24時間の付き添い

「介護」は大変。
そう聞いていても、実感したのは6月に自分が始めてから・・・。
今、ブログを書く暇があるんじゃない?
何で家にいるの?
言うほど大変なんかじゃないでしょう?

今は洗濯物を持って帰ってきたからたまたま・・・・。

今日は入浴の日なので、たくさん洗濯物が出た。
だから、ここいらで一気に洗っておかないと、そろそろお天気も怪しくなってきたから・・・・。

母の状況をざっと説明しておこう。
思いつくまま順不同で・・・。まず、1日目、2日目はまったく眠らせてもらえない。
1時間半おきにトイレコール。
その都度、ポータブルトイレを設置場所に押して引っ付け、介助しながら座らせる。
これは重労働だ。
どちらの日も、午前中1回家に帰り、洗濯をして、掃除をして、母のところに戻る。
夜は夕飯を作りに、母に夕飯を食べさせてからまた戻る。お風呂に入り、着替えてからまた病院へ向かう。
病院にいる間は、リハビリを受ける母に付き添い、時には自分が介助する方法を教わる。
なれないことだらけで、母を支える体のあちこちが筋肉痛や疲労を感じている。
世の介護をしている人達の大変さはこの比ではないのだと思い知る。
母はまだましなほうだ・・・暴れないし、奇声もあげない。リハビリも嫌がらずまじめに受けているし、意思疎通も随分図れるようになった。

3日目、夜中に起きるのが3回くらいに激減。
だいぶ環境に慣れてきたようで、良く眠っている。
私も少しまとまって眠れたので、体が辛くなくなった・・・。
お風呂の入れ方や、トイレ(ポータブルではなく)の使い方なども教わる。
まだまだ私の力が必要だけど、自分で支えることがうまくなってきている。
そして、なんと、今日からはもう、オムツではない。
完全リハビリパンツ!
普通の下着を付けられる日も遠くなくなってきた。
なんてうれしいこと!

4日目、夜、子供の夕食を作ったり、自分がお風呂に入ったりする為、家に帰った2時間の間に母、ベッドから転落。
その時はなんでもなかったけれど、12時くらいから痛みを訴え始める。
急いでナースコールを押し、先日までいた隣の病院に搬送、レントゲンなどとって、異常がないか確認。
結果、ただの打ち身ではあるけれど、おっきなシップを貼られて、2時にようやく就寝。
私は明け方うとうとしただけ・・・・。

5日目、携帯にいろいろと、メールや電話が入っている。
私でなくても大丈夫なPTAの仕事は副部長にお願いして処理を頼む。
特に、ある部員の一人は、説明したにも関わらず(24時間介護の日が続くのだから、当分普通の時間に私とは連絡が取れないから、メールにして欲しいと言ったのだが、「私は携帯のメールもパソコンのメールも使えません、忙しくて覚える暇なんてありません」と断られて、そうして禁断の電話を何度もかけてくる・・・・・・^_^;どうやっても出られないんだってば!わかんないかなあ・・・・・?と文句を言いたくなる・・・)、携帯や、PCに入っているメールに返事と指示を出す。
夕方一度病院に戻ると、母が過呼吸を起こして、ベッドで横たわっていた。
でも、何も異常なし。
実は、この発作、脳外科にいた時も良く起こしていた。
どうやら、何かを思い出したときに起こる様なのだ。
まるで心臓発作でも起こしたようになるので、周囲の人はびっくりするけど、今までの経緯からいけば、この発作の数日後には何かがぐんと出来るようになってきたのだ。
今度もそうあって欲しい。

こちらに移って母は、急速に色々と出来るようになっていて、でも、それはベッドの落下や、そんな事故につながる。
頭と体のバランスが取れていないのだ。
でも、できる時にしっかりと伸ばしておかないと、永久に出来なくなるかもしれないのだ。

リハビリ専門の医師から「○○さんは、3ヶ月と言っていたけれど、これだと2ヶ月で退院できますね、施設に私の方からその旨連絡をして、空きがあったら抑えてもらいましょう」と、うれしい言葉を頂く。

全てが急ピッチで、私の体力も気力も何もかも無視して進んでいくのを感じる。
でも、これは立ち止まれないこと、立ち止まったらいけないことでもあるような気がして、その急な流れに私は乗った。

でも、「笑顔」忘れないように、それだけの余裕は持っていようと再度心に誓う。
さあ、もう、病院に行く時間が来た。
笑ってGO!
負けません!勝つまでは?????