意味では幸せからは程遠いところにある世界だ。
はっきり言えば、不幸以外のなにものでもない。

される側もする側も・・・決して望んでそうなったわけではないから、受け入れるまで、相当な時間がかかることもあるだろう。
自分達の描いている「幸せ」のなかに、決して「介護」を入れてる人はいないだろう。
むしろ、分かってても避けている事の方が多いと思う。
それほどまでに生活の中で、忌み嫌われてさえいるものなのだ。