完全看護の病院だから、帰ってくださいと告げられる。
実際、今は、覚醒したりまたふっと意識がなくなったりを繰返している母は、私たちの手が必要ではなかった。
今の母に必要なのは、何事かあった時のための適切な処置と、最先端の現代医療やら・・・そんなものだった。
母を置いていくのはなんともいえない気持ちだったけれど、何かあったらすぐに連絡は入るので、病院におまかせする。
夜遅くに帰宅し、家族と色々と話し合う。
生命保険の話や、最悪の場合の話から、在宅介護になった場合の事まで。
シュミレートして、それぞれの役割分担や、とりあえず病院から言われている必要なグッズまで。それらの事を確認しながら進めていく。
そして、ようやく、皆、それぞれが一瞬ではあるけれど、母のことから解き放たれて、それぞれの場所に戻る。
眠れない、どうしても眠れない。
まんじりともせずに夜が明けた。
肩も背中も、胃や腸もことごとく重い・・・。
体中がなんとなくむくんでいるのが分かる。
でも、朝がきた。病院から渡されたリストを持ち、今日は午前中に買い物に行き、午後から病院にいく。
一応、14時から19時と面会時間は決まっていて、それ以外の時間は遠慮してくださいと言われている。
おばあちゃんがどうしても一緒に行くといって聞かないので、連れて行く。
そして、母の病室にたどり着く。
4人部屋に3人入っている。
向かいの人は、つじつまの合わない返事を繰返しながら、手足が動かないのに、ベッドから無理に降りて点滴が抜けそうになるものだから、何度も何度も看護士が来る羽目になっていた。
カーテンをひいているのでちらとしか見えないが、隣の人は、仰臥したまま動かず、家族は泣きはらした顔で、ただ椅子に座っていた。
そして、私の母は、えらい事になっていた。
2人の看護士に両腕を抱えられ、座らせられて、「嚥下食」というものを口から入れられていた。
そうだな・・・時代劇の拷問で、貼り付けにされたまま、毒を飲まされる・・・って言うのがあるけど、まさにそんな感じ・・・。
「○○さん、はい、飲んで、ごっくんして!」と、大声で指示されながら飲み込んでいた。
紙コップに入ったそれは、お茶ゼリーなんだそうだ。
食べて終わると、またベッドもフラットに戻し、体を横たえてくれた。
目が開いていて、意識があるようだった。
横になった途端、動く方の左手が宙をふらふらする。
おばあちゃんがその手を捕まえて握ると、母も握り返してくる。
分かっているのかいないのか・・・それでも、ぎゅっと握り返す。
ちょうど、弟もそこへやってきた。
代わる代わる、母の手を握るのだけれど、どうもそうしていると安心するようで、手を離すと何かを掴もうとしててをふわふわと漂わせる。
体も起こそうとする。
ずっと泣かなかった、涙の出なかった私だけど、ようやく、そんな母を見て涙が出てきた。
昨日のこの時間に元気に畑でお花を植え替えていた母は、この人と同じ人物なのだ。
たった1日でまるで人が変わってしまったけれど、これが私の母なのだ。
涙が、今度は、止めようにも止まらなくなってしまった。
鈍い鈍い私は、ようやく、母を受け止めたのだ、今の母を。
頭の中で、元気だった時の色々な母の残像がぐるぐる回る。
担当の看護士さんが「○○さんのご家族ですか?私。今日、この病室の担当の△△です」
そして、今日やった嚥下食を飲むという最初のリハビリ・・・朝にもやっていて、そして、状態の説明もしてくれる。
眠れなかった昨夜、ネットで一応の下調べはしていた私は、今の母の状態をこの辺かと想像する。
このTIA(一過性脳虚血発作)をおこしている間は、まだ、どれくらいのダメージか、専門家でも分からないそうなのだ。
脳圧の上がる一番危険な3日間と、TIAが落ち着く1週間程度が予断を許さないそうで、このすごい名前の部屋に入っているのだ。
でも、私は無力だ。
母がこんな状態でも、ただ見つめることしか出来ない。
手をとって語りかけるしか出来ない。
母が戦っているのを、ただただ、見つめている力なき自分の情けなさ・・・・。
この部屋にいる人たちは、どの人も、みな、文字通り命がけで戦っているのだ。
私などにはかなわないくらい全力で・・・。
泣いてる場合じゃないのに、やっぱり涙は止まらなくて、随分長い間、めそめそしてしまった。
やっと、落ち着き、今度は、鈍いから泣かないんじゃなくて、大体を理解して、今は泣いてる場合じゃないから泣かないことにする。
感情のコントロールは難しいけど、泣いたって、なにも解決しないのだから、だったら明るく、笑顔でいることが、結局は母にとっても、良いに違いないのだから。
そんな折、叔父も再び駆けつけてきて、同じように母の手をとってくれた。
みんなで踏ん張らなくてはならない。
今がその時なのだ。