下の世話というもの

これって、大変。
今日、初めて、やってみたのだけど、一人ではかなり困難な作業だと分かる。

病院ではスタッフが2人でペアになってやっている。
一人が腰を支え、もう一人が汚物を処理し、その間に腰を支えている方がささっとおしりやその周囲をきれいに拭く。
拭いている間に、もう一人が新しいオムツを用意し、腰を下ろす頃には、いいポジションにそれをきちんと敷いて、そっと元に戻す。
お尻拭きや、オムツを置くポジションや、タイミングは本当にプロ。
鮮やかだ。
何人も、何十人も、何百人もの人達にそうしてきたのだということが、その鮮やかな手つきで分かる。
最短の時間で、最大の効果をあげつつ、自分達のダメージは最小・・・。
私は、最長の時間でとろとろ下手なやり方で、たくさんの手間をかけた割には、自分がとても疲れてしまうという最悪のパターンだ。

とにもかくにも、この作業を、一人でやるのはかなり大変で、多分、ずっとやっていると、私の性も根も尽き果てるのだろうと想像できる。
母に苦痛を与えながら、自分にもダメージを与えつつ、日に何度かこの作業をしなくてはならないのだろう・・・。

だから作業療法士や、物理療法士の先生は、母を座らせることが出来るように、リハビリを続ける。
言語療法士の先生は「YES」「NO」をせめて言える様に繰り返し促す・・・。結局は、トイレが出来て、自分で便座に座れるようにすることが、私のかなりな部分の苦痛を取り除き、母の最期の自尊心を守ることになることをよく分かっているのだ・・・。

母は、「赤ちゃんのように」なってしまったけれど、「赤ちゃん」ではない。
だから、大人の人間としての尊厳があるのだ。
下の世話は、簡単ではないし、ラクでもない。
それを娘にされてしまうということは、たとえ、今、それが母に理解できないことでも、どこか、本能的な部分で、なにか引っかかってるのかもしれない。

そして、気づいたスタッフの人が、ビデをもって来てくれた。
陰部をきれいにするために・・・。
寝たきりの人は、オムツを使うから、蒸れて、女性の場合、膣炎や尿道炎・膀胱炎になる人も多いのだそうだ。
医療用は、本当に気が効いていて、すっかりきれいになる。
「これね、座れるようになれば、簡易トイレでも使えるの。すける容器が要らなくなるから、外に散ったり、シーツを塗らすこともないから、そうなればラクなのよ」
そのとおりだと思った。

母の最低限のプライドを守るためのリハビリはまだまだ続く。

最後に看護士さんに励まされる。
「病院にいる時くらい、家族は何もしなくていいのよ。しちゃだめよ。今からしてたら、つかれちゃうから。行政でもなんでも利用して、家族は、出来るだけ、こういうことをしないですむ方法を考えるのが仕事よ!」

お言葉に甘えさせてもらう・・・次回からナースコールを押すことを約束して、母をお任せする。
そして、また、いろいろと考えることにする。

「家族が出来るだけしないですむ方法」
言いえて妙だ。

ひとつでも、疲れを残さないで済む方法を模索することが、大切なのかもしれない。
疲れは、いずれ溜まる・・・溜まれば、愛する家族でも憎しみさえ沸くことがあるのだ。
人の心は、自分でもどうしようも出来ないこともある。

今日の看護士さんの言葉は心に刺さった・・・。

きっと、疲れ果てた家族を何組も見てきたのだろう。
あるいは、最初は私のように元気に振舞っていた人が、疲れきっていく様も・・・。
大切にしなくてはならないと思っていたはずなのに、いつかぞんざいに扱ってしまって自己嫌悪に陥ったりするのかもしれない。
そんなことを、さらりと見切って声をかけてくれた看護士さんに感謝する。

介護って、一人で出来るもんじゃあない。

たくさんの人に頼り、支えられ、そうしてやっていくもんなんだ。
自分で抱え込んじゃだめなんだな・・・・。
気づいたら、少し、気持ちが小さくなっていた私がいた・・・。
外へ気持ちを向けよう、そして進もう。
介護は、一人で何とかできるもんじゃないんだから。