遠くて近くて

今、時間が足りなくて・・・・。
正直、1日48時間でも足りないんじゃないかと思う。

でも、泣いても笑っても24時間しかないわけで・・・結果、優先順位を後にされたものはどんどん溜まっていく・・・。
それがまた、ひとつのストレスになって私に襲い掛かる・・・・。

今、一番欲しいのは、家族とゆっくり過ごす事と、夜、普通にベッドで眠る事・・・。
そんな当たり前が今は私の手元から滑り落ちてしまっている。
必然的に、手のかかった料理や、友人とのやり取りも途絶えがち・・・。
本も読めていないし、新聞も読み流すのさえ深夜になることさえある・・・。
情報にも飢えている・・・。

今生活している場所と、ちょっと前まで生活をしていた場所は、ほんの15分しか離れていないのに、この有様だ。
思えば贅沢な時間を過ごしていたんだと、こういうことになって改めて思う。
自分で何かを決められる幸せ、自分で忙しくもヒマにも出来る幸せ、誰かと何かを語る時間をもてる幸せ、好きなものを好きな時に作って食べられる幸せ・・・なんとたくさんの幸せに囲まれていた事でしょう。

今、ほんの少ししか離れてない場所で、ほんの少ししか経ってない時間の中で、足元さえ危うい自分に気づき、少しぞっとしています。

介護をするという事は、誰かの命を預かるということ・・・自分で自分の命を守れない人の手をしっかりと握り締めるという事・・・。
いずれ成長して離れていく子育てとは、似ているようでまったく違う質のものだと、しみじみ実感する日々・・・。

でも、そんな私を倒れないように、頑張れるように、これまたたくさんの人たちが支えてくれています。
逆に、家族はちょっと足を引っ張っています。
それも当然、今までやってもらって当たり前だった事をやってもらえないのだから・・・・。
ケアマネージャーさん、療法士の先生達、看護士さん、調理のおばちゃんやおそうじのおばちゃんたち・・・・。
みんな、声をかけてくれて、「しんどいやろな、ほんでも、体は気をつけまいよ」と言ってくれる。
何もかも、ほったらかしてしまいたくなるような、無機質な気持ちを、暖かな人間的な気持ちに引き戻してくれる。

介護は、そう、本当に大変です。言葉では言い尽くせない、悲しみと苦しさと辛さが同居しています。
本人も、周囲も・・・・・。
泣く事さえ許されないような張りつめた気持ちや、もろもろの厳しい現実は、かなり、こちらの精神と肉体を蝕みます。
明るいだけの介護はありえない。
けれど、その中に、救いはあることを感じています。
同じく入院しているおじ様が「この病気はなあ・・・・なったもんにしかわからん・・・言葉にはならん辛さが体中に出てくるんや・・・」と、私に語ってくれました。
不安だから必死でリハビリをし、手ごたえを確かめ、社会に戻ろうと頑張っている人たちのなんと潔くて、素晴らしいことなのかということを学びました。
ここにいる人たちは、それぞれにとても悲しい体験をした人ばかりだから、いろいろな痛みを、言葉にしなくても分かり合えたりする・・。
でも、1歩でも前に進むためにする努力は、血の汗を流しながらやっている事なのだという現実を見せ付けられもする・・・。

普通に私たちが歩くほんの数メートルを、30分かけて、汗びっしょりになって、そうして進む人もいるのだ・・・。
そうした人たちを見ていても、涙はまるで出てこない・・・。
どんなに苦しんでいる人たちを見ても同情も沸いてはこない・・・。
私も同類であり、そして、それは、泣いて解決する事ではないのだと思い知ったからなのだと思う。

例えばお茶を、取りやすい所に置く事はしても、口まで運んであげる事はしない。
物を落としたのを見ても、それを拾ってあげる事はしない。とりやすいように体を支えてはあげても・・・。
その人のためにしてあげられる事は、そのひとがそれを出来るように立ち回ってあげること。
そういうこと、そんなにも貴重な体験を私は今させてもらっている。
母だけではなく、たくさんの悲しい体験をした人たちの、ほんの少し先の光のようなものを、早く掴んで、そして進んでいて欲しいと願わずにはいられない。

介護は地獄、もっともな比喩です。
でも、地獄に仏もいることを、決してお忘れなきように・・・・。